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25歳がnoteで遺書をかきます。

私が今まで生きてきて、明確に自分の死を意識した出来事はふたつある。
ひとつは23歳の時に発症したパニック障害の、一番最初の大発作の時。
もうひとつは24歳の時に交通事故を起こした時だ。

特に交通事故の時は「あ、人って意図しないまま、こんなに簡単に死ぬんだなあ」と、ハンドルを握ったままぼんやりそう思ったことを覚えている。
単独事故だった。雪道でスリップし路外へ転落して、車ごと上下逆さまになった。
運転手の代わりに、死ぬほど可愛がっていた愛車は廃車になった。今思い出しても泣けてくるけれど、自身は掛けていた眼鏡が頭に刺さった以外に、大きなケガはなかった。

とはいえ、事故から時間が経つにつれアドレナリン切れになり、全身打撲の痛みに耐えきれず自宅で数日寝込んだ時に「あ、遺書でも書こうかな」という気持ちになった。悲観的になった訳ではなく、死んでしまっては口なしという言葉は本当だと思ったからだ。

それから、テーブルの前で正座し、便箋に親しい人の名前を書いて、ひとりずつに向けて伝えたいことを綴ったこともあったけれど、私にはその方法が向いていなかったようで、完成することなく今に至っている。
便箋の上には、カチコチにドレスアップした言葉が並んでいた。私が伝えたいことって本当にこんなことなのかなあ、と思ったから、今は書きかけもすべて処分してしまった。

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25歳。一応、世間ではまだ若いと言われがちな年齢で、何かの疾病で明確に余命が決められている訳ではない。
でも、人間の致死率って100%だ。生きている限りどんな人でも、絶対にいつか死ぬ。

私は、手紙をしたためる代わりに、私が日々関わる人たちとの時間を記録したいと思った。人と関わったことで私が思ったこと、変わったこと、選んだこと、感じたことをただ並べていく。
そうすれば、私が生きている間はいつでも読み返せる希望の積立になるし、
もしも私が急に死んだ時には、これを見てもらえたら、記録に出てくる人たち、つまりは私にとって大切な人たちへの遺書の代わりになるんじゃないかと思うから。
なにより、私が大事な人に一番伝えたいことは、きっと死に備えて特別に装飾した言葉や想いではないように思うから。

私が大好きなヨガの先生は、
「言うのはこっちの勝手、聞いてどうするかは向こうの勝手」とよく話す。
言うのは私の自由で、私の想いや記録をどう受け取るか、どう思い出すかはあなたの自由です。

さらに勝手に言うと、私はこれから記録に登場する人たちのことが大好きで、おかげであんなに誰とも関わりたくなかった私が、人と関わるっていいかも、と思えるようになった。そこにはキラキラした価値あると、やっと思っている。

これから書いていく私の日々の記録は、私のための希望の積立であり、あなたへの遺書であり、ラブレターです。


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