おさとうをひとつ

このnoteは日々の記録であり遺書です。

おさとうをひとつ

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最近の記事

「お前のせいで私の人生、めちゃくちゃだ」

昨晩、若い女の子が泣きながらそう訴えているのを呆然と遠くから見ていた。 好きな人がしているバーのカウンター席で、突然知らないカップルの喧嘩がはじまり、その場にいた全員が巻き込まれたからだった。 昨日は年に一度の夏祭りの日。夜が深くなるにつれて賑わいも落ち着いて、やっと静かになった頃のこと。 それまでは好きな人がお祭りにちなんだ話を楽しそうにしてくれるのが嬉しくて「俺、金魚すくいめっちゃ上手なのよ!!8匹はいけるから!!」って話に頷きながら、ニコニコしていたところだったのに。

    • 熱と一緒にしか出ない、私の弱さと強かさ

      多分私は「自分の ぐんにゃりとした、歪んだ部分を出すと どうせ嫌われる」という思い込みがあって ずっとずっと明るくて前向きな表面だけを言葉にしてきた気がする。 もちろんその陽の部分もわたしに間違いはなくて嘘ではないのだけれど、 ちょうど発熱で弱っていて、自分のヘナヘナした気持ちが もうどんどん出てくるため、 これを機に、自分のザラザラしたところ…人間味みたいなものをもっと出して、自分をゆるして生きたいと思ってる。 あとなんだか怖いのか自分が好きなのか、ついどうでもいいような小

      • 「おいしいね」の向こう側には、この先もずっと貴方がいますように。

        思えば今まで、わたしは関わった人間をタバコの銘柄と、香水や柔軟剤の香り、そして好きな曲で覚えてた。 だから今でも、道端に捨てられたタバコの箱を見て以前好きだった人との会話を思い出したり、 道ゆく人から一瞬した懐かしい香水の匂いに思わず振り返ってみたり、 Spotifyのおまかせ選曲で流れた曲を聴いて、付き合うことのなかった人との夜を思い浮かべたりする。 今までずっとそうやって生きてきたのだけれど、 30歳を目前に初めて、ごはんを食べた時や出かけた先でおいしいものを見つけた時

        • 自分で諦めた愛だから、自分ひとりで片付ける。

          大好きだった人について書いた記事が ずっと下書きに残っていて ああ、こんなに誰かを好きになれた人生でよかったのかもしれないなって、やっと思えたので公開します。 髪を乾かしてくれる大きくて骨の太い手と、ドライヤーの暖かな風が心地いい。洗面台の鏡に映る自分の表情が緩んでいるのがわかって、他人事のように安心してたのも、もう遠い日のことになった。 初めて会って1泊したその日、「こういうの憧れてたんだ」とニコニコしながら、ホテルの鏡の前で髪の毛を乾かしてくれたんだっけ。 2月3日に

        「お前のせいで私の人生、めちゃくちゃだ」

          「それは愛だね」「うん、愛だよ」

          「明日死ぬってわかったら、最後に何食べたい?」 前にそう聞かれた時のこと。 その場にいた人たちがみんな真剣に好き嫌いを考えながら、うーん、と迷う中、 私は「絶対に正吾さんにオムライス作ってもらう!」と即答したくらい、私は彼が作ってくれるごはんが大好き。 味が美味しいのは本当に もちろんなんだけど 彼にご飯を作ってもらう、ということ自体が嬉しくて、少し特別な気がして好きなんだと思う。 先日、私がずっと食べたい食べたいと言っていた 春巻きを、私だけのスペシャル定食として作っても

          「それは愛だね」「うん、愛だよ」

          チョコレートミントみたいな夜。

          わたしが もしも宇多田ヒカルさんだったなら、 きっと1曲書けてしまうような そんな、チョコレートミントみたいな夜があった。 まだひんやりとしている夜明け前の空気。 冷えてしまった脚を脚で挟んでくれて「冷た!寒かったー?」と笑い合ったこと。 うさぎみたいな触り心地のチョコレート色の毛布にふたりで包まってニコニコしたこと。 31のお気に入りフレーバーの話で子どもみたいに盛り上がったこと。 初めてしたキスは少しだけミントの味がして、優しくて柔らかかったこと。 たくさんの安心とほん

          チョコレートミントみたいな夜。

          一肌脱いで、背中を流す。家族よりも家族だね。

           5月24日に、ばあちゃんが80歳になった。  ばあちゃん、といっても血のつながりは全くない。あ、こういうと大抵、ややこしい事情がある思われて、聞いてくれる人の表情が曇るのだけれど。  曇り空のような事情はひとつもない。本当に、ただ近所に住んでいるだけのばあちゃんなのだ。私たちの関係は正真正銘の「ご近所さん」である。それだけ。  昨日も一緒に夜ごはんを食べた後、ふたりで温泉に行って、一緒にじりじりとサウナの暑さに耐えてから、背中をながし合いっこした。月に1度の恒例行事だ。  

          一肌脱いで、背中を流す。家族よりも家族だね。

          長生きには興味がないけど、新調したコートは最高に可愛い。

           別に長生きしたくないな、おばあちゃんになれなくても全然いいや、と高校生の頃からそう思っている。長く生きること自体に興味がなく、むしろ少し遠ざけたいような気持ちになって、もう約10年が経つ。  これを口に出すと、聞き手から返ってくるフレーズランキング第1位は「えっなに?病んでんの?」だ。けれど、明確に今や将来に絶望している訳ではない。たぶん。  ぼんやり、この気持ちに近いことはなんだろうなと考えて、思い浮かんだのは喫煙のことだ。  身体に悪いとわかっていながら、今吸うこの

          長生きには興味がないけど、新調したコートは最高に可愛い。

          うまくいかない時は風向きを変えよう。風を止めることはできないのだから。

          「物事にも風向きがあるんだよ」と教わった。  うまく進むことができない時は向かい風。ただ運が悪いことが原因な時もあるし、自分で風に向かうことをわざわざ選んでいる時もある。それなら、自分が向く方向を変えて、風向きを変えればいい。風は止めることはできないのだから、と。  そう話してくれたのは私がレッスンを受けに通っているヨガの先生だ。彼女のもとにパーソナルレッスンに通うようになって、ちょうど1年が経つ。  彼女は暖かくて身体の底の方にどっしりとしたパワーのある人だ。太陽か月なら

          うまくいかない時は風向きを変えよう。風を止めることはできないのだから。

          コンビニで缶チューハイを見ては、あなたのことを思い出す。

          好きな人に振られた。今日でちょうど、2ヶ月が経った。  彼との約8ヶ月間の出来事を、信頼している友人達に聞いてもらったところ、5分の5の確率、つまりは100%の割合で「そんなダメな男、さっさと縁が切れてよかったと思いな!」と言われた。 その内の1人には「もし結婚相手としてそんな人を連れて実家へ行ったら、親泣くよ…」とまで言われた。私の好きな人ってそんな人みたいだ。  本人に加えて出会い方も、世間的に「イマドキだね~(笑)」と言われそうな方法だった。だから、住んでいる場所は日

          コンビニで缶チューハイを見ては、あなたのことを思い出す。

          何度忘れたって大丈夫、私が何度でも教えるから。

          「80年生きたのに、まだまだ知らないことがたくさんあるの。若い人に任せきりにしないように、日々勉強しなくちゃあ、ね。」とカラリと笑う。 私が着物を習っている先生は今年で78歳。いつも少し多く自分の年を言うところがとってもキュートなおばあちゃんだ。名前は律さんという。  国語辞典によると、律という漢字には「人として進むべき正しい道」という意味があるそうだ。  いつも背筋をしゃんと伸ばして歩く。困っている人がいたら決して放っておかない。人の悪口は言わずにカラッと過ごす。日々新し

          何度忘れたって大丈夫、私が何度でも教えるから。

          25歳がnoteで遺書をかきます。

          私が今まで生きてきて、明確に自分の死を意識した出来事はふたつある。 ひとつは23歳の時に発症したパニック障害の、一番最初の大発作の時。 もうひとつは24歳の時に交通事故を起こした時だ。 特に交通事故の時は「あ、人って意図しないまま、こんなに簡単に死ぬんだなあ」と、ハンドルを握ったままぼんやりそう思ったことを覚えている。 単独事故だった。雪道でスリップし路外へ転落して、車ごと上下逆さまになった。 運転手の代わりに、死ぬほど可愛がっていた愛車は廃車になった。今思い出しても泣けて

          25歳がnoteで遺書をかきます。