とある至福の華金録〜スーパー銭湯編
その女は不敵な笑みを浮かべていた。
納品が完了したのが金曜16時半、そのあと特急でやるべきタスクもない。なんなら自営業で在宅ワークだから、これはもう決まりだ。
──華の金曜日、開始!
その瞬間の女は無限の可能性を秘めていた。
ロン缶をブシュッと開けて映画を見たっていいし、電車に乗って少し離れた街の水族館へ行ったっていい。手の込んだ料理やお菓子だって作れる。
だが、偶然か必然か女の心はひとつに決まっていた。サッと慣れた手つきで荷造りをすると、女は自家用車に乗り込み、手早くナビにとある住所を入力する。
「〇〇温泉△△の湯」
これは女の住む街の隣にある大型スーパー銭湯だ。つまり日が暮れようか暮れまいか、まだ一般労働者が働いているこの時間に、彼女は服を脱ぎ捨て大浴場へ乗り込もうとしているのだ。ああ、なんて素晴らしい背徳感……。
到着後、女は財布の中から現金ととあるカードを取り出す。そのカードを券売機に通すと、『会員価格』の表示が点灯する。ふむ、女に抜かりはない。
わたしとしたことが気持ちがはやっているな、女はズボンとパンツを同時に脱ぎ捨てた自らの行動より察した。ついでに言えばパンツはクルクルと丸まり、洗濯時に辟易する形になっている。まあいい、洗濯するのもわたしだ。
漫画であれば「バン!」という効果音を背負って、女は大浴場へ乗りだした。まずは洗体だ。全身くまなく洗い上げる。
初手は悩みどころだが、女の心はひとつ。
高濃度炭酸泉、キミに決めた。
この数年で全国のありとあらゆるスーパー銭湯で目にするようになったこの湯は、低温で気を張らずに入り続けられるのが魅力である。しかも炭酸の効果でしっかりと体は温まる。
心拍をむやみに上げずに、体を風呂へ順応できるため、女の初手としては定石だった。
大型スクリーンに映し出された夕方のしょうもないニュースでは、ノルウェー産の鯖が美味いという報道がされている。鯖はなんだってうまいのが自明だ。鯖……いいな、食べたいな。
さて、十分程度で次の湯へ。体も温まったところで露天へ洒落込もう。
岩風呂に信楽釜風呂、ジェット風呂、めくるめく湯ワールドを堪能し、ホッとベンチに腰掛け前半終了。
体温を少し冷たい外気と混ぜ合わせ、心地よい気だるさを堪能し、後半戦のスタートだ。
女は荷物置き場に行くと、こぼれ落ちる笑顔を隠しながら戻っていた。手に握られていたのは、
ぼのぼののサウナハット、先日my new gear…した代物だ。
女は熱烈なサウナ狂ではないが、そこそこサウナが好きな人種だ。そのため本格的なアイテムを使うことに少々の引け目があったのは否めない。だが、ぼのぼのの可愛さに負けた。マイニューギアってしまったのである。
サウナハットを被り、いざドライサウナへ。熱が肌に伝わり、体の内側へじんじん侵入してくる。確かにじわりじわり、じりじりと。
女は熱に弱いので6分でサウナを出て水風呂に入る。熱い冷たい熱い冷たい。えらいこっちゃ、祭りだ祭りだ!
温度でめちゃくちゃになった体を抱えて、外のベンチへ傾れ込む。
──凪。
全てが静かになった、その瞬間を待っていた。快い虚、離脱。輪郭線が溶けてゆく。心地の良さを超えて、女の心には何も映っていなかった。遠い宇宙、それとも過去、未来か。それほど遥かな旅へ出ていた気分だ。
2セット目のサウナも同様に。ここで女はサウナハットの効力に気づいた。頭部および耳がが熱くならず、快適に熱を浴びられるではないか!これはすごいアイテムじゃないか!!
ふむふむと感心し、水風呂・外気浴へ。
そして再度訪れる静謐な時間に身と心を委ねてジ・エンド。これにて終了だ。
あとはサッと源泉掛け流し湯に浸かり、整えたあと脱衣所へ。去り際がなぜここまで良いかというと、女は確実に腹を空かせていた。
さて、ここまで来れば「もうゴールしていいよね?」だ。一階のお食事処でサッと食べよう。
女は食券機に小銭を入れて無心でボタンを押した。そして券を手に取り、ハッと気づいたのである。
鯖、だ。
高濃度炭酸泉にてモロにサブリミナルを食らった影響が露見した。それにしてもいつ何時も鯖はうまい。
腹も満たされれば、眠気もやってくる。さあ長居は無用、安全運転で帰ろう。
帰宅後は歯磨きさえすれば寝られるという無双状態のわたくし。映画でも一本見ようかしら、ビールも買って帰ろう、などと女はなお上機嫌でアクセルを踏んだ。