フレンズになっちゃう

朝起きて体重計に乗ったら300グラム増えていた。いらっとして、朝ごはんにおかずを3品作った。むーん、と声に出して呟きたくなったので、呟いた。

虫の知らせでスケジュール帳を開くと、今週末の欄ががらんと空いていた。一緒に過ごしたいひとがいないか、考える。大学の頃の仲間は来月会う予定だ。高校の仲良しには先週会った。そもそも先々週に友人の結婚式があり、そこでわりといろいろな人に会ってしまったので、いまいち会いたいと思えるひとがいない。自分から人を誘う習慣があまりないから、そのハードルはとても高かった。というよりハードルが低くても飛ぶ力がない。

疲れなくて、でも会ったら心が華やぐ相手。あと、どうせならおいしいものを一緒に食べられる相手。わたしの考える"おいしいもの"はちょっと変わった国の郷土料理だから、それを一緒に楽しんでくれるのは……といろいろ考えて、結局会社の同期に連絡をした。週末はどちらも空いているとのこと。それなら日曜日の夜、異国料理に付き合ってほしい。そう頼むと彼女にも行きたい異国料理店のリストがあるそうで送ってくれると返された。そんなリストを持っている仲間がいるのは、うれしい。

小一時間ほど仕事をして、デスクを片付けタイムカードを押した。会社から20分ほど歩けば市ヶ谷駅までたどり着く。あとは有楽町線に乗れば、目的の映画館に行けるらしい。最近わたしは毎日通勤路を2駅ほど歩いている。市ヶ谷までの道はその経路から外れていて、新鮮だった。1キロ強の道のりはあっという間だった。新しい道を歩くのは楽しい。

日比谷に着いて、2階から乗らなくてもいいエレベーターに乗って4階にある映画館でチケットを発券する。スマホの画面とにらめっこしながら、はじめてのおつかいのような気分で2人分のフードを受け取ったら、ちょうど待ち合わせの相手が現れた。彼女の着込んだスーツの黒と、劇場に広がる鮮やかな赤。ひどくちぐはぐな組み合わせを見て、彼女は今楽しいだろうなと思う。わたしも楽しかった。映画が始まる直前、暗くなりつつあるスクリーンを前に「観ている間に食べてね」と手作りのクッキーを渡された。映画の後半、彼女はずっと泣いている。家族愛を描く映画だった。

なにが言いたいかというと、わたしにはいい友達がいるということである。

先日読んだ本「寝ても覚めても」にこんなセリフがあった。「恋とかって、勘違いを信じ切れるかどうかだよね」わたしが書いた一文かと思った。もちろん、作者の柴崎友香さんの言葉。でもわたしはいつからか、「恋は勘違いに始まり、友情は勘違いに終わる」という気づきを得ていた。それが、芥川賞作家の言葉と半分くらい重なっていたって、ちょっとすごい。

この気づきを得た頃のことは忘れてしまった。確か、友達関係で嫌なことがあって、友情って勘違いに壊れるよな、と思ったことがきっかけだった気がする。わたしは勘違いをされやすい。いいよ、とこいつなら言ってくれるだろう、そんなふうにわたしの陣地に入ってくる人が存外に多くて、そういう態度に辟易して距離を置くことがある。そもそも、いいよ、と言いそうな顔をしているわたしがいけない。たぬきみたいな顔だ。

一番心の核の近くにいる友達ほど、わたしの、いいよ、を過信しないのだから、不思議だ。わたしが、いいよ、と言うかどうかではなく、彼らがいいと思うか思わないかを軸に接してくれる。そんなふうに丁寧に距離をはかる人がわたしは好きだ。わたしのことを想ってくれている。

ちなみにそんなふうに友情関係について思いを馳せていたら、でも逆に恋愛は勘違いで成り立っているよな、と思った。このひともわたしともう少し一緒にいたいと思っているかもしれない、そうした勘違いの積み重ねによって、どちらかが前に進み、もう一方も歩調を合わせ、ともに進んでいく。勘違いがあっても壊れないのが恋愛なのだと思う。むしろ勘違いにどう対処するかが鍵を握る。そして勘違いがないと恋は始まらない、とも思ったりする。勘違いが、恋を生む。

恋愛に比べて友情はもっと機能的で合理的なのかもしれない。無性の愛は存在するけど、無償の友情なんて、あんまり聞かない。自分が相手にそうするのと同じくらい、自分を大事にしてくれると思えるひとのことしか気に掛けない。それを忘れて相手のことを大事にしなくなると、友情は壊れる。時々一方がひたすらに尽くす形の友達関係を目にするけど、それは主従や依存であって、友情とは少し離れたところにある気がする。

友達がいなくてもいいというひとも中にはいるだろう。でもわたしはほしい。友達がいることが誇らしい。彼らがわたしを大切に扱ってくれると、きっとわたしも相手のことを大事にできるのだろうと自信がつくから。あと、大きな声で笑えるのは友達といるときだから。

腹筋を使って、空気を震わせるように笑うのがクセだ。直したいなと思うのだけれど、すっきりするのでやめられない。

家に帰ってから祖母に電話をした。土曜日の夜、ご飯に誘う。りんごを剥いて、紅茶を淹れた。マルコポーロの茶葉を淹れるのは初めてだけど、驚くほど美味しくて驚いた。化粧品を食べているみたいに華やかな味わいがする。パソコンを開き、起動を待っていると、むんむんむんと呟いていた。呟いてから、呟いている自分に気づいて、呟きたかったのだと知った。気分が華やぐと、わたしは声を出したくなるらしい。友達といるときは、いつも大きな声を出している。

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