私は「自己分析」という言葉が嫌いだ。
経団連の発表で来年度から「就活ルール」とは、おさらばとなりそう。
それ自体に私は賛成だ。何故なら、あまりにもルールが形骸化されていて、混乱をまねているとしか思えないからだ。サマーインターンに参加しないと不利になる、サマーインターン で落ちたら本選考に乗りにくくなるかもしれない。こんな憶測の中で就活をしなければならないのであれば、むしろルールがない方が良いのではないか。内定直結型のインターンとして明記されていれば、就活生としても無駄な心配は少しは軽減されるのでは。(内定直結型のインターンのみが主流となったらそれもまた問題とはなってしまうだろうけど)
ともかく私が言いたいのはそのことではなく、就活によってもたらされる色々なことに対しての枠組み付けが嫌いだということである。
SNSの広告はリマケされ、就活関連のものばかりになる。そこまで徹底的にされてしまうと就活がタダでさえ、面白いと思いにくいことであるのに、さらに鬱々とした気分になる。SNSは現実逃避の場でもあるのだから、本当に現実を突きつけて欲しくない。そう思う人は私以外にもいるのではないだろうか。
そして、これらの広告でよく出てくるのが「自己分析」という言葉である。あなたの自己分析は十分ですか?遅れを取らないための十ヶ条等々。
私が思うのは自己分析自体は良いことであると思う。何故なら自分と向き合うきっかけともなるから。
しかし、自己分析が就活のためで、半ば強制的で、上手くないと就活は失敗する。
こんな風潮になってしまうのが悲しいばかりなのだ。
本来は先ほども言ったように、自分を見つめ直して、どうこれからの人生を歩むか考えるきっかけとなる。もし就活というワードさえ関連していなかったら、多くの人は自己との対話を楽しめるのではないだろうか。
しかし、現在の世の中ではあたかも「自己分析」が就活必勝法のツールになってしまっているのが嫌なのだ。自己分析はもっと、自分の深掘りなのではないだろうか。より自分が幸せになる為に、自分の幸せを再確認する方法なのではないか。であるのに、「自己分析」というなんの温かみもない言葉が蔓延することで、自分との対話が嫌いになり、自分のことを考えなくなってしまうことを助長しているようで私は好きになれない。
私はここ数ヶ月で本当に「自己分析」という言葉が嫌いになった。しかし本質は実は良いもののはずなのにそれに気づけない。だったらこの言葉も丸ごと消えてしまえば良いのにと投げやりに思った今日この頃である。