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わたしの国、あなたの国、わたしたちのクニ【ショートショート】

あるところに青い蒼い国がありました。
とても青く、澄んだ国でした。
水で満ちて、光が満ちて、物静かで、良きものもすべて循環されている、美しい国でした。

またあるところに黄色い山吹色の国がありました。
オレンジや黄色の花が咲き乱れ、それはもう明るく陽気な国でした。

国というものは、
栄えれば栄えるほど、それぞれの悩みもあるものです。

蒼き国は地下水道の滑りに苦心していました。
水は流れが止まれば濁り、滞れば腐ります。
綺麗な国にするために、ただひたすらに下水として隠していました。
そのため、他国からは
それはもう美しい国として有名でした。

黄の国はおとなしくなれないことに苦心していました。
イベントといえば…
仕事ができるといえば…
明るいといえば…
そう、黄の国なのです。
ときには、思慮深く内省することも、泣くことも、落ち込むこともあるのに「黄の国は陽気で、明るく、つらいことも笑い飛ばす」と有名でした。


蒼き国から見ると黄の国はとても魅力的に見えました。
自分にないものを持っているから。

黄の国から見ると蒼き国の思慮深さは、自分の内面を表しているようでした。


あるとき、
黄の国から、外交の依頼が舞い込みました。

「今のわたしたちには、蒼き国の思慮深さや美しさが必要です。どうか行き来しやすいように、虹の橋をかけても良いでしょうか?」と。

蒼き国は喜びました。
憧れていた相手からの申し出です。
断る理由なんかありません。条件だけ見たら100点過ぎるほど!
他国に人気の…あの黄の国からの外交依頼です。
二つ返事で了承しました。



虹の橋を通り、行き来が始まりました。
天からも遊びに来るものもおりました。
皆が口を揃えて言います。
「よくなった」と。

蒼き国には明るさがプラスされ、国民が明るくなり人間味を帯びたと褒められます。
黄の国は落ち着きが出たと褒められます。

そんなときです。

天から2つの種を預けられました。
ひとつは蒼き国へ。
もうひとつは黄の国へ。
それぞれの国に埋めました。
「育てなさい」と……。


黄の国は
それはもう楽しそうに、大事に育てました。
蒼き国は
初めはよかったのですが、
何年か経つと「これは勝手に育つのだ」と思い、水を上げるのをやめました。
黄の国は2つの成長を見守りました。
蒼き国が水を上げないのは、可哀想…と
せっせとどちらにも目をかけ、手をかけ、心を傾けました。

蒼き国は、
それを横目で見ながら、
黄の国が来た時はもてなし、なにかお土産を持たせるものの、
何年も続くうちに忘れていきました。
「毎回来てるし」という甘えがあったのでしょう。


蒼き国の悪い癖。
水に流していったのです。
全ての思いも努力も、水に流してなかったことにしていきました。

黄の国のものたちは、怒り悲しみました。
黄の国は明るい国。
そして、その明るさでつらいことを乗り越えてきた国。人のために明るく振る舞ってるだけのときだって、もちろんあるのです。
だからこそ、今回も明るく前向きに蒼き国と,交渉しました。


自国の努力を流そうが、
自国のものを流して無かったことにするのはかまいません。
でも、黄の国は、蒼き国ではないのです。
他国なのです。
黄の国の者たちの努力を、優しさを踏みにじることは許しません。

と、
明るく丁寧に伝えました。

あい、わかった。
と言ったのも束の間、水に流していくのです。
蒼き国は水に流すことをいいことだと思っているので、
黄の国の優しさや努力だけでなく、
尊厳までも踏みにじっていることに気が付きませんでした。流していったのです。
流されれば流されるほど、黄の国は傷つきました。
自国を考えてもらえてない、と思うようになりました。
「どうか、流さないで当事者として取り組んでほしい」
という願いも
「今のままで滞りないのだから、何が問題なのだ?」と言われてしまいます。


蒼き国の文化である「思慮深く、水に流そう」という価値観に
黄の国「明るく楽しく取り組む」がミックスされた結果……

どうなったか、もうお分かりですね。


「つらいことは水に流して、明るくいようよ」

となりました。

思慮深さを捨て
反省を捨て
内省を捨て
他人への「持ちつ持たれつ」という意識を捨て
明るく自分勝手になっていったのです。

そして、
地下水道のぬめりも、見て見ぬ振りすることにしました。

10年という時間は、もう違う方針に変わってしまったのです。


黄の国はというと、
明るく楽しく前向きに元気よく、が、方針です。
頼んでも交渉しても、
変わらないのなら自国の民でがんばります。
「みんなで協力し合えば乗り越えられるよ」とタフなのです。

そして
自国で無理な分は、他国にもお願いするのです。
「今回負担させちゃった分は、どこかでお礼するからごめんね」と
頼りになる仲間たちがいました。


よく考えてみてください。
元は、黄の国から提案した外交です。

辞めるのを決めるのは、黄の国でいいのです。


黄の国は、
どれだけ蒼き国と仲良くとも、
蒼き国のために、
自国の国民を危険に晒すことはできないのです。


尊厳までも踏みにじられ、
国民に泣きつかれ
とうとう黄の国は、決断しました。


「虹の橋を壊します」


2国が預かった天からの種はかなり大きくなり、
自分たちで考え、歩ける木になりました。
まだおぼつかないところもありますが、
それでもそれぞれ行きたいところに行けます。だから、大丈夫です。


10年経てば、自国の民もかわります。
自国の方針も変わりますし、
経済成長度だけでなく、民の学力も変わるのです。

黄の国から「外交しようよ!」と言えるような魅力は、
もう蒼き国にはありませんでした。
黄の国は、蒼き国のような思慮深さを得ました。
水に流すという方法も知りました。
成長の仕方を学びました。
気がかりだった2つの種も、大きくなりました。

蒼き国は選んだのです。
自国が利益を得ているのは、自国のみの力だと慢心したのです。


待ったをかけるのは、蒼き国の国民たちでした。
働き者の黄の国にいなくなられては困ります。

しかし、黄の国は外交を閉じました。
可哀想、と、代わりにしてしまった分の過去のツケを払うことにしたのです。
仕事を、
思いを、
取引の品を、
全て投げ出すことにしました。
最低限の関税のみを、納め合うことにしたのです。最後には必ず連れて帰る、と約束して,最低限の民だけを蒼き国に残しました。

蒼き国は困りました。
何度、橋を渡っていっても開けてくれないのです。
そのうち、渡るものは1人…また1人と減り
とうとう渡るものはいなくなりました。
渡れない、という現実に馴染み、
渡れなくて悲しい、という思いを水に流したのです。

はじめっから、虹の橋なんてなかったかのように振る舞いました。


虹の橋は、
思慮深く明るい2本の木だけが、
行ったり来たりする場所になりました。


でも、その木々もそのうち他国に冒険に行くでしょう。時間の問題です。


蒼き国と黄の国は
それぞれの国でしか無かったのです。
周りを見渡せば、うまくいってるものたちもいます。

緑の国と白き国は
夏の盛りと冬の凍れでうまく調和しています。季節の国として有名です。

土の国と紅き国は
紅き国の怒りを土が丸めてまとめ、
器の国として名を馳せています。

蒼き国と黄の国は、
ひとつの国には、なれなかったのです。
悲しんでも仕方ありません。
それぞれの価値観や正義があるのです。
だからこそ、もう橋は要らないのです。


そんな、ハッピーエンドも何もないお話。

いえ、それぞれがまた、新しく冒険に旅立つ序章ですね。



昨日書いた、夫源病の記事。
そこで橋を切り離す表現から、
思いついたショートショートでした。

わたし、
私たち人間は、それぞれひとつの国だと思うのです。
そこにどんな本を民にし
どんな価値観を民にし
どんな努力を民にしているかだけの違いで
基本は全て陸や海で繋がってるのだと思います。

イメージは、島同士でもいいですし
四国と九州でも、
本州の県境でもかまいません。

潜在意識でつながってるのです

で、
それぞれに橋がかかったり、関所ができると
付き合ったり結婚したりするのかなーと。

でも、10年って人を変えるには充分な時間です。
学び続けた10年と
甘え続けた10年は
成長速度が違うでしょう。

追い打ちをかけるかの如く、
20代の10年と、40代の10年は
学びの速度が違うのです。

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