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【復職への道⑦】1回目の休職要因を振り返る③「5ヶ月目」編

「1回目の休職要因について振り返る」シリーズ。
今日はプロジェクト参加後5ヶ月目について。
(私がダウンしたのは6ヶ月目)

いよいよ大きく動きます!

こんな暗く長い話を誰が読むのだろう・・
そう思いながらも、自分のため・・
自分が乗り越えるために仕上げました。

前回までのおさらいはこちら!


<5ヶ月目(残業:100時間)>

自社での3機能結合テストが始まる。
私は生き残れるのだろうか。

ざっくりとテストの種類を。

システム業界では様々なテストがあるが、この記事では簡単に下記3つについて書く。

(1)単体テスト
 プログラムが単体で正しく動作することのテスト

(2)結合テスト
 単体同士が連携して正しく動作することのテスト

(3)システムテスト
 システム全体として正しく動作することのテスト

テストは(1)(2)(3)の順番で行う。先ずは、単体テストを終えて成績表を作る。品質管理部門がチェックし、OKがでれば次へ進める。

我々は既に(1)単体テストを終え、成績表も作り終えていた。この成績表を持って、品質管理部門との合議を目指す人が瀬田さんだった。我らの単体テスト責任者である。

品質管理部門(以後、QAと称す)

製品の品質が基準に達しているかを判断する人たちがいる。それが品質管理部門(Quality Assurance)、略してQAだ。自社製品として世に出していいかの判断を担う。QAとの合議無しに、作業工程を進める事は許されない。

特にこのプロジェクトは格付けが高い。一番厳しい基準で品質チェックされる。私はここまで厳しい基準は経験したことが無い。

瀬田さん

私と一緒に異動してきた人だ。役職は課長、年齢は50歳前後。小柄で寡黙。強面の人だった。

前の部署では、私の上司だった。半年ぐらいの付き合いしか無かったが、
仕事での印象は良かった。話を聞いてくれて、相談できる人だった。私の上司になる前は、畑違いの仕事をしていたらしく、システム系の知識や経験は乏しい。歳をとってからのシステム系部署への異動である。随分と苦労していた。

陰で部長からは厳しい言葉を言われていた。
「あの人はシステム知らないから」
「管理しかできないから」

「(1)単体テスト」をはじめる許可

テスト開始にもQAの許可が必要だ。

先月の話である。
QAに提出する「単体テスト計画書」作成のため、瀬田さんは我々に会議招集をかけた。

計画書とはこんな内容である。
「こういう条件でテストを開始し、
 これぐらいの数のテストを実施し、
 これぐらいの不良(バグ)を発見します」

主な参加者は3機能のリーダー、本郷さん、朝日くん、私である。

車谷さんから呼び出し

この招集をみた車谷さんは、本郷さんと私を呼び出して、こう言った。

「開始前の条件は大事だから、
 瀬田さんの言いなりになるなよ」

私は、なぜそんなこと言うのか理解できなかった。車谷さんは続けてこう言った。

「下書き案見たが、こっちに不利な条件が多い。
 あれでQA承認がでたらヤバいぞ」

私も下書き案は読んだが、書いてあることは一般的なものにもみえた。私は異動してきて初めての案件だったので、ここでのルールを知らない。色々と書いてあるけど、ここでのお約束事項だろうとしか思ってなかった。それに瀬田さんは身内だ。身内に不利となる合議はしないはずだ。

だが、車谷さんが私達を呼び出してまで伝えたので、警戒はしておこうと思った。

本郷さんを焚き付ける

車谷さんは本郷さんにこんなことをいった。

「打合せではこっちに不利な条件は許すな。
 最初にガツンと言えよ。」

本郷さんは優しい。紳士だ。その手の交渉事が苦手なのは明白だった。車谷さんの狙いは、本郷さんの弱点克服だったかもしれない。(車谷さんは本郷さんの上司でもある)。車谷さんは本郷さんを焚き付けた。本郷さんの肩に力が入った。

打合せの帰り、私は本郷さんに支援を約束した。
「私は瀬田さん知ってるので、大丈夫ですよ。一緒に交渉しますから。」

「ありがとうございます」
そんなやりとりをした。

瀬田さんとの打合せ

開始から本郷さんは強気にでた。瀬田さんは予想外だったのか、少し面食らっていたが、私も間に入り、紛糾せず会話は進んだ。

瀬田さんは計画書を書くのは初めてで、どこからか貰ってきた雛形を書き、それを現場の私達と擦り合わせたいだけだった。

車谷さんからの確認

後日、車谷さんから結果を聞かれた。
私は答えた。

「特に気になる内容は無かった。
 いくつかは指摘して消してもらった。
 お約束の記載内容だと思いました」

車谷さんは不満そうに小言を言ったが、ありえない内容もあったと伝えると、満足そうに言った。

「それはやべーな」

私は疑問だった

車谷さんは瀬田さんを意識していた。二人の関係は私にはわからないが、車谷さんは身内に敵を作ろうとしている。私はそう感じていた。

さて、ここまでは先月の話である。
今月の話に入ろう。

プロジェクト参加メンバーの普段

私が自社に戻ったのは先月のことだ。この部署に異動して直ぐに外注先に出たので、私はプロジェクトメンバーの普段の姿を知らなかった。だが、1ヶ月間働いて徐々に見えてきた。

白木さんの状態

プロジェクトリーダー(以後、PLと称す)である。朝から晩まで、社内を動き回りとにかく忙しそうだ。プロジェクト規模は大きくて広い。私の知らない場所で色々な問題も起きているし、現行バージョンの保守もしなければいけない。

毎週、社長含め幹部向けの進捗報告会がある。私は下っ端なので出席しないが、聞くところによると、白木さんは相当に責められていると聞いた。多方面からの攻撃を一手に受けている。

白木さんの異変

この頃になると、挙動が変わっていった。会話していても目線が合わない。斜め上をみながら話してくる。顔は小刻みに上下し、よく笑うようになったのだが、その笑顔が不自然過ぎて怖い。そして、普通に会話するトーンで、「殺すぞ」という言葉を使うようになった。

殺すぞ

パワーワードだ。
悪意を持って使えば、脅迫に値する。

会社には夜22時以降、特別の事情無く、残業してはいけないルールがあった。22時になっても残っていると、白木さんが普通のトーンで、全員に対し、帰らないと殺すぞと言う。例えば、「おすしさん、帰らないと殺すぞ」だ。

ただ、今まで見てきた白木さんは、そういう言葉を言うタイプではなかった。別人化が始まっていたのだろうか。管理職としては部下を帰宅させなければいけない。いちいち会話する暇は無いから、パワーワードを使って言い切るようにしたのだろう。私はそう解釈し、「はい」と対応して帰っていた。

22時過ぎて残っていると、いつもこのやりとりがあった。ただ、これについて特に怒りは感じなかった。

心療内科は半年待ち

ある日、白木さんが話しかけてきた。
「心療内科に電話したら、半年待ちだってよ。
 それじゃプロジェクト終わってるわ」
私も笑った。

ある日、部長が白木さんの席にきた。白木さんが席を外していると、
「あれ、病人はどこいった?」

この会社の上層部連中は怖い。攻撃的な人ばかりだ。話がずれるので詳細は控えるが、とにかく異動したての私には居心地が悪く、ここの水に慣れるとは思えなかった。

車谷さんの状態

白木さん同様、相当にストレスを感じている。まとまった休みをとって、逃げ込みたいと言っていた。それは私も同じ気持ちだ。

そして相変わらず行動が読めない。傍若な振る舞いをしたかと思えば、人の表情やメンタルを気にしたりもする。こんなことを言われたことがある。

「会議室に入ってきたとき、
 おすしさんは怒った顔をしてましたね」

続けて何か言われた覚えがあるが、忘れてしまった。ただ、配慮した言葉をかけてくれた気がする。以前、車谷さんが我々リーダー3人に怒鳴り散らした打合せがあった。意図はわからないが、その打合せ前に「今日は怒鳴ります」と私に話してくれた。いつか、私が業務で苦しんで相談した時、

「すべての責任がくるのは苦しい。
 知りませんと言える場所がないとダメだ」

そんなことも言ってくれた。その通りだと思い傾聴するのだが、その後の会話のキャッチボールが合わない。心を許そうと、少しリラックスした会話を試みたりもしたが、とにかく同調しない。意識して意見を寄せても同調しないのだ。

車谷さんと合わない

車谷さんは機能仕様を統括するキーマンだ。私は主機能のリーダーでもある。車谷さんとは非常に近い距離で仕事を続けていかなければならない。相談に乗ってくれたり、配慮してくれたりと感謝していた。苦しいプロジェクトだったので、円満に協力して進めたかった。そのために、一緒にいて落ち着く位置や振る舞い、どんなパターンを好むかなどを一ヶ月くらいは探しただろう。でも見つからなかった。

私は人と距離を縮めるのは得意な方だ。新卒入社した部署で、寡黙で気難しい先輩エンジニア達ともうまくやれたと思う。高圧的、暴力的な人以外であれば、ほぼ大丈夫だという自信もあった。新浦くんに「おれ、どんな人でも平気」と言っていたくらいだが、車谷さんは無理だった。どう接していいかわからず、遂には恐れるしかなかった。この頃は悔しくて認められなかったが、今思うと完全に苦手だった。

車谷さんはキレるし怒鳴る。指摘も鋭く厳しい。私には負の感情が相当に蓄積し、相当に気を使っていた。

車谷さんと瀬田さんが揉める

二人の仲がうまくいっていないのは知っていた。瀬田さんの停滞した進捗に耐えかねたのか、ついに怒鳴り合いになった。車谷さんは声も大きく指摘も鋭い。瀬田さんも反論していたが、押し切られた。

次の日から2日間、瀬田さんは仕事を休んだ。

車谷さんが気にする

瀬田さんが休んでると、車谷さんが私に様子を聞きに来た。
「瀬田さんはメンタルか?」
と聞いてきたが、私は、
「あれぐらいじゃ大丈夫ですよ」
と強めに答えた。

そう答えたのには理由もある。

悔しかった。

私はどちらかといえば瀬田さん寄りだ。仕事の成果は出てないかもしれないが、身内を攻撃するような人を理解できなかった。この攻撃に白木さんが参加したこともあった。二人から責められた瀬田さんは苦しかっただろう。

だが、2日休んだ後、瀬田さんは普通に出社した。私が心配するのも失礼か。そう思いながらも少し安堵した。ちなみに、この2日間休んだ理由が、怒鳴り合いが原因だったのかは知らない。

だが、瀬田さんは成果を出せず、
プロジェクト内でどんどん孤立していった。

「(2)結合テスト」環境の構築

いよいよ結合テストだ。テスト環境を構築するチームは、瀬田さんと協力会社の人の2人体制だった。テストに必要な機材を各所にヒアリングし
手配して集めていたが、ここでも車谷さんと瀬田さんは揉めた。瀬田さんの部下と車谷さんとの相性も悪く、「あのコンビはヤベー」と言われていた。
だが、なんとか環境は整った。

結合テストの責任者になる

私は車谷さんに呼ばれた。結合テストの責任者をやって欲しいと。3機能のリーダーの中で、製品知識は無いが、最年長で経験が一番あるからだ。

「こういうテストは、
 誰かが責任を持たないと上手くいかない。
 実際に手を動かすのは協力会社の人達だ。
 あなたは日々の結果をまとめ、報告するだけ。
 毎日30分あればできる。
 パン食べながらでもできる。」

私は30代後半だが、今まで自分が手を動かさず、進捗を管理するような仕事の経験は無い。自分が手を動かす仕事しか知らなかった。だが、年齢的にも管理側にシフトするだろう。本当に言葉通りなら、やれると思った。小さな範囲から経験してみようと思い、私は責任者となった。

結合テスト開始準備

このプロジェクトには、協力会社の人達が10人ほど参加していて、その中にベテランのリーダーがいた。シゲさんと呼ばれていて、頼りになる人だ。車谷さんや本郷さんとの付き合いも長い。

結合テストではシゲさんが上に立ち、協力会社の人たちへ作業振りをしてくれることになった。私はシゲさんから日々の進捗を受け取り、白木さんや車谷さんに報告を上げる。

私はシゲさんと打合せをした。テスト結果の証拠はこういう形式で欲しい。日々の報告はこういうのをあげてくれと。

なんて楽なんだ。
私はすっかり安心して、自分の仕事にとりかかっていた。夕方にあがってくるシゲさんからの報告にコメントを追加して、白木さん、車谷さんに報告を上げるだけだ。計画より若干の遅れはでたが、予定していたテストは完了した。

QAからボロクソにダメ出し

結合テストが終わったことをQAに報告した。判定結果は不合格。ボロクソに言われるほど酷いものだった。
この製品に適用される品質基準のレベルを甘くみていた。上層部からは抽象的、概念的なレベルで指摘される。これが難しい。その指摘意図を正しく理解し、的確な回答をしなければいけない。QAからはテスト項目の起こし方からすべて、ありとあらゆるダメ出しをされた。

仕様書の変更箇所は1000ページにもなる。その変更した全ページについてテスト項目との紐づきを証明(変更したら必ずテストするという論理)させられたり、たくさんのQA対応に追われた。結果は不合格だ。

これほどまで細かく求められるとは誰も予想していなかった。そこから何日も打合せを重ね、QAからの指摘を着実にクリアし、大量の追加テストを実施することで、再判定してもらえることになった。

この時の白木さんの口癖は「気は抜くな。後ろから刺されるからな」だった。社内でも決して油断するなという意味だった。

膨れ上がるテスト項目

QAから不足を指摘されたテストを大量に追加し、テスト量は膨れ上がった。誰もが達成不可能としか思えない量だったが、これをやり遂げないと合格は貰えない。

白木さん、車谷さんからはこう言われた。
「普通にやったら絶対に消化できない量だ。頭使ってやれ。朝番、夜番の交代制を組んだり、2人体制で昼休憩をずらしてテストは中断させるな。1つのテストで複数のテスト消化できるような組み合わせを考えたり、とにかく頭を使ってやれ。」

私はまだ責任者である。
言われるがままにテスト方針、計画を考えた。机上・理論上では「達成は無理だが、いい線いくんじゃないか」ぐらいまでは考えられたが、いざテスト消化が始まると予想外の出来事ばかりで、たった一週間で打ちのめされた。

テスト消化進捗が悪い

色々なパターンのテストを実施する。データを調整して、作りたい状況を再現するのだが、このデータ調整にとにかく時間が必要だった。計画時、各担当からデータ準備にかかる時間をヒアリングし、少しバッファをのせて計算していたが、いざ始まると「データ投入に失敗した」「間違えたデータを入れた」「このデータではできなかった」などが発生した。よくある話ではあるのだが、このシステムでは大量のデータ調整が必要なので、再投入に4時間かかったりと、一度の失敗や手戻りでその日の実績が0になるほどの致命的なものだった。

テスト実施者は一応、各機能の担当者ではあった。だが、そこまで仕様に精通しているメンバーではなかった。そのため、いざやってみたらダメだった、動かなかった等が生じ、都度、リーダーの本郷さんや朝日くんも入って対応していた。こういう状況が何度も起きると、車谷さんは「何をモタモタしているんだ」とこちらを睨みつけた。

この頃、問合せへの対応などは黒田さんに頼み、私は完全に朝から晩までテスト対応に介入していた。もはや、パン食べながら管理なんて話ではなくなっていた。

詰められる。が、答えをもっていない

進捗は毎日、白木さん、車谷さんへ報告していた。
「どうしてできないんだ!」
「こういうデータが必要で4時間かかるそうです」
「なんで4時間もかかるんだ!」
「詳細までは・・・聞いてみます」

私はまだ製品知識に乏しい。特に他の機能については浅い知識しかない。白木さんや車谷さんは進捗の遅い理由を知りたいのだが、私には納得させる答えは持っておらず苦しかった。こんなやりとりが連日続いた。

白木さんがたまに寄ってくる

たまに寄ってきては、愚痴のような独り言を言って去っていく。

「あれもやって、
 これもやって、
 それもやんなきゃいけないだぜ。
 考えただけで、ゲロ吐きそうだろ。な?」

5回ぐらい聞いた。

ある時、この流れのまま一緒に帰ったことがある。私と黒田さんで帰ろうとした時、帰り支度をした白木さんが寄ってきて話し始めた。そのまま自然と一緒に帰った。

どうやら、白木さんは、この製品についてそんなに詳しいわけじゃなかった。違う県で勤務していて、私が異動してくる1年前に異動してきたそうで、以前の仕事の話をしてくれた。出世はタイミングだとか、挨拶の角度が良いと出世できるとか、話が面白い人だった。普段は面白い人なんだろう。一緒に帰ったことで、少し白木さんのことを理解できた。ちなみに、白木さんとお酒を飲んだこともないし、一緒に帰ったのも初めてだ。

車谷さんに失望される

テストの進捗が悪く、何度も相談にのってもらった。車谷さんも時間をとって対応してくれた。「これとこれをやることで測れないだろうか。」自社製品に詳しい人だからこそのアドバイスでもあり、ハッと気づくことも多かった。毎日しっかりと状況を報告してアドバイスを仰ぎながら密にやろうと思っていた。

私はテストの責任者だ。進捗の悪さ、連日のテスト不手際などで責任を強く感じていた。稼働も高く、連日の蓄積疲弊もあり、もはや頭を使うことは苦手となっていた。そういう状況だとできる事が減り、確実にできることに固執したくなる。そこで、期日までの完遂は諦め、1つでも多くテストを消化することに集中した。

車谷さんも進捗が悪いのは知っている。私は期日までの完遂は無理だと話したが理解は得られず、結果、スケジュール上、達成不可能な状況に陥った。

車谷さんからは「氷山にぶつかる前に相談してくれれば対策の建てようはあるが、氷山にぶつかってから話されても何もできない」と言われ、これをきっかけに失望された。だが、製品知識も無く、頭も回らない私は愚直にやるしかなかった。

長谷川さんが参加

上層部からテコ入れが入った。別の部署から管理職クラスが増員された。長谷川さんという方で、役職は課長。大柄で話しやすくにこやかな人だった。結合テスト、システムテストの管理が目的だ。

夏季休暇を返上するか

テストは約束した期日に終わらないのは明白だった。この頃、毎日夕方になると、白木さんが3人を集めて叱責する。

私は責任を取りたい。
夏季休暇も出社してテストを進めると言った。

白木さんは3人に向けて、
「本当にやるのか?
 皆、それでいいのか?」

本郷さん、朝日くんは何も言わなかった。連日朝から晩まで苦しんでいる。
夏休みを返上して苦しむなんて、考えられなかったのだろう。

私はもう普通ではなかった。この状況で「休出する」と言わない二人に、
腹が立っていた。休むなんて許されるわけがない。だが、白木さんは休出を許可しなかった。

「俺たちはこんなに遅れているけど、
 夏休みはしっかり休む。いいな」

今思うと、白木さんのこの決断は素晴らしかった。休出しても取り戻せるのは僅かだろう。それならば、休むことを決断した。もし自分がリーダーだったら、その決断はできなかっただろう。

諦めていた夏季休暇。

休めることになった。

夏季休暇まで数日ある。
頑張ろうという気持ちになった。

白木さんの気遣い

ある日、白木さんが寄ってきた。
夏休み中に会社近くでなにかのイベントがあるらしい。
「子供がいるんだろ、連れて行ったらどうだ」
詳細を印刷して渡してきた。

いきなりで少し驚いた。今になって思えば、私の挙動が普通じゃないのを察知していたのだろう。気遣いだったと思う。

夏季休暇前の追い込み

朝から晩までテストに明け暮れた。少しでも進捗を進めるためだ。そして夏季休暇に入る前日の夜、事件は起きた。

朝の打合せでテスト内容を擦り合わせる。その日に実施するテストは、私が実施判断に迷ったテストだった。既に全テスト消化は無理なので、色々な要素を考慮し、優先順位の高いテストを先に消化していた。

問題になったテストは私の担当機能のテストだ。確かに優先順位は下げたが、特殊なデータが揃ってこそテストできる機能だった。そして私はこのテストをしたかった。その相談を車谷さんにすれば大きな問題にはならなかったかもしれない。だが、既に失望され関係も悪く、私は聞くのを嫌がった。そのテストを実施すると、周りが30分ぐらい待ち状態になるので、簡単にすぐ終わるものでは無かった。だが、特殊なデータが揃った今だからこそやりたかった。そして、朝の打合せで関係者にやると話した。朝の打合せはテスト作業に関わる人間だけしか出席しない。つまり、車谷さんは出ていない。

事件発生

朝から晩までテストだ。夜22時頃だったか、テストをしている輪の中に車谷さんが急に顔をだしてきて聞いた。

「どうしてそのテストをやってるのですか」

私は狼狽した。この場で何を言ったかは覚えていないが、とにかく慌てた。

突然、怒鳴られた。

「しなくてもいいテストをして、
 みなの帰りを遅くするな!!」


確認不十分で進めてしまったことに引け目を感じていたのは事実だ。ただ、現場レベルで話を通して実施でも良いだろうとも思っていた。その不安定な状況で、一番痛いところを突かれたくない人から突かれた。失望の一件から恐怖を感じ、多くのテストメンバーの前で大きな声で怒鳴られた。たくさんの負の要素が積み重なって耐えられない瞬間だった。

車谷さんの事は知っている。会話も噛み合わない。何を言っても無駄だと思ったし、もはや言い合う気力も体力も無かった。何も言えなかった。

叱責は続いた。
ほとんど何も答えられなかった。
その場が早く終わることだけを待った。

そして、表情を咎められた。

「どうしてそんな顔をしているのか」

私は酷い顔をしていたのだろう。
絶望のような情けない酷い顔を。

「わかりません」と言った。

「わからないのはやばいな!
 さっきのおすしさんの顔は凄かったな。
 なぁ、朝日」

朝日くんは「見てません」と言ってくれた。
その後も皆の前でマウントをとられ続けた。

「こういう製品の経験が無いから・・」

「ふーん。
 ま、真面目なんだろ!」

最後に何かを言って私の両膝を叩き、
満足そうにどこかへ歩いて行った。

何を言われたかはもう覚えていない。
こんなときも噛み合わなかった。

人生で一番悲しい出来事だった

黒田さんもその場にいた。

黒田さんは家が遠い。
終電なんてとっくに無いのだが、
それでもいたのは、
私を心配したからだと思う。

黒田さんと一緒に駅まで歩いた。
何を話したかは覚えていない。
苦笑いをしながら、何か話したはずだ。
黒田さんが笑顔で頷いてくれた。
そんなシーンは覚えている。

気がつくと終着駅だった

黒田さんと別れ、終電に乗った。
どうしていいかわからない。
放心状態だった。
気付くと終着駅だった。

駅を降り、深夜のロータリーに座り込んだ。
私は何十分間も絶望していた。

その後、タクシーで帰宅してすぐに布団に入った。
一家の主がこんな姿を見せてはいけない。

そして9日間の夏季休暇に入った。

夏季休暇

我が家は夏季休暇でイベントを2つ予定していた。帰省とキャンプだ。嫁も娘もとても楽しみにしていた。

私は家では仕事の話はほとんどしない。だから、あんなに辛いことがあった次の日も平静を装って過ごした。怒鳴られて傷ついて絶望したなんて、一家の父親が家で言えるわけがない。この時はそう思って必死に隠した。

でも毎日とても胸が苦しかった。仕事の事が24時間頭を離れず、詰められたシーンが頭から離れない。目は虚ろだったと思うが、必死に力を入れて悟られないように過ごした。

キャンプでは大きな露天風呂に入った。
薄いピンクの夕暮れの空が凄く綺麗だった。

ちなみに、白木さんから貰った夏休みのイベント案内だが、ちゃんと行った。こどもは楽しんでいた。

休暇明け

完遂不可能なテストを再開する日々が始まった。私は完全に車谷さんを避けた。近くにいるだけで心臓が高鳴る。間違いなく、まともなコミュニケーションはとれないだろう。車谷さんが出張で不在の日は、唯一安心できる日だった。


5ヶ月目の総括

<平日のスケジュール>
05:30 起床
07:00 出発(電車座れる。熟睡できる)
09:30 会社着(09:45 始業開始)
22:00 退勤
23:30 帰宅
01:00 就寝

1日のうちで少しでもゆっくりできる時間が欲しかった。そのため、5:30起きして朝をのんびりと過ごした。これが効果的だったのか、厳しい毎日もなんとか過ごせていた。夜は1分1秒でも早く寝たかったので、噛まずに済むような夕食、すぐ食べ終わるものをお願いしていた。また、最寄り駅から走って帰っていた。1秒でも早く帰りたかったからだ。この頃はもう食事に何も感じなくなっていた。生きるための栄養補給でしかない。
<勤怠>
会社では朝から晩までフル稼働し、終わらなかった作業は家に帰ってリモートでやる。休出0だが、出社していないだけ。休日は嫁子供が寝静まってから家でリモート作業していたが、どうにもならない時は、妻に子供を連れて出かけさせた。この頃はまだ怒れる余力があったので、仕事へのイライラ、怒りが態度にでていた時期。家の雰囲気も悪くしてしまった。

・平均:09:00〜23:00
・残業:100h
(自宅からのリモート作業 40h を含む)
・休出:0
・通勤時間:片道1時間半

・心情:毎日次から次へと問題に追われ、気が安まる時間は無い。責任を求められるシーンも出てきて、高圧的な説教や詰めを受ける。焦りも強くでてきて、遠くの会話でも自分の事を言われているように感じる。神経過敏。白木さんが遠くで呼ぶと、小走りで向かっていた。少しでも怒られたくなかったからなのか、体が勝手に動いた。ただ、白木さんは走ることを怒った。

今後も過密スケジュールは続き解消見込みも無い。プロジェクトは延期が決定し、終わりの目処も無い。
<ストレス状況> 170%
(1)幹部やQAからの風当たりが非常に強い。決して迂闊な受け答えはできず、常に神経を使って生き延びる必要がある。
(2)達成不可能な量のテスト消化を求められ、未達について詰められる。連日の疲労から頭が回らず、頭を使った効率的なテストができず、愚直にしかこなせない。それを怒られる。
(3)関係悪化で自社上司との相談は不可能
<対人間関係>(0=険悪、100=良好)
・白木さん:55(普通)
 叱責や説教での口調は強くなってきたが、白木さんが上層部から詰められている姿も相当にみている。別人化していて相当きつそうだが、稀に配慮した気遣いをしてくれたりもあり、こちらも結果を出せてないことに申し訳無く思っている。不自然さが怖いが、会話はできる。

・車谷さん:0(険悪)
 夏季休暇前の事件で決裂。近くにいるだけで心臓が高鳴るほどに拒否。


次に続きます。
(次が最終回)

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