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メモを取る寂しさを「エモい」で乗り越える


ハロー、u子です。

メモは見返してこそ意味がある。
少し立ち止まって振り返ることを目標にしていた先月を経て、気が付いたことです。


メモを取ることは、一般的には褒められます。
その一方で、年を重ねるたびにメモの寂しさを感じていました。

その瞬間の感情や景色をそのまま鮮明に保存しておけないからです。

言葉や記号に変換した瞬間から、その記憶はその言葉や記号の表現に置き換わってしまいます。
的確に表現できる語彙力や画力を持ち合わせていないことが切なくて、悲しいのかもしれません。

だからといってメモは無益ではありません。
思い出すためのトリガーにはなります。

これをメリットとするならば、色あせていく記憶を受容する必要があります。
そう、たとえば色あせた写真を「エモい」と愛でる感性さえあれば、メモを取る寂しさは乗り越えられるのです。

そして、思い出すたびに記憶は定着していきます。

大切にしたい感情、出来事、景色、それらを振り返る時間が足りていないよね、というお話でした。


noteを書くことは、わたしにとってメモすることとほぼ同義です。

例えばこの読書の再開についてのnoteは、未来のための記録。
自分が読書スランプに陥ったときのヒント用です。


もうひとつ、中国渡航の振り返りを記録したnote。

こちらは完全に自分用のメモから始まりました。
そのメモを読み返していると「先に知っておきたかった!」と思ったことが多かったと気付きました。
それなら今後同じような思いをするかもしれない誰かのためになれば……ということで、整理してnoteで公開しました。


自分のnoteを見返して「エモい」と感じられるところにいますように。


おしまい

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