島暮らしは「胆力」が鍛えられる
先月、屋久島からあるご夫婦が種子島にご来島された。昨年、神奈川県から屋久島に移住してきたそうで、島で出会った種子島牛乳がとても美味しく感動し、産地へ行きたい!と思い立ったとのこと。ようこそおじゃりもうせ〜!
実際の牧場を見てみたかったそうだが、牧場は衛生管理が厳しく、酪農家さんは早朝から深夜までお忙しいこともあり訪問は叶わず。代わりに、島の牛乳からチーズをつくり、そのチーズでケーキを製造しているお菓子屋さんとお話しできたとのことで、途中から合流した私にも1日の出来事を楽しそうに語ってくださった。
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夜は屋久島から同行していたガイドさんを含め、島の食材を使った創作料理を楽んだ。
お二人とも現在はオンラインで仕事をしており、不動産収入も得ながら生活しているそう。神奈川で暮らしていたときは、仕事が忙しい、かつ活動時間もバラバラで、お互い家の中で顔を合わせる時間もあまり取れていなかったという。
しかし移住後は、仕事は相変わらず忙しそうだったが、ご飯を食べたり、お出かけしたりなど、生活自体を楽しんでいるようだった。
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4時間くらいかけていろんなことをお話ししたのだが、奥様が語っていた
「島暮らしは胆力が鍛えられる」
という言葉が印象的だった。
「胆力」という言葉の意味を改めて調べてみると、下記のように出てきた。
その理由について、奥様はこうおっしゃっていた。
「都会に比べて”無い”ものが多いから「自分でつくる」ことが当たり前になったし、人との距離感が近いからこそ、周りのことがよく見える・見られる。最初は慣れないことが多くて、不快さを感じることもあった。
でも、今まで向き合ってこなかったことや、周囲との人間関係に向き合うことが増えて、これまでとは違った楽しみや生きがいが見つけられるようになった」
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その言葉を聞きながら、私も同じように感じたことがあったのを思い出した。2年前に種子島に帰ってきた最初の頃。
大学を卒業してからというもの、都会のビルの中で、毎日PCと睨めっこで、衣食住よりも仕事優先の日々を送っていた。
一方、島で暮らしていると、仕事は相変わらずPCをいじっている時間が長いが、夕方になると祖父母が夕飯のお裾分けをくれたり、知り合いが余った野菜や手作りお菓子を差し入れしてくださることも。
仕事とプライベートの境界線が曖昧で、何をするにも周りとの関係性がものをいう。
アパートの隣の部屋に住んでいる人の顔も知らず、自分が関わりやすい人たちのみと関わっていてもなんら問題なく生活を送れていた都会とは異なり、自分と相手との関係性が、自分の家族や親戚まで影響があるかもしれない島での生活は、いくら生まれ育った島とはいえ、都会暮らしに慣れた私にはきつかった。
だが、それまで避けることで回避してきたことや、ないがしろにしてきたことと真っ向から向き合い、違うことは前提のうえで相手を理解しようと踏ん張り、かつ最近は自分の意見も主張することができるようになってきた。この島で、人間として成長させてもらった気がする。
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もうひとつ、「胆力」が鍛えられる理由としては、農業・漁業・酪農という一次産業が今も産業として根付いていることが影響しているのかもしれない。
従事者は減っていることは確実だが、まだ農家や酪農家や林業を営む方も多いこの島で、命が育ち、その命をいただくことを私たちは間近に感じている。
また、島の海は荒れやすい。台風の時期は特にだが、よく船や飛行機が欠航する。そうなると農作業やその他仕事も止まり、事前事後の対応に追われる。船がこないと、食料や物資が入ってこないので、お店のショーケースは空っぽになる。
そんな自然の不安定さを前提に生きているので、島の人はちょっとくらい思うようにいかないことがあっても「まあまあそんなもんよね」と気長に待つことができるのかもしれない。
都会に比べたら”無い”ものは確かに多いが、人間というものは、”無い”環境に慣れると、今”有る”ものをどう活かしていけそうかと考え始める生き物なのかもしれない。生きていくためには、その環境に順応していかねばないのだから。
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チーズが大好きで、もっと勉強したいとおっしゃっていた奥様。次回は島北部にもお連れしたいな。
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