変わり者になっちゃう

地下鉄の窓に、自分が映る。デニムシャツに黒いタートルネック。白いニット帽に髪をすべて入れて、ショートヘアのように。白のトートはくたっと汚れて、スマホを持たない方の手にはコーヒーを。

目に入るすべて、好きなもの。完璧だと思う。今日はそんなお話。

ここ数日、わたしは暴風雨にさらされた一反木綿のような有様だった。濡れたまま風に吹かれ、バタバタと音を立てる。

たぶんこれはここ2週間ほどやりとりをしていたメンヘラ男のせいだ。ざっくりと語るならば、アプリで超絶イケメンから「タイプです」とメッセージが届き、うかれていたら「死にたい」と言われてラインのアカウントごと飛ばれた。より細かく語るならば彼は真性のデブ専かつハーフ好きで、身長が180ある本当のイケメンで、会う約束の数日前に「君が本当に太っているかわからない」(太ってるよ?)「付き合う前に○めたい」(過激なため伏字)「でも本当に会いたいんじゃけん!」(岡山訛り)と叫ぶひとで、実際会ってみるとらぽっぽを買ってきてくれる素直な青年で、だけど「京王線の事件に巻き込まれたかった」「死ぬ決心がついた」というセリフを残してラインを消したのちにわたしのfacebookを探し当てて「きみか」と噴飯メッセージをくれるやつだった。うまく、伝わっただろうか。自信がない。

わたしは精神的に不安定なひとが得意ではなく、可能な限り関わりあいを避けている。でも、ふつうならみんなが隠そうとする「精神的に不安定」を余すことなく全身全霊で解き放つ彼は、わたしの心を掴んだ。ちょろちょろの焚き火ではなく、轟々と天高くのぼるキャンプファイアーの如きメンヘラ。ほろ酔い蛇行運転の原付ではなく、スピンとドリフトを10mごとに繰り返し迫ってくる超級大型トラックの如きメンヘラ。ダチョウ倶楽部の「押すなよ押すなよ」を見ているような気持ちで、もうわたしは押すしかなかった。

ただ、彼がドボンと落ちた灼熱の湯船の熱湯はこちらにも飛んできた。元来そういうひとを避けていたことからもわかるように、それをよける力も、火傷を負わない強い皮膚も、わたしは持っていない。その瞬間は「あっつ!!」と笑えても、そのあと肌に残った火傷はじんじんと痛みを伴う。

それでもいけるとこまでいきたい、と勇みかけていたわたしを止めてくれたのは心優しきまともな女友達だ。最初は笑い話として聞いてくれていたけれど、わたしがどこか「まだいける」という顔をしているのを見て、徐々に彼女たちの口角は下がっていった。最終的には「どうせ連絡しちゃうんでしょ、でも個人情報だけは守りなよ」と現実的なアドバイスをくれる始末。

心の中でわたしは、どうしよっかなー、と揺れていた。おもしろいんだよなー。

だけどしゃぶしゃぶ食べ放題から友人宅に場所をうつした頃に、事は動いた。その日は妊娠を控え病院に近いマンスリーマンションに住む友人を訪ねる会だった。胎教には到底向かない話を聞かせてしまうことを恥じながら、我々はひたすらに男がどうだこうだと話し続ける。

「彼氏と別れてからさ、ちゃんとへこんだの?」

ベッドを挟み部屋の反対側に座る友からの言葉にはた、と立ち止まった。へこんだらおちてしまうと思ったから絶対におちないって決めたの、と答える。そっかーそれができるのはすごいね。

会は踊る。

「前の前の彼の話をしてるの、すごく楽しそう」

わたしが最初の恋人との喧嘩の話をしたら、また別の友に言われた。今度は右隣り。その恋人は、とても優しい普通の青年だった。そこでもう一度はた、と立ち止まった。

会は踊り続けている。

え、え、え、と驚く友人たちをしり目に、わたしはベッドの中央にスマホを置き、みんなの前でTakashiの連絡先をすべて消した。Takashiとは爆弾メンヘライケメンの名である。アプリもラインも、登録名がTakashiだった。

さてわたしの頭の中になにがおきたのか。

数日がかりでひたすら物思いにふけり、わたしは自分が恋人との別れにきちんと向き合えていなかったことを理解した。元恋人は変わり者だった。だからこの半年間、必死で彼の代わりとなる”変わり者”を探していた。Takashiが気になったのは、彼が変わり者ランキングでこの半年間での圧巻のハイスコアをたたき出していたから。アプリで出会う男の面白エピソードに事欠かないのは、わたしが変わり者を選りすぐってやりとりしていたから。

彼女たちの言葉で、そのことに気づいた。そうしたら、自分でも驚くほどあっさりと男たちを手放すことができた。

元恋人のことはもう好きではなかった。彼と別れて本当に良かったと、それは今でも思っている。未練はない。心の澱が晴れて、毎日は澄み、生きるのはずっとずっと楽になった。そもそもわたしの恋人だったそのひとは、もうこの世にいないと思っている。わたしがとても嫌いな類のごてごてしたリングを両手につけて出社している彼を見て、確信した。あの頃の彼はもう、わたしの記憶の中にしかいない。

だけど。

彼と一緒にいるのは楽しかった。イタリアでどぎまぎとロードトリップをする相棒を、ラオスでゆったりと真夜中のスコールを見つめる親友を、わたしは失った。この事実に最初は悲しみ、そしてゆっくりと、焦りが押し寄せた。わたしと世界を楽しんでくれた彼がいなくなるのと同時に、彼と世界を楽しんでいたわたしもまた消えてしまう。変わり者で芯のある彼はわたしにとって人生を楽しむお手本のような人だった。彼が自身を愛でているとなりで、わたしはわたしを愛でる方法を学んだ。こうして書いていると、彼への気持ちはどこかよこしまだ。

だから必死で、”彼の代わり=変わり者”を探していた。

そのことに気づいたことは、彼との別れに向き合うことと同義だったように思う。すると、Takashiをゴミ箱に入れるのはとてもたやすかった。達者でな、Takashi。

そんなこんなでわたしは今日、好きなことをしている。デニムシャツも白いニット帽もコーヒーも、全部好きなもの。完璧だ。コーヒーのついでにレモンケーキを買ったし、夕飯には絶対にビシソワーズに挑戦すると決めている。この秋、手に入れたブレンダーはとても優秀だ。

相変わらず、わたしは自分がふつうになってしまうのが怖い。とはいえ、個性を貫いて恋人ができないのも怖い。まったく、困ってしまう。でも、分かってもいる。自分の好きなものを大切にし続けて、それごと好きになってくれるひとを待つのがいちばん正しいのだ。ううう、と恐れおののきながらも、自分を愛して待ち続けるしかない。心の中の矛盾を受け入れることはとても大事なことだ。


小説家というのはこういった学びや訓示を物語で伝えるのだから本当にすごい。わたしには無理だなあ、と息をつきながら、わたしは髪をニット帽に入れ込む。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?