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長生きには興味がないけど、新調したコートは最高に可愛い。

 別に長生きしたくないな、おばあちゃんになれなくても全然いいや、と高校生の頃からそう思っている。長く生きること自体に興味がなく、むしろ少し遠ざけたいような気持ちになって、もう約10年が経つ。

 これを口に出すと、聞き手から返ってくるフレーズランキング第1位は「えっなに?病んでんの?」だ。けれど、明確に今や将来に絶望している訳ではない。たぶん。

 ぼんやり、この気持ちに近いことはなんだろうなと考えて、思い浮かんだのは喫煙のことだ。
 身体に悪いとわかっていながら、今吸うこの一口が幸せだから手放せない。何十年先の自分の健康のことや寿命への影響は割と遠く感じて他人事。結局、この瞬間のおいしさが今の自分に必要だから、習慣も相まって結局やめられない。

 煙草を吸ってしまうことは、私が今日も生きてしまうことにそっくりな気がする。

 生きているとつらいことがたくさんあるとわかっているのに、時々ある幸せな瞬間に期待するせいで今日急いで死のうとまでは思わない。けれど、将来の自分の幸せとなると、明確に想像できなくてどこか他人事。26年間ただ生きてきた習慣が相まって結局やめられない。

 まあ、実際そうは言いながらも、生活の隙間にある時間を使っては、今年の冬はどんな格好で過ごそうかなあ、とスマホを片手に、ショップをワクワクと眺めていた。
 そしてふと、「あ、わたし冬までは生きようって思ってるな」と気付いては、くすぐったいような残念なような気持ちになることがよくあった。

 わたしにとって、明日を生きることは想像できるし手が届くことだ。
 同じように、もうすぐ来る今年の冬くらいのことなら想像できたから、他人事にはならないだけだと思う。近い将来の自分の機嫌くらいなら、自分で責任を持つことができるし、そうできる自分のことは結構気に入っている。
 ちなみに今年の冬を過ごす自分のために、と秋口にいち早く新調したコートは、毎日眺めては幸せな気持ちになるほど素敵で可愛い。

 けれど、10年先、20年先、50年先の自分のために、何かいまから備えようというのは私には無理みたいだ。そんな先のことまで手が届く気がしないから自分のことなのに他人事だ。私はそういう質の人間なのだと思う。
 それでも、今日と明日の自分のためになることを積み重ねて、気付けば10年経っていた!という暮らし方ならできると思っていて、自分にはそれが向いているのかもしれない。
 遠い未来のことを想っての投資は難しいけれど、今この瞬間の積み重ねの結果が、地道に未来へつながっているということならピンと来る。

 それにしても、長生きしたいと口を揃えて言う人たちに理由と聞くと、かなりの割合で「生きてさえいればいいことがあるから」という返答が返ってくるのはなぜなのだろう。
 私は「こんなことなら死んだ方が楽」と思う割合の方が生活の中に多いからそうは思わないんだよなあ。この辺を美味しいホットケーキとココアをお供に、ゆっくり話せる人がほしい今日このごろ。


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