忘れもしない日 ~人生のターニングポイントvol.11~ 自分の力で熊本に行きたい①
3月3日に初めて平行棒内の外に出ることが出来てからは、日記をつけるのをやめた。
もう、書く必要がないと感じたから。
一般病棟から回復期病棟へ移ることとなった。
この回復期病棟は、以前はICUだったところで、色々な奇妙なうわさがあった。
私もそこで、不思議な体験をするが、また別の機会に。
平行棒の外を歩けるようになってからは、少し自信もつき始め、杖を使い病院内は歩けるようになってきた。
まず、最初の目標である『じーちゃんに会いに、病院の駐車場まで行く』をクリアするべく、ばーちゃんが来た時に、駐車場に会いに行った。
じーちゃんは、車から急いで出てきてめちゃくちゃ驚いた顔をしていた。
これから、一生障がい者として生きていかなければいけないと思っていた、孫が義足になったけど、めちゃくちゃ明るく目の前に現れたんやけん。
じーちゃんは、今から10年前に癌で亡くなったけど、ひ孫の顔まで見せることが出来て、癌の末期で入院しているときに少しリハビリしてあげることが出来たので、良かったと思う。
徐々に歩けるようになったら、すぐに調子にのる私は、どうしても一人で熊本に行きたいと思うようになる。
リハの先生に、「何が出来れば行っていいですか?」と聞くと
「病院の階段を上って、降りてこれたらいいよ」と・・・
「ん?9階建ての病院を???」
自分のためだから、やりますよね。
その日から毎日、階段を一段一段上っては降りてを繰り返す。
一日のほとんど時間をリハビリに費やす。
ほぼほぼ、実習生と変わらなったと思う。
リハ室の掃除やごみ捨ても率先して行っていた。
階段の上り下りや坂道の上り下りも出来るようになった春。
担当の理学療法士の先生が、私の熱意に負けた?のか
「外出訓練をする。それに合格したら熊本に行ってよし」と。
外出訓練の流れは、
病院前からバスに乗る→八幡駅に到着→電車で小倉駅へ→八幡駅へ→バスに乗り病院へ
理学療法士の先生と一緒に行くこととなった。
バスに乗る、電車に乗るは、思ってた以上に簡単にできた。
ただ、小倉駅に着いて、
エスカレーターを前にしたとき、立ち止まってしまった。
どっちの脚からエスカレーターに乗っていいのかがわからない・・・
義足の方?健側の方?
自分でもよく覚えていないが、たぶん健側のほうから乗ったと思う。
小倉駅で理学療法士の先生とラーメンを食べて帰ってきたことは、
今も忘れていません。
ありがとうございました。
(先生、後に私もセラピストとなり、片麻痺になった主婦の方に対して、外出訓練として、エスカレーターの昇降練習をしに、ショッピングモールに行きました。この時の経験が生かされています。)
この頃には、桜も満開になり、私の未来も花が咲いてきていました。
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