広告型Netflixがテレビ広告市場を丸々奪うのはちょっと無理(それよりCTV市場の顕在化に意義がある)
大袈裟な受け止め方が多いNetflix広告プラン
Netflixが11月から広告型プランを開始すると一部で話題になっている。話題になってもいいし、いろんな人の意見を聞きたくもあるが、あまりにも大袈裟に受け止める呆れた人もいる。この記事は中でも度を超えていると思った。
広告型Netflixは790円の利用料に加えて広告収入も得るサービスなのは確かにそうだ。ただそれをあまりにも巨額に見積もっている。現状の日本で、動画配信市場は5305億円だと情報通信白書に載っているのは確かだ。だがまず、それと比べるテレビの市場として2兆1038億円と1兆8393億円の2つの数字が出てきて雑だなあと思ってしまう。「潜在的には4倍の広告費収入が受け取れるようになるかもしれない」と言うのだが、この「4倍」はどっちの数字と比べて言っているのか。まあものすごく大まかにはどっちも4倍と言えなくもないので、そこは置いておこう。
とにかくこの人は、テレビ広告市場を広告型Netflixが丸々奪うかもしれず羊の皮をかぶった狼だと言っているのだ。ある程度奪うとは思うが、丸々は奪えないので絶対に4倍にはならない。
例えばこの人は広告型Netflixをマイクロソフトが担うので、「ネットで新築マンションを調べた人がテレビを見ていると、近所の新築マンションのモデルルームのCMが流れたり、気になる新車の情報をスマホで調べた人にトヨタの新型乗用車の広告が流れたりするような、テレビ広告がターゲティングされる未来」があるというが、それは広告主が望む形だろうか。スマホを使った人が何らか特定できたとして、それをテレビでNetflixを使う人と果たして紐づけられるだろうか。紐付けできたとして個人情報に欧米でも日本でも強く敏感になったこの時代、それを広告に利用できるだろうか。
また「新車情報をスマホで調べた人」にテレビCMを見せることができたとして、その人はどうするのだろう。スマホのバナーなら車の販売サイトに飛べるかもしれないが、テレビで見ているドラマを中断して、テレビで販売店サイトにジャンプするというのか。そんなこと、今のテレビではできない。また検索履歴によるターゲティング広告はネットで問題になっているように、すでに新車を買った人に的外れに車の広告を見せてしまいかえってその車が嫌いになってしまう傾向もある。とっくに新車を買ったのにテレビで車のCMが立て続けに流れたら大いに苛立つだろうから、あまりいい手法とも言えないのだ。
さらに言っておきたいのだが、テレビ広告はテレビ放送というメディアの「漫然とだらだら映像を流し続ける」特質の上に成り立っている。だから見る気がなくても目や耳に入ってしまう、なんとも都合のいい広告形態なのだ。Netflixが見せるテレビCMは放送に比べると見せるタイミングが限られてしまう。何かコンテンツを見ようと決めたらその始まる前やドラマの間に流されるはずだ。現状テレビ放送が得ている莫大なリーチ力に、オンデマンド配信は到底かなわないだろう。ディープにNetflix漬けになった人が日本中にいる状態にならなければ、4倍になどなるはずがない。
よく知りもしないし考えも浅いのに立派な経済誌のオンライン版に思いつきで記事を書くなんていい加減すぎだ。
Netflixでのリアルな広告形式とは?
Netflixについてはこんな記事もあった。
この記事に至っては、ほぼ印象論にすぎない。新しいサービスが出るとすぐに「終わりの始まり」などと書きたがる人が多いが、オオカミ少年みたいなことはもうやめた方がいい。広告型の登場でストリーミングが終わるなんて本気で考えているのだろうか。
真っ当な記事もあるので読むならこれだ。
西田宗千佳氏がきちんと今ある情報を整理し、Netflix側のコメントも得ている。落ち着いた内容で冷静に受け止められる。
記事中のデータから、本国アメリカではNetflixが既存のテレビで言う「視聴率」的に見てもそれなりの存在になっていることがわかる。広告型が一定の広告費を獲得できそうに見える。日本でのデータはないが、おそらくもっと小さな存在感になるだろう。
またターゲティングについてこんな記述がある。
当初はコンテンツに紐づく形の広告でスタートし、ゆくゆくはユーザープロフィールを掛け合わせていくようだ。こっちの方が「検索した人に」とか言うよりはるかに現実的だ。
CTV広告市場の一端と捉えるべき
さてここで私が言いたいのは、広告型Netflixの話は、それだけで捉えるべきではない、ということだ。CTV広告市場がこれから勃興するという、より引いた視点で捉えるべきなのだ。
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