はみ出す

あなたは既にはみ出している─「場づくり」が必要な理由

いきなり結論から書くと、「場づくり」をしようというような人は、多かれ少なかれ「はみ出して」いる人たちです。

場をつくる必要があるのは、ちょうどいい場が、自分の身の回りには存在しないからですよね。似たようなものはあっても、本質が違う。方向性は同じでも、不足感がある。必要だと思う場が、社会にはないわけです。

だからこそ、自分で場をつくる「必要感」が生まれます。

自分の内側(心のなか)と、外側(自分を取り巻く社会)が、それぞれあります。そして、自分の内側には、「思い」があります。それは何らかの「問題意識」であり、「テーマ」であり、「やりたいこと」です。

そして、その「思い」は、日常の場では十分に発揮出来ない。内側にはあるのに、外側にはない。内側と外側のアンバランス。この解消欲求が、「場づくりの必要感」の正体です。

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社会にはこんなに様々な場があるのに、それでも「それじゃ足りない!」「自分の思いを生きるための場がない!」と思うなんて、なかなかの“はみ出し者”ですよね(笑)。僕もその一人です。

でも、この「はみ出し」は、社会の希望になると、僕は考えています。あなたの「はみ出し」は社会の希望であり、可能性です。その人が自分の「はみ出し部分」を大切にして「場」をつくれば、新しい価値や困難な問題の解決策が見つけられるかもしれません。

じつはあなたも「はみ出して」いる

自分で「場」をつくろうとか、そんなことに興味がない人もいます。いまの暮らしや、社会的なポジションにも概ね満足している人もいるでしょう。
とはいえ、人は、露骨に分かりやすくはみ出していなくても、内側には、日常の様々な場では発揮しきれない「思い」を抱えているものです。

「いや、はみ出してなんかいないよ、私は見事に収まっていますよ」

という人も、他人の目を気にせず自分に正直になってみると、思いがけない「はみ出し」が見つかるかもしれません。

はみ出すことへの根深い抵抗感

なにかと「和」と「協調」を求められる日本社会では、はみ出すこと、目立つことへの抵抗感はとても大きいようです。

でも、人は一人ひとり違うし、社会には、「ちょうど自分の形をしたくぼみ」など存在しません。似たようなくぼみに入ってみても、窮屈で首や肩が痛くなったり、なんだかお尻のあたりがスースーして落ち着かなかったり、形はいいようでもなんだか嫌な臭いがしてきたりするかもしれません。

こういう居心地の悪さを、諦める必要なんてないです。

「いや、そういうのを我慢してこそ一人前なんだ!」みたいなことを言う人たちは、自分が我慢してそこまで生きてきてしまったことを、他人にも同じ生き方を強いて正当化しようとしているだけです。そういう人になにか言われたら、華麗にスルーしましょう。

社会通念や他人の目に囚われない大切さ

「はみ出すこと」は、争うことではありません。

社会通念に縛られないこと、他人の目に囚われないことは、アナーキーなことでもなければ、自分勝手なことでもありません。根本にあるのは、「分からないことを、自分の頭で考えて、判断する」という姿勢です。

「場づくり」をしようとすると、たぶん、だれかになにか言われます。社会的トレンドに根ざして無難にやれば、周りからたくさん「いいね!」と言われるかもしれませんが、真摯に自分の求める場を追求すれば、なにかしら言われます。でも、そのうち収まります。

でも、他人がどう思うかなど、どうでもいいことなのです。

目立つことを過剰に恐れないでください。所詮、狭い世界の出来事です。自分に「はみ出している部分」があることを、文句や落胆、自分への弱小感につなげないでください。

「社会に自分の形をしたくぼみなど存在しない。だから、自分でつくる」

あなたは、当然のことを、まっすぐにやろうとしているだけです。

「はみ出し」を、「場」として昇華すると、希望が生まれます。それは、あなたにとっての希望ですが、他のだれかにとっても希望になり得るのではないでしょうか?

いまでは当たり前になった社会課題も、はじめはただのキワモノでした。どこかのはみ出した奴が、他のはみ出した奴を集めて、はみ出したことをやっている──最初は、どんなことでもそうなのです。

その「場」がある日常と、その「場」がない日常では、傍目には同じようでも、当事者には大きな違いがあります。僕は「場づくり」というのは、人々が抱える「はみ出し」を、社会の希望に変換する装置だと考えています。

\Question/
あなたの「はみ出している部分」は
どんなところですか?
それをどんな「場」に
つなげていけるでしょうか?


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