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無理と努力をやめた後に残るものとは?

25年前、僕が代表をしているれんげ舎をつくったとき、メンバー間でよく言っていたのが「無理と努力はやめよう」ということでした。無理したり努力したりして褒められることもあるけれど、そういう輪を脱出したからこそ、立ち現れてくるものがあると信じたからです。

無理と努力が礼賛される日本社会

無理したり努力したりしている人のこと、日本社会って好きですよね。苦労話とかも大好き。それに対して、「運がよかったおかげで幸せです」みたいな話は、あまりウケませんね。どれも所詮他人の話なのに、変なものです。

僕は中学の時に入った部活(ちなみに軟式テニス部)がつまらなくて、先輩たちにすごくしごかれて(そういうのがありな時代…)、やめたくてやめたくて仕方がなかったのに、言えなかった思い出があります。

とは言っても、2学期の途中にはやめたのですが、それを親や顧問の先生、そして同じ部活の友達に言い出すことが、なかなか出来ませんでした。部活も苦しいし、やめたいと言えないのも苦しい。

みんな、朝練とか土日の練習とか、めちゃくちゃ努力してがんばっているのに、自分から逃げ出すことが恥ずかしくて、言い出すまでに長い葛藤がありました。やっと言い出せた日、本当に心からほっとしたのを覚えています。

無理と努力を出来る人材が求められていた

高度経済成長の日本を支えたのは、無理と努力だったと、僕は考えています。「月月火水木金金」で、土日返上で働いて、日本は驚くべき戦後復興を遂げました。

そして、その時代の公教育は、従順で集団行動が出来て、滅私奉公で無理と努力が出来る人材を育成していました。

教育って聖域みたいに扱われがちだけど、良いとか悪いとかでなく、「公教育」はその時に国が欲しい人材を育成するためのカリキュラムが組まれます。無理と努力が出来る人材は、時代の要請に即した人材だったのです。

こう書くと不幸な話みたいですが、それは令和の価値観で昭和を見るからです。当時は無理と努力をすることが(がんばって勉強して受験を勝ち抜き良い会社に就職することが)、安定という名の幸福モデルに直結していたのです。

もちろん、受験戦争と言われるような教育の荒廃や、社会的にも公害問題などが生み出され、問題はたくさんありました。それでもなお、幸せになるために、無理と努力は一定の合理性を持っていました。

無理と努力をやめたら自分には何が残る?

れんげ舎をつくった25年前。無理と努力は辛いけど、それを続けているということで、どこか自分を正当化するような感覚がある時代でした。

でも、大人が無理と努力をし続け、そのことを通して子どもに「もっと無理して、もっと努力しなきゃダメだよ」という有形無形のメッセージを発することが、子どもにとって大きな負担になっていることを、われわれは自分たちの活動を通して知りました。

ありのままの自分で世界とつながることに取り組むとき、無理と努力は、それを難しくします。他人から見て無理や努力に見えても、没頭している本人にとって充実と幸福でしかないなら(そしてそれが病理性を帯びていないなら)、それはこの場合の無理と努力ではありません。

でも、自分の本当の思いを殺して、無理と努力をしてきたなら…?

無理と努力をやめることこそが、人生のしゅぎょう、自分らしく生きるための課題ではないか──当時のれんげ舎メンバーは、そんな風に考えました。

あなたはいま、日常的に無理と努力をしていますか?
もしそれをすっかりやめてしまったら、あなたには何が残りますか?

やめてみないと何が残るのか分からないけれど、そこにはきっと「あなたらしい何か」があるはずなのです。

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