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わたし、あなた、わたしたち。

先日、散歩がてら海へ行った。

カメラを持って咲き始めた桜や風景を撮りながら海沿いの道を歩いていると、砂浜のほうへと向かう、中学生くらいの自転車の集団がすいすいと私を抜かして行った。
5,6人の男の子たちの中に、ひとりだけ女の子がいて、勝手に彼女は私だと思った。


学生の頃、男の子の友達が多かった。
女の子の友達がいなかったというわけではなく、いわゆる「グループ」というものになった時に、男女比を見ると男の子のほうが多いグループにいたというだけだ。好きな漫画やゲームが一緒だったり、部活が一緒だったり、そういうつながりの中でできた友達だった。

小学校くらいの頃はさほど気にしていなかったけど、中学生、高校生になると、なんとなく周りが性別の違いや、なんとなく存在するクラス内ヒエラルキーのようなものを、気にしだすようになった。


私たち自体は、男子・女子だからということで友達になったわけではない。相手の性格や趣味、雰囲気で友達になったのだ。
「私は私」「あなたはあなた」、私たちには「IとYOU」しか相手を区別する言葉が存在しなかった。

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でも、周りからみると私はたいてい、こう。

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高校までは共学に通った。いつも「男子/女子」が付きまとって、私にはすごく生きにくかった。だって、友達になるのに男の子か女の子かなんて本当は関係ないはずなのに、「男好き」と陰口をたたかれたり、女の子だけになったときにのけ者にされたりしたからだ。
だから私はなかなか「女の子グループ」にはいつも入れなくて、そのうち女の子に苦手意識を持つようになった。本当に仲のいい女の子以外、男の子のほうが接しやすいや、と思い始めた。友達になるのに男の子か女の子かなんて本当は関係ないはずだったのに。


その考え方が変わったのは、女子大に進学してからだった。
友達からは「女の子しかいない学校で大丈夫?」と言われたりもしたけれど、学力と勉強したい内容を考えると、その学校しかなかった。

入学して最初の頃は緊張してなかなか友達ができなかったけれど、同じ授業をとっている子と話すようになったり、部活にはいったりするうちに交友関係も広まった。

そして気づいたのは、「女子」しかいない環境だと、みんな「I」で、みんな「YOU」で居られるってこと。
部活のなかでも、「力仕事は男の子」「細かい仕事は女の子」じゃなくて、得意な人がそれぞれやる。もしくは、みんなで全部やる。当たり前だ、ここには性別の区別は存在しないから。


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「グループ」もある程度存在はしたけど、それぞれの中にそれぞれのルールや言語があるだけで、ほかのグループに干渉したりはしなかった。
初めて息がしやすいな、とおもった。


そのまま社会人になって、いくつかの会社に勤めた。
仕事をし始めても多少は、「グループ」のようなものが存在することも、あった。それでも、あの高校生まで感じていた生きにくさって何だったんだろう? というくらい、大人になってからは他人の目が気にならなくなった。


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遠ざかっていく自転車の列を見届けながら、立ちこぎで長い髪をなびかせていった彼女が、素敵な友達と楽しい青春を過ごせることを祈った。


(ツグミ)

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