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2016年3月の記事一覧
生きてそこに居てくれる人にはつい強がってしまう。
「亡くなった人が自分に何かを伝えようとしてくれている」なんていう解釈は、ハートウォーミングだけど合理的じゃないから好きじゃない。
これはただ「自分の心が弱っているから思い出してしまいやすい」というだけのことであって。
廊下の角に。
壁を隔てた向こうの部屋に。
ふとあの割烹着姿のおばあちゃんが、いつも通り何かしているような気配を感じてしまうのは、本当におばあちゃんがそこにいるからなどでは
ビチャビチャという水の音。
雨の午後
滴り落ちる不規則さ
そのビチャビチャという水の音が
つよかったり
よわかったりして
自分の頭の中で何時の間にひとつに凝り固まってしまっていたものを
ほぐしていくといいますか
身に合わないのに取り込んでしまった別の誰かのリズムは
雨音をじっと聴くことでしか
くずしては もらえないのかなあ
と思いました
3月の雨はまだ冷たい
冷えた身体はいつまでもいつまでも
その水音に癒
ちょいとばかりの毒。
ああそうさ、「希望」ってのはちょいとばかり身体に毒なんだよ。
「希望」に限らず、人を良い気持ちにさせてくれるものは例外なく多かれ少なかれある程度の毒を含むのさ。
けどねぇ、ちょいとくらい命縮めたって、良い気分で希望持って生きて、その毒かっ食らって速く死んだ方が幸せじゃあないのかい。
現実的な絶望ばかり直視してたらその身体は綺麗なまんまさ。
心を塞いで、毒を入れないようにしたって、た