知ってる?昔のクルマには羽根が付いていたんだよ!
5年前から、駅前に住んでいる、引っ越す前は、コンビニへ行くのに車に乗らないといけない所に住んでいた。車がないと生きていけない、お年寄りの運転する軽トラが急に飛び出てきたりして、恐怖と気を使って運転していました。仕事は、ほとんど地元ではないので、東京・大阪・名古屋に出稼ぎに出ております。そんなこともあり車は乗っていない
28年近く、毎日車に乗っていたせいか、車が好き、地方のひとは、毎日車に乗り仕事へ行くから、動く子供部屋感覚でこだわる人が多い。そんな中で20代前半、車の事を教えてもらったK先輩がいる。今では、車が精密すぎてそんなことできないが、カーオーディオ、スピーカー、ナビなんでも、K先輩のご指導でつけられるようになった。ある意味クルマ師匠である。
ある時、K先輩がカー雑誌を観ながら「昔の車は羽があったんだよ!かっこいいんだよ!羽が!」私は、「空でも飛ぶのか?」と首を傾げたが?、「これだよ」これ!! と見せられた車には、
「羽が付いていた…」
先輩に「カッコだけでこれ無駄じゃん!」と言った。
「わかってないなー、この無駄がいいんだよ!無駄は豊さの証であり、カッコよさであり、時代を表すんだよ!」
キャデラックの羽は無駄なのか?
1960年代、バックトゥザフューチャー1を観ればわかるが、アメリカは豊かであり、1ドル360円(固定相場制)日本がアメ車を輸入するするぐらい「富の象徴」で会ったアメリカの豊かさを謳歌していたのは、沖縄県民ぐらいである(当時はアメリカ領)米ソの宇宙競争でロケットを宇宙に飛ばし、月に人を送るほど「羽」はそんな象徴だ
昔の欧州車は電装系が弱いとか、エンジンかからないなどトラブルも多かった、私も代車でワーゲンを借りたが、高速走っている途中エンジンルームから白い煙が立ちこもり、古いテレビドラマのオープニングみたいにそのうちばらばらになるのではと焦ったもんだ、
色がない、漂白された感じ
いまのクルマは、なんだかつまんない…わくわく感がない…すべてに無駄がない…エレガントだが…映えるが…愛着がわかない…きちんと動き、排気ガスも出さない、無駄がないのだ、洗練されすぎたのだ。
先日、韓国に出張で行ったとき、韓国系自動車にはヘッドライトがないのだ! フロントに線が入っていて、線が光るのだ、それがライトなのだ、トヨタのクルマも、プリウスもクラウンも「白い線が入り」みんな同じデザイン!同じ装備! 面白くない
私は、つまらない萌えない!と思いながら WBSで「東京モビリティショー」のニュースを観て先輩から言われたあの言葉がいつも思出した。
「わかってないなー、この無駄がいいんだよ!無駄は豊さの証であり、カッコよさであり、時代を表すんだよ!」
無駄が豊かさの証
もう車には無駄がない、ポルシェやフェラーリなども「技術」ではなくステータスで乗る時代… 無駄に羽がついてた豊かな時代ではない。それだけつまらない世界になっている証でもある。
カッコよさ
今のクルマはカッコいいのか?と考えると疑問である「同じ車・同じスペック・同じ用途」映えはするが、「カッケぇーなぁ」と心から下品に言い放ち、ほおずりしてしまうことはない。
時代を表すんだよ!
合理化という無駄を省く社会の象徴なのかとおもう、テスラのコックピットはモニターとハンドルのみ、飛行機みたいなスイッチだらけのコックピットにあこがれる。すべてがシンプル、しかももう車(内燃機関)ではなく家電(電気で動く)である
格差・映え・合理性 なんか何もない時代だ
30年前の言葉が、今になって染みてくる。
今は、時代の穴を補うかのように、スカパーでディスカバリーチャンネルのWheeler DealersやナショナルジオグラフィックのCARSOSなどを観ながら、旧車を楽しんでいる。オタクじじぃが観るもになってきている。マカとかマムシとかCMも精力剤のCMとかおおい
確実に、オタクは社会認知され、住みやすくなってきた。としてつまらない世の中が来ている。私も、もうすぐじじぃになる、「昔はなぁ!」と酔っぱらってくだを巻くダサいじじぃにはなりたくない。どうでもいいだろうという!無駄に萌える時代を作っていきたいそうすれば、もっと楽しい時代になるのでは?とふと思う
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