That's Life
映画『JOKER』観ましたか?私は映画館で2回観て、2回目は1回目と全く異なる感想を抱きました。そして、この【映画『JOKER』】のような人間になろうと思いました。
この映画の定義は明確にされておらず、監督も「あなたがこの映画をどのようなレンズを通して見るかによって、それは決まる」と述べています。
監督の思惑通り、観る人によって感想が全く異なります。様々なレビューを拝見して面白かったのは、そのレビューを書いた人の価値観がよく表れていることです。
この映画には、ネタバレはないと思っています。なぜなら、自分で観ないと自分へのメッセージを受け取ることができないからです。他の人の感想を読んでから観ると、どうしても"他者の感想というフィルター"が入ってしまうので、それが気になる方は事前情報を入れずに観ることをお勧めします。それでも情報を集めてから観たいという方は、それもいいと思います。きっとそれがあなたらしさだと思うからです。
ここから先は私の感想になりますので、読まない!という選択をされる方は、ここで閉じていただけたらと思います。
冒頭で話したように、 2回観ています。いずれも特に何も考えずにただなんとなく観ていました。
1回目は主人公アーサーの視点で観ていたようです。そして深く共感・同情をしていました。私もADHDという特性があるからです。
わかっていても思うようにできない、振る舞えない。誰もわかってくれない、自分を認めてくれない。だけどきっと、誰でも同じように思っている。みんなが思っているけどできないことを、代わりに実行しよう。自分の正しさをここで証明しよう。マーレイをバーン。
本当にやりたかったのはこんなことじゃない。そんな思いと反比例するかのように、多くの人たちが自分の過ちを正しいことのように崇めてくる。違う。それでも、皆が喜ぶなら、笑おう。 悲しいな、そんな感想でした。
2回目は、アーサーを客観的に観ていました。そして私の最終的な感想は【誰もが幸せに生きることができる】です。
私も馬鹿にされることは嫌いですが、マーレイがアーサーをテレビに呼んだのは、チャンスを与えたかったからだと思うのです。アーサーが人気者になるには、アーサーの特徴を生かすべきだと考えた。そして司会者として"適切なツッコミ"を入れた。実際、観客からは笑いが起きたのです。
「自分はズレているのかもしれない」そう感じたら、何がどうズレているのか解明していく必要があるかと思います。アーサーはコメディアンになるために"人はどんな状況で何を感じ、笑うのか"調査していました。ただ、自分のことを受け容れ、他者との違いを知るという点が足りなかったと思うのです。それがわかれば、ステージ上で「馬鹿にされた」という主観だけでなく「この状況で笑いが起きた理由は何か?」と少し冷静になることができたはずです。
もし"2回目に観た私"がアーサーのカウンセラーだったら、仕事の同僚だったら、マーレイの立場だったら、アーサーの望む未来のために何かできたかもしれないと、勝手ながら苦しい気持ちになりました。
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私の書いたこの記事も、読む人によって異なる感想を抱くことと思います。それでいいと思います。
生まれてから今まで全く同じ経験をしてきた人はいないのだから、誰が何を感じようが表現しようが自由であり、自分と違うからと排除する人がいても仕方ないです。「わざわざ傷つける必要はない」それだけです。
私は自分の人生は"悲劇"だと思っていましたが、見方を変えたら"喜劇"なのかもしれない。そう思ってから、生きるのが少し楽になりました。誰も同じ人間はいない。自分のレンズは外せないのだから、いろんなレンズを借りて付けたらいいですね!
観る人によって異なるメッセージを受け取れるように作られている。どんな人でも受け入れてくれる、誰も置き去りにしない、そんな優しさを感じるこの映画が、私は大好きになりました(^^)
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