スポーツの希望と感動と、利権の欲深さにまみれた「東京オリンピック」
先日、2週間に及ぶ東京オリンピックがついに閉幕した。
開催前はいろいろな世論が飛び交い、開催も危ぶまれていたが、さまざまな国の選手が集い、そして競い合う姿に興奮し、勝利を収めたときには感動した人も少なくなかっただろう。私はわりとミーハーな性格なので、開会式から競技、閉会式まで、わりとしっかりと見てしっかりと楽しんだ。
阿部兄妹の金メダル。川井姉妹。卓球の混合ダブルス。ソフトボールに野球、バレーボール、3on3、バスケットボール、スポーツクライミング、ハンドボール、陸上、マラソンなどなど、楽しくテレビ観戦させてもらったシーンやスポーツを挙げるときりがない。
選手にとっては4年に1度の晴れ舞台。これまでの努力の結果を発揮する場。だからこそ、無観客開催だったことは少し残念に思う。そりゃあ、大勢の人の目の前で披露することが選手たちの第一の目的ではない。しかし、誰かに見られて声援を送ってもらえることが、いったいどれだけ彼ら・彼女らの力になっただろうか。せっかくの自国開催。多くの人に見てもらいたかったと思う選手は少なくないだろう。新型コロナウイルスの感染状況を考えれば仕方のない措置ではあるが、やはり誰もお客さんがいないとなると「これはいったい誰のためのオリンピック」なのだろうかと疑問を抱かざるを得ない。
競歩やマラソンは東京ではなく札幌で行われたが、朝でも気温は低くなく湿度の高い状態で、体調不良を起こす選手も多くいた事実を目の当たりにし、もっと運動しやすい環境を用意することはできなかったのだろうかと思った。トライアスロンも同様だ。青い海といかないでまでも、もう少し綺麗な海のほうが……。実際に競技中に吐いてしまっている選手がテレビに映されたとき、それだけ過酷な環境で戦っているのだと感じた。天気予報では日中の運動を避けろと言う中でオリンピックが行われている矛盾ほど滑稽なものはないだろう。
滑稽と言えば、開会式・閉会式も実に滑稽だった。さまざまなトラブルがあり、今回の形に至ったわけだが、野村萬斎をはじめとする当初のチームの演出を見たいと思った人は多いだろう。私もその一人だ。
週刊文春はさまざまな報道をしているが、どうやら政治家の意向もあって、ああいう形に収まったらしい。事実はどうであれ、テーマやメッセージに一貫性がなく、世界に向けた式典としてふさわしいとはとても言えないお粗末な内容だった。もちろん、出演者は何も悪くないし、彼ら・彼女らなりに精一杯のパフォーマンスをしてくれている。だからこそ、何を伝えたいのかよくわからない内容になってしまっていたことが、ただただ残念でならない。
知り合いのWebデザイナーの人が、開会式を「客からの修正が入りまくったカンプ」と言っていたが、まさにその通りだ。
クリエイターはさまざまな意図をもって、作品などを生み出している。そこに他者からの要望が入り、修正を繰り返し、原形がなくなってしまうと、何かよく分からないものができあがる。形があるのに、中身はない。
平等という理念を掲げて世界中の人々がスポーツを通して交流をすることはすばらしいことだ。激闘の結果、金メダルを手にしたときには、言葉にならない感動をもたらしてくれる。メダルに結び付かなくても、懸命に頑張っている姿を見ることは、私たちに夢や希望を与えてくれる。
しかし、特定の国の事情もあって競技の開催時間がずれたり、視聴率などの関係からオリンピックの種目が変更されたりすることには「金」のニオイしかしない。そこに、感動や夢や希望はあるのだろうか。そう思うと、オリンピックは「スポーツの感動」という皮を被った、ただの商業イベントにしか見えない。
感動で子どもを騙して、不正に利益を得る悪い大人のようだ――――。
だからといって、選手の日々の頑張りは決してウソではない。3年後にはパリ五輪が始まる。パリでは、コンコルド広場やオルセー美術館などの文化施設がオリンピックの競技会場になると言う。東京オリンピックは、裏側にある悪い大人の思惑がチラついたが、花の都・パリで行われるオリンピックは心から純粋に楽しめるものになればいい。
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