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音楽を楽しむ

音楽を聴きながら何かしたくなる人は多いようだが、ある人のコラムだったかでは音のない静かな空間を味わい、音から解放されることも時には耳を休ませたり、いろいろな意味で大切である――と書かれていたのを思い出す。

【聴きながら族】の人の中にはワイヤレスもいるものの、必ず何かしらを耳に填め、耳と密着しているからなのか、外部の音に気付かないことが多い。

例えば車が進んでいる背後に無頓着で危険だったり、モノを落としましたよと声をかけているのに 知らん顔で、そこから去ってしまったりしては本人も損だし、コミュニケーションを断絶しているとしかわたしには思えない。

なのでどうしても、「ながら族」にはなり得ないわたしがいる。

以前はコードが絡んでドアに挟まれたり、引っ掛かったコードでケガや事故もあった話を聞いたが、今はないのだろうか…。

何もそんな大変な思いをしてまで、聴きたいものなのか。

移動中にさえもどうしても、聞かないといけないと言った理由は、一体何だろうか。

正気の沙汰か…?音中毒か!?と、思ってしまう。

また、音漏れにも無神経な人たちがかなりいて、何をそんなに意気がる必要があるのだろう…。

そう言うことでしか、自己表現が出来ない心のとぼしさは、実に哀しいとしか言いようがない。

更にその人は好きで聴いているものの、周囲にいる他者がその人の聴いている曲を好きでもないのに、その曲を聞かされる不快感と言ったらない。

しかも、ジャカジャカ~♬と機器を通して漏れた音は、美しい音とはとても言いがたいものだ。

このハラスメント行為,逆に言うと思いやりもへったくれもない行為――もうこれは見方を変えるとある意味、音楽を愛すると言うよりむしろ音楽を冒涜し、ナメてバカにしている行為と言えなくもないのではないだろうか。

音楽をこよなく愛するわたしは、こうした人がなくなってくれることを心より祈っている。

家にいてくつろいで流す時の音楽が、わたしの至高のリラックスタイムだ。

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1階(ひとつ)上へ/荷物ないのに/エレベーター?

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