【小説・随筆・エッセイ】読書についてのあれこれ
― 今日は最近の読書と読んできた本についてです。
独立して、「断捨離」と生活が前進している感触と証明のようなニュアンスで(いや、ただのお小遣い欲しさで)ネットで本を売りつづけました。一時、引き取り業者さんに段ボールにまとめて送るなどもして、少し前に数えたとき311冊(雑誌も含めて因果な数字)となりました。でもまだ本棚には本がいっぱいです。別に活字中毒ではないのにこのザマですので、活字中毒の方はさぞ大変であろうと思っております。
今年は新年一冊目に京都の大垣書店にてリチャード・ブローティガンの『芝生の復讐 (新潮文庫) 』を買いました。文庫の表紙を見て、おいおいなんで買ってなかったんだろうと迷わず買ったのですが、これがもう最高でした。翻訳家の藤本和子さんが素晴らしいのはいくつもの書物で存じ上げていましたが、この本の岸本佐知子さんの『あとがき』の藤本和子さんへの賛辞の文章たるや。最後の殺し文句のような締めの“キメ”にくらくらしました。これ以上の翻訳家への賛辞の言葉をわたしはこれまで見たことがないです。あ、もちろん本文も魔法のような文章がいっぱいです。
現在は『サザエさん』を世に送り出した長谷川町子さんの再構築されたエッセイ・対談集『私の人生――漫画、家族、好きなこと私の人生――漫画、家族、好きなこと(朝日新聞出版)』(『長谷川町子思い出記念館』の新装版を刊行したもの)を読んでいます。正直な所、『サザエさん』を毎週観ていた訳でもないし、漫画を熱心に読んだ記憶はないです。ただ、これだけのものを送り出した方が何を考えていたのか知りたかったのです。読んでみて、まあやはりというか視点や自分の立ち位置や品性、まったく筋の通った方でした。予想より自分でも仰っていますし『いじわるばあさん』をお描きになっただけあり、「いじわる」な部分をお持ちだったようでした。
で、特に、やっぱりかあ、と感じたのは「私のひとり言」という題名のエッセイでした。
このなかで、彼女が言っているのは、事情があり手元に本がなくてあやふやな表現となるかもしれませんが、『サザエさん』が売れて有名になった長谷川さんのところに弟子志望の方が来ることがあり、話を聞くと「わたしは素晴らしい漫画を描いて有名になりたい」「漫画で金持ちになりたい」と言ってくるけれど、有名やお金持ちは後からついてくるものでそれを目標にするのはどうか、というような話をしていました。要は、漫画を描く“純度”のはなしを問題にしている訳ですね。そして自分も読者に受けるかというようなこと考えてしまうことで悩んだ部分があったようでした。
この話に近いのが甲本ヒロトさんが、ロックを夢見る人とかに向けて話していた言葉。「ロックをして、売れてお金が欲しいというのは、2つも願いを叶えようとしている。ひとつにしとけって」というような主旨の話をしていて、その話にも似た話だと思いました。ロックできた、それでゴールじゃん、というようなことですね。
当然なのですが、長谷川町子さんも芸術としての作家とは、というのを考えておられた訳です。あそこまでの威力と影響力のあるものは、時代に流されない強度を必要とします。そういった強度はこういう哲学をビシッと持っている方しかできないんだろうと思うのです。そう予想していたから大変満足しました。
* *
次に、近年のヒットはチャールズ・ブコウスキーの『死をポケットに入れて』です。他の著作も少し読んだんですが、この日記が素晴らしかったです。何度も読みました。
で、なんか何を話したかったのかわからなくなってきましたので、読んできた作家さんを並べておきます。どなたか引っかかってくださったら嬉しいです。でも大した読書家ではありません。強いて云えばわたしは基本随筆やエッセイが好きです。小説は海外の方が多いようですがこれはご存じ、それでもファンと言いづらい村上春樹さんが入口だからでしょう。(順不同)
では、素敵な読書ライフをお送りください。
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