つらつらかくこと4
もうこれでやめとかないと、つらつらどころじゃ無い。
自分の生い立ちや、生きてきた記憶を呼び起こしていくと、きっとこのシリーズは100を超えてしまう。
という不安があるので、今回がファイナル(笑)
前回からかなり時間が経ってしまって何を書いていたか改めて読まなきゃいけなかった。
えっと…病気。
そう、掌蹠膿疱症に罹ってしまったあたりね。
この厄介な病気、私の場合症状が完全にひくまでは四年の歳月を要しました。
来る日も来る日も掌と足の裏の皮を剥き、翌日には新しい膿ができる。
苦痛だったし、娘を不安にもさせたと思う。
それでも娘は、私の手となり色々と助けてくれたのです。
親子というより、むしろ同志のような関係性。
2年ほどはほとんど仕事らしい仕事はできず、いつの間にかなりたかったセラピストの道は閉ざされているように感じていた。
ぼちぼち仕事を始めた時(事務系のお仕事)、厳しい職場環境だったが、自分の病気を思えばその厳しさもまだまだ温いものだった。
ある時、自分の病気が少しずつ改善に向かっていることに気付いた。
「膿が少なくなってる‼︎‼︎」
それだけで光が見えた気がした。
さらに2年が経過し、ついに私は完治していた。
その時にまた思い出したのです。
セラピストになるという夢を。
年末12/31付けで辞表を出し
翌日1/1からはセラピストになるべく活動をはじめた。
もうお分かりだとは思うが
そのフットワークの軽さたるや
自分でも驚く。
前日にやめて今日からセラピスト✨
ジャジャーン🎉
みたいな感じに聞こえます。
実際はスタートさせたのはブログだけ。
そこから図書館通いがはじまり、知り合いを相手にトリートメントの特訓をスタート。
ただし、この時点での手技は完全にオリジナル。
見よう見まねで触ってみる。
フィードバックも恐ろしく辛口が続く。それでもこの仕事をしたかった。
絶対、セラピストになって人に喜んでもらうんだから‼︎と思っていた。
次は私のセラピスト人生のスタートから書いてみようかな。
つらつらは終わり!
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