バリ島に住んでいる私が、今もしどこにでも住めるなら。
バリ島在住5年目のオスギです
どうも、バリ島に住んで5年目になりました、すぎちゃんです。
OL生活を6年ほどした後で、思い切ってニートになり、勢いで引っ越しました。
あまりしっかりとしたプランはなく、とにかく勢いでここまで来てしまった私が、今回はどこにどこでも住めるとしたら、どこに住みたいか??
というトピックについて、私の思うことや、頭にふと浮かんだことを、お話ししていきます。
自分で選んだ場所に「住む」ってどういうこと?
そもそも「住む」ということは、どういうことなのでしょうか。
私はバリ島に引っ越す前は、関東にある実家を出たことはなかったし、自分で「ここに住みたい!」と強く思ったことがある場所は、日本にはありませんでした。
(ニューヨークだけは、街の一部になりたい、そしてそこで人生を終えたい、と恋焦がれたことはあります)
ではなぜ今、私はバリ島にいるのかというと、シンプルにバリ島が好きだから。そして、大好きな場所に存在する自分が、大好きだからです。
自分が選んだ場所に住むだけで、自分への大好きが増すなんて、思ってもいませんでしたが、今私はそう思っています。そして、大好きな場所にいるために頑張っている自分自身のことを誰よりも応援しているし、誇りに思っています。
そんな私が「どこかで住む」ことをどう感じているかというと、
つまり「その場所で生きる」と同義語かな〜〜〜なんて思っています。
その場所にいる人と一緒に生きること。
その場所の気候に合わせて違う服や家を準備しなきゃいけないということ。
その場所のカルチャーに自分なりの方法で溶け込んでいくということ。
日本で暮らし続けていたら、正直あまり意識しなかったことなんですが、今の私はそう感じます。
その場所にいる人と一緒に生きること
今バリ島に住んでいる私にとって、「バリ島にいる人たち」の印象は、自分が観光客だった頃から大きく変化しています。
はじめの頃は、人々はみんな暖かく、人当たりも良く、みんなハッピーで悩むことも多くなさそう、と思っていました。
今では、恐らくその奥にある心の闇をも理解し始めたような気がするし、いい面だけじゃないこともよく理解してきたつもりです。
そんな人たちと自分は、心地よく感じる言語も、好きな食べ物も、着たい服や住む場所に期待することも全て違います。
でも、そんな人たちとうまく調子を合わせて、バランスを整えながら生きていくことになります。
その場所の気候に合わせて違う服や家を準備しなきゃいけないということ
これは正直、私が日本にいる時はこのように意識したことはありませんでしたが、自分の住んでいる場所の気候に合わせる、というのは実は当たり前じゃなくて、大変なことというか、、、
無意識にやるには大変なことだと今は思います。
日本には四季があって、それに合わせて服を変えたり、肌の状態が変わったり、、
家の家を建てる時にも、そういった季節の変化を配慮しなければならないわけですが、それって実はすごく特別なことだと思うんです。
今私はバリ島にいて、常に夏。
雨季や寒気、などはありますけど、基本的には常に夏。
そうなってくると、1年中夏福祉課使うことがなくてでもその分服の劣化も早いですよね。例えば日本に行ったら夏服は1年に一塊しか着ないので使う回数も限られているんですが、それを1年中使うとなるとその分ハイペースで夏服をたくさん使うので、消費が早いというか、日本にいた時よりも服を買い換えるタイミングが早くやってきているような気がします。
その場所のカルチャーに自分なりの方法で溶け込んでいくということ
これってすごく大事なことですが、一方で、実はそんなに難しいことでもないかな〜と思います。
外国人としてその場所に存在している限り、周りから「文化を理解してほしい」という期待っていうのはそもそもそんなに大きくないと思います。
それって、実は「その場所のカルチャーと生きていくこと」に関してちょっと楽をしているところがあるんじゃないかなと思います。
日本人として日本で暮らしていくとなると、やっぱり日本のマナーとか日本の慣習とか、、、伝統的な行事の事とかちゃんと理解してないとやっぱり残念に見られてしまう場面では多いと思うんですけど、外国人として知らないことが当たり前といった感じで存在できると、逆にちょっとでも私が現地の言葉を話してると、すごく褒めてもらえるし、理解しようとしてくれてると思ってもらえるし、すごく実は楽になるような気がしています。
そんなことを考えた上で、床に電話住めるならどこに住みたいかというと、私はやっぱりバリ島に住みたいなと思います。
他に選択肢があっても住み続けたいバリ島
私はバリ島に住んで、5年目になりました。そんな私がバリ島に住む中でどんなふうに感じているかをもう少し、話したいと思います。
バリ島に住むということは、日本人である自分のアイデンティティーをより強く感じる事になります。
当たり前のように、日本人の群れの中にいた私が、海外に出た途端「日本人のわたし」になるわけです。
そして、どんなに稼いでいても、どんなに頭が良くても、自分はあくまでも「その国に訪問している側」であるから、自分のわがままばかり言ってはいけないと言った謙虚な気持ちになります。
一方で、バリ島には世界中からたくさんの外国人が集まっているので、1つの場所にいながら、世界中の人の価値観に触れることができるし、最新の事に触れる機会もあります。
旅行先として訪れている観光客の人から、新鮮なアイディアをもらえることもあるし、世界各国から集まってきている、同じくノマドワーカーからインスパイアされることもたくさんあります。
そんな生活の中で、自分に求められることというのは、自分が育ってきた環境の中からとらえた、自分自身ではなくて、もっと客観的に自分を見たときの自分のキャラクターと言うのを少し理解して立ち振る舞うことが必要になってくるなと私は感じています
住みたい場所が日本じゃない理由
どこにでも住めるなら?というテーマで、なぜ私が日本を選ばないかというと、今自分で選んだ場所で自分の努力をもとに積み上げた作り上げた生活がとても心地良いと思うからです。
今日本に戻って、日本のどこかで自分が「なんだここ、めっちゃ好きだな」と思える土地に出会って、自分の意思でそこに引っ越したいと思う機会があれば、同じように感じるかもしれないですが。
今自分の好きな趣味(サーフィンやヨガ、ダイビングなど)とか、まぁいろんな感覚の人たちと接する機会が今以上にある場所が、日本にあるとは思えないので、 今の自分にとって、どこでも住みたい場所を選べる!という選択肢があっても、今の私は日本を選ばないでしょう。
もし、私が英語がまだ話せず、日本人としか話せないようであれば、変わってくるかもしれませんけどね!
仕事のスタイルがもし、今と異なるなら
私は今リモートで、オンラインで日本の仕事やそのほか別の場所の仕事をすることができています。
また、タイムゾーンが大きく異ならない場所の案件を取るようにしているので、かなり自由にフレキシブルに生活をしています。
もしこの仕事のスタイルが変わってしまって、オンラインで仕事ができず、時間に縛られてるスタイルになるのであれば、選ぶ仕事や住む場所は必然的に変わってくると思います。
もし自分がそれなりの収入を得なくていいのならば、田舎を選ぶと思いますが、もし自分がそれなりの収入を得なくてはいけなくて、そういう「稼げる案件」が現地で集まってくる都市(シティ)に行かなければいけないのであれば、間違いなく今いる場所は選んでないと思います。
もし「現地に仕事がやってくる場所」を選ぶとしたら、私は東南アジアの、今進化が激しいエリアを選ぶかな〜なんて、思います。
はい。いかがでしたでしょうか?
「自分の愛する場所で、住む、生きる」ということの尊さを私はバリ島で身をもって味わいました。
みなさんも、このnoteの企画をきっかけに、そういったことへの価値を改めて考えることができたら、いいですよね^^
最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
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