【コラム】この世に完全懲悪はない!
勧善懲悪と言う四字熟語は、皆さんはご存じだろう。
良いことを率先しておこない,悪いことをやろうとする者を懲らしめる風潮やそうしたストーリーの筋書を、一般的には指すものだと、私は捉えているが、皆さんはどうだろうか。
しかしタイトルは誤字ではなく,私のこれから話す意図に基づき、敢えてこのようにしていることをここにご理解頂きたく、話を先に進めようと思う。
今ある現世は世知辛く,正しいだけでは通用しない、イタイ社会なのは日本だけなのだろうか?と私は常々,海外を知らずに生きて来て、日本の冷淡な社会構造に生きづらさの一端を垣間見ては、悲しい気持ちを抱いて来た。
出る杭は打たれ、寄らば大樹の影に添わねばならず、長いものには巻かれて、死に損ないの能面ぶら下げて生きている人々がいる国・ニッポン。
楯突く者は村八分にされ、そういうやり方は古いから止めようと言っても,長に忖度するから誰も賛同しないで、一人で自分の推した方法で進もうものなら、足を引っ張る輩がいる。
そう言う輩は失敗するように仕組んで来るから、その当人がしくじると、周りでそれをコッソリ笑って見ている—―と言った図があったりする。
例えるなら,浦島太郎の始まりに出て来る、亀をいじめるいたずらっ子達のような連中で、必ずと言って良いくらい,どこかの集団には何人か複数人はいる。
長は旧態依然を好み,古くて悪しき慣習は止めるような、進取の気性がない。
長自身が権力さえ握れたら,あとは何でも出来るから、それ以上の変化を望まないのだ。
ヘタに望んで人気取りをすると、その新たな波に呑まれ、自分の足元がすくわれるから。
そうしたパタンの長の下にいる者は皆,長の顔色ばかり見ている、謂わば忖度集団である。
そうした集団では、良いことは良いと言った,是々非々の発想は生まれないし、そうした新たな発想を、望む方がバカを見る。
先に言ったように,問題を改善しようと提案し、それは全社一丸となって協力し合わないと、完遂しないような行為だとしたら、協力しない輩が出て来て、言い出しっぺが言い出した分だけ、立場を悪くするような社会集団だ。
足を引っ張る,非協力的な輩は時として、調和や協調性を発揮するが、こうした,目立っているヤツは嫌いで、蹴落としてやれ!と言う攻撃の対象になってしまう。
こうした輩がいるおとなの社会が、今の日本を構成している以上,子どものイジメやそれにまつわる自殺は、これからもなくならないだろうとわたしはここに断言する。
こうしたひねくれ者らが、ガス抜きをするターゲットを、集団で探して見つけ出してはイジメの餌食にすると言った、歪みのスパイラルが続く以上,なくせないのは自明の理だろう。
しかし私がここで言いたいのは、そのことではない。
「悪貨は良貨を駆逐する」と言うように、善人が1~2人いる社会集団があっても,ネット右翼のように乱暴で偏見に満ち充ちた人が10人も集まれば、その1,2人の善人も良いおこないが出来なくなってしまうということだ。
話は飛ぶが、腸内フローラとか,今話題になっている腸の活性化の健康ブーム1つ取ってみても善玉菌が沢山いて、その中に日和見菌がいたりして、悪玉菌はゼロには出来ないバランスを保っている。
悪玉菌がひとたび増えたら、善玉菌は死滅に近い状態に追いやられてしまう。
それくらい,どこの世界にも悪のパワーには凄まじく、根強い威力が宿っている。
だから悪玉菌などに負けないように、日夜,腸活を勧めたり、からだを鍛えたり、思考を前向きにしたりすることが良いことのように,ちまたで言われている。
それは負の思考や忌まわしいものを遠ざけ、健全に生きようとする,人々のたゆまぬ努力とそうした克服心が、生存本能ときっと,どこかでリンクしているに違いないからだと、私は推論する。
それでも完全に悪をこらしめ、追放することが出来ないのは、人間哲学の,永遠の命題なのではないだろうか。(終)