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●散文、雑記、詩っぽいの。

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ギンフルマの青いやつの延長とか
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2016年3月の記事一覧

散文。

 『青少年育成なんちゃらセンター』と書かれた白い乗用車が通った。頭にスピーカーを載せていた。そこからあらかじめ録音されているらしい女性の声が自動で流れ続ける。

 「21世紀は皆さんが主役です。明るい希望を持ちましょう。心と心のふれあいを持ちましょう。」

 車内ではシルバー人材からきっと時給なんぼで雇われているのであろうおじいさんが、なんの感情もなさそうな表情でハンドルを握っている。

 明るい

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ひなたのガラスに寄りかかる。

ひなたのガラスに寄りかかる。

ひなたのガラスに寄りかかる。

ぬくい。
背中が全体的にぬくい。
特に後頭部と首の後ろなんか少し熱いくらいだ。
顔は陰。
子供たちの声はガラスの向こう。

ひなたのガラスに寄りかかる。

もたれかかり過ぎると「ミシッ……」と軋む音がする。
嫌がられているみたいだ。
「加減なしに寄りかかってこないで」って。
だから完全に体を預けはしない。
少しだけ腹筋で支える。
自然、背中は少し丸まって、顔は俯く恰

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キャッチボールはいやなこと。

 

 ボールを投げるのは好きなくせに「投げ返してください」と言うことはしませんでした。
 まして「キャッチボールをしましょう」なんてとてもじゃないけど言えませんでした。
 ただただ好きに放り投げて、時たま誰かが気まぐれに投げ返してくれるのを、馬鹿みたいに口を開けてただ待っているのです。

 キャッチボールがうまくなりませんでした。
 ちゃんとやったことがないのですから当然ですけど、捕り方が変だと

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生きてそこに居てくれる人にはつい強がってしまう。

 「亡くなった人が自分に何かを伝えようとしてくれている」なんていう解釈は、ハートウォーミングだけど合理的じゃないから好きじゃない。
 これはただ「自分の心が弱っているから思い出してしまいやすい」というだけのことであって。

 廊下の角に。
 壁を隔てた向こうの部屋に。
 ふとあの割烹着姿のおばあちゃんが、いつも通り何かしているような気配を感じてしまうのは、本当におばあちゃんがそこにいるからなどでは

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ビチャビチャという水の音。

雨の午後
滴り落ちる不規則さ

そのビチャビチャという水の音が

つよかったり
よわかったりして

自分の頭の中で何時の間にひとつに凝り固まってしまっていたものを
ほぐしていくといいますか

身に合わないのに取り込んでしまった別の誰かのリズムは
雨音をじっと聴くことでしか

くずしては もらえないのかなあ
と思いました

 3月の雨はまだ冷たい

 冷えた身体はいつまでもいつまでも
 その水音に癒

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ちょいとばかりの毒。

ちょいとばかりの毒。

 ああそうさ、「希望」ってのはちょいとばかり身体に毒なんだよ。

 「希望」に限らず、人を良い気持ちにさせてくれるものは例外なく多かれ少なかれある程度の毒を含むのさ。
 けどねぇ、ちょいとくらい命縮めたって、良い気分で希望持って生きて、その毒かっ食らって速く死んだ方が幸せじゃあないのかい。

 現実的な絶望ばかり直視してたらその身体は綺麗なまんまさ。

 心を塞いで、毒を入れないようにしたって、た

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