おさとうをひとつ

「わたしの日常に、お砂糖をひとつ。」 はじめまして。佐藤といいます。大学生の時にバイト…

おさとうをひとつ

「わたしの日常に、お砂糖をひとつ。」 はじめまして。佐藤といいます。大学生の時にバイト先で名付けられた、おさとうさん、というあだ名が気に入っていました。このnoteは日々の記録であり遺書です。普通の、普段のわたしの中に、わたしの幸せがあると信じています。

最近の記事

一肌脱いで、背中を流す。家族っていったいなんだろうね。

 5月24日に、ばあちゃんが80歳になった。  ばあちゃん、といっても血のつながりは全くない。あ、こういうと大抵、ややこしい事情がある思われて、聞いてくれる人の表情が曇るのだけれど。  曇り空のような事情はひとつもない。本当に、ただ近所に住んでいるだけのばあちゃんなのだ。私たちの関係は正真正銘の「ご近所さん」である。それだけ。  昨日も一緒に夜ごはんを食べた後、ふたりで温泉に行って、一緒にじりじりとサウナの暑さに耐えてから、背中をながし合いっこした。月に1度の恒例行事だ。  

    • 長く大事にしてきた人が昨夜、「今はまだいいかもしれないけど、俺とこの先ずっと一緒にいるとか地獄だよ」と言った。彼はその先を口にしなかったけれど、本当に俺なんかでいいの、と聞こえた気がした。大丈夫。今がずっと続いたら自然とこの先になるから。地獄だったとしても何が悪い、と思ってるよ。

      • 長生きには興味がないけど、新調したコートは最高に可愛い。

         別に長生きしたくないな、おばあちゃんになれなくても全然いいや、と高校生の頃からそう思っている。長く生きること自体に興味がなく、むしろ少し遠ざけたいような気持ちになって、もう約10年が経つ。  これを口に出すと、聞き手から返ってくるフレーズランキング第1位は「えっなに?病んでんの?」だ。けれど、明確に今や将来に絶望している訳ではない。たぶん。  ぼんやり、この気持ちに近いことはなんだろうなと考えて、思い浮かんだのは喫煙のことだ。  身体に悪いとわかっていながら、今吸うこ

        • うまくいかない時は風向きを変えよう。風を止めることはできないのだから。

          「物事にも風向きがあるんだよ」と教わった。  うまく進むことができない時は向かい風。ただ運が悪いことが原因な時もあるし、自分で風に向かうことをわざわざ選んでいる時もある。それなら、自分が向く方向を変えて、風向きを変えればいい。風は止めることはできないのだから、と。  そう話してくれたのは私がレッスンを受けに通っているヨガの先生だ。彼女のもとにパーソナルレッスンに通うようになって、ちょうど1年が経つ。  彼女は暖かくて身体の底の方にどっしりとしたパワーのある人だ。太陽か月なら

        一肌脱いで、背中を流す。家族っていったいなんだろうね。

        • 長く大事にしてきた人が昨夜、「今はまだいいかもしれないけど、俺とこの先ずっと一緒にいるとか地獄だよ」と言った。彼はその先を口にしなかったけれど、本当に俺なんかでいいの、と聞こえた気がした。大丈夫。今がずっと続いたら自然とこの先になるから。地獄だったとしても何が悪い、と思ってるよ。

        • 長生きには興味がないけど、新調したコートは最高に可愛い。

        • うまくいかない時は風向きを変えよう。風を止めることはできないのだから。

          コンビニで缶チューハイを見ては、あなたのことを思い出す。

          好きな人に振られた。今日でちょうど、2ヶ月が経った。  彼との約8ヶ月間の出来事を、信頼している友人達に聞いてもらったところ、5分の5の確率、つまりは100%の割合で「そんなダメな男、さっさと縁が切れてよかったと思いな!」と言われた。 その内の1人には「もし結婚相手としてそんな人を連れて実家へ行ったら、親泣くよ…」とまで言われた。私の好きな人ってそんな人みたいだ。  本人に加えて出会い方も、世間的に「イマドキだね~(笑)」と言われそうな方法だった。だから、住んでいる場所は日

          コンビニで缶チューハイを見ては、あなたのことを思い出す。

          何度忘れたって大丈夫、私が何度でも教えるから。

          「80年生きたのに、まだまだ知らないことがたくさんあるの。若い人に任せきりにしないように、日々勉強しなくちゃあ、ね。」とカラリと笑う。 私が着物を習っている先生は今年で78歳。いつも少し多く自分の年を言うところがとってもキュートなおばあちゃんだ。名前は律さんという。  国語辞典によると、律という漢字には「人として進むべき正しい道」という意味があるそうだ。  いつも背筋をしゃんと伸ばして歩く。困っている人がいたら決して放っておかない。人の悪口は言わずにカラッと過ごす。日々新し

          何度忘れたって大丈夫、私が何度でも教えるから。

          25歳がnoteで遺書をかきます。

          私が今まで生きてきて、明確に自分の死を意識した出来事はふたつある。 ひとつは23歳の時に発症したパニック障害の、一番最初の大発作の時。 もうひとつは24歳の時に交通事故を起こした時だ。 特に交通事故の時は「あ、人って意図しないまま、こんなに簡単に死ぬんだなあ」と、ハンドルを握ったままぼんやりそう思ったことを覚えている。 単独事故だった。雪道でスリップし路外へ転落して、車ごと上下逆さまになった。 運転手の代わりに、死ぬほど可愛がっていた愛車は廃車になった。今思い出しても泣けて

          25歳がnoteで遺書をかきます。