孤独のグルメになっちゃう


一人でご飯を食べるのが苦手だ。そのことに気づいたのは、大学1年生の時。2限と3限の間の一時間、お昼休みは突如としてわたしの前に立ちはだかった。幾度か教室の端っこでパンを齧ったのち、サークルの部室という安住の地を手に入れて4年間をやり過ごした。

がらがらと引き戸を滑らせると、8石ほどの空のカウンターが飛び込んできた。Lの字をちょうど逆にした形。短辺で割烹着姿の女性がくつろぎ、中では板前さんがまな板に向き合っていた。明らかにお客さんを引き入れる気がなくて、思わず「一人、入れますか」と尋ねる。割烹着の女性は1秒ほどわたしを見つめてから、どうぞ、招き入れた。「あ、さっき電話くれた人?」よいしょ、と腰を上げる彼女を横目に、よいしょ、とカウンターの真ん中あたりに腰を落ち着けた。

わたしの実家は毎日必ずみんなでご飯を食べていた。両親、姉、祖母の5人。父は火曜日と木曜日は遅くまで仕事があったけれど、そのほかの曜日は夕飯時には帰宅する。子供達の門限は夕飯に合わせて19時と定められ、それは高校生の終わりまで続いた。18時半あたりから食卓の片付けや、できた料理を並べる手伝いをする。みんなでせっせと箸を置いて、お茶をくみ、全員が席に着いたら「いただきます」と声を揃えて食べ始める。誰かが席につかないとき、例えば祖母が自分用に漬物を切っているときはみんなでじっと待つ。こうして文字にしてみると、なんだか変な家だ。

大将が「何にしますか」と訊いてくる。メニューはもらっておらず、壁にいくつか料理が書いてあるだけ。たこの釜飯に、お造りを合わせたら多いか尋ねると「ごはんは1合分ですね」という。多い。「余ったらおにぎりにして持って帰って貰えますよ」厳しい顔で大将が優しく教えてくれる。お造りは何がいいかと聞かれ、逆に地のものを尋ねると烏賊が良いという。瀬戸内で獲れたもの。特に好きではないけれど、それにした。釜飯は30分ほどかかるという。本を開いて、待った。

ご飯とは誰かと一緒に食べるもの。そんな刷り込みがわたしの中では育まれていた。一人でご飯を食べられないのは、そうした実家での食習慣が一因なのではないかと思っている。”一人でご飯を食べるやつ”と認知されるのが怖い。それに一人で食べるご飯が美味しいはずはないとも考えていた。だって一人で食べるご飯はきっと寂しいから。どんな美味しさも、寂しさの前では力を失ってしまうはずだから。

烏賊のお刺身が出てくる。紅葉のような形のお皿は紅色に縁取られていて、白より乳白色とよぶにふさわしい烏賊の存在を引き立たせる。だけどやっぱり烏賊、派手ではなく、どこか寂しい。鯛でもいっておけばよかったかな、そんなことを思いながら分厚めに切られた一枚にわさびをのせ、赤みがかった醤油につけて口に運んだ。白い服を着ているから気をつけなきゃ、と思いながら噛み締めたその瞬間、ねっとりとした身がするりと歯にあたり、濃い風味が口の中に広がる。甘い。添えられていたきゅうりをぱくりとして、すぐにもう一枚頬張る。やはり甘い。柔らかな烏賊の甘味と、だし醤油の真っ直ぐな甘味。その両方が舌の上で踊って、わたしは思わず「すごくおいしいです」と大将に言っていた。「そうでしょう。これからの時期が旬なんですよ」得意げだ。

一人旅の大敵はだから食事の時間だった。散歩だって美術館だってドライブだって一人でできるけれど、食事はできない。チェーンのお店も入れないのに、たくさんの人で賑わう人気店や、地元の人に愛される名店になど、行けるはずはなかった。みんなに、寂しいやつ、と笑われている気がする。

だけど一人で旅に行きたかった。この秋は、絶対に。

烏賊に気を取られているうちに大将はせっせと手を動かしている。釜飯の小鉢として鯛の煮付けと白和が出てきた。どちらも得意じゃない。だけど恐る恐る口に入れると、これがまた美味しい。鯛の身はほろほろと崩れて、脂の旨みを醤油の塩味で引き締めている。乗せられた柚子の皮がこんなにも合うことってあるだろうか。白和には一切の臭みがなくて、海老やら貝やらいろいろな魚介が賑やかに相乗りしていた。わたしは半ば放心する。一人でもこんなに、美味しい。

釜飯を出すとき、大将は「釜は熱くなってるから触らないでね、木枠は大丈夫」と言葉を添える。親しげな口調に心がほぐれる。わたしは崩した言葉で接客されるのが好きだ。こんなに美味しいものを作ってくれているのだから、わたしは食べさせてもらう立場でいたい。釜飯の蓋を開くと、ふわっと湯気が広がり、薄紅色の移った米の上にたくさんの蛸、そしてにんじんやらお揚げやらが身を寄せ合っていた。しゃもじでかき回すと、少し水分が多い。ねちゃりとしたお米を釜肌から幾度かこそいで、茶碗にもる。わくわくしながら、口に運ぶ。

ふふ、と声がした。はっと思って顔を上げる。大将が見ているのはわたしではなく、店の奥の天井に置かれたテレビ番組。タレントがどの世界の名画に似ているかを検証する至極くだらないバラエティを見て、彼は笑っていた。釜飯を口に運びながら盗み見ると、大将は手を動かしながら番組の見せ場で毎度チラッとテレビを見上げるのだった。そして全ての料理を出し終え、暇になった頃にはもはや声をあげて笑っている。女将さんも一緒になって笑っている。こんなドッキリしたらいけんよなー、ねえ、びっくりしちゃうわー。

20代後半の女性という立場が、わたしには窮屈に感じられる。一人焼肉だって余裕で行けちゃうガツガツ系と、パンは千切って食べるやわやわ系。そんなふうに二分しているのは自分自身なのだけど、性格的には前者、でも一人焼肉には行けない、パンはかじって食べるわたしはどこにも身を寄せる場がなかった。どちらにも属さないと、寂しい女になってしまうような、不思議な劣等感。ずっとずっと拭い去ることができなかった。だけど今日、少しだけ払拭できた気がする。だって、美味しかったから。寂しくなかったから。すごく幸せだったから。一人の旅先でのご飯で、わたしはこんなにも満たされた。

最後に、とプリンが出てくる。お店で作っているのかと尋ねると、女将さんは「そうですよー」と答える。なんとなく、大将が作っている気がした。固めの舌触りにたっぷりカラメルソースを絡めながら食べていると、「こんばんはー」とおじさんが登場。店の前につけた軽トラックに大将が走りより、大きなプラスチックケースを2つも、往復して店内に運んだ。みかん。そんなにいらないだろうなー、とわたしは思った。おじさんは先ほどまで女将さんが座っていた場所にどかり。わたしはお勘定をお願いした。

帰り際に渡された袋には、残った釜飯のおにぎりと、小ぶりなみかんが4つ入っていた。おにぎりのラップはぎゅぎゅっと握り込んで止められたようで、開くと少し欠けた。これは女将さんが握ってくれた気がする。美味しかったです、と伝えたい。だけど、声に出さないで心の中にとっておこう。一人で食べるご飯は丁寧だ。そして、美味しい。

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