見出し画像

心が安定を求めてる?いや、これを求めてる

私の現在、
心が安定を求めてるのかも?って思う。

魂の願いを知りたい。と、なぜか叫んでる。


で、
「安定したい」とおもいつつ、
noteを開いたら
小山さんの記事。


わたしは、
実は、安定とは程遠い人生を歩いてる。


それでもね、
さすがに去年の11月から、
ここまでの勢いは疲れてさ

11月に祖父、祖父の叔母
12月に義母、
1月に義父の計4人を,天に見送り
  息子の受験にキリキリして。
2月に娘がインフルエンザ
  私自身もインフルエンザになった。
  でも、病院に連れてってもらえなかったし、行ける体調でもなかったから自力で治した。
3月は新入学準備に、卒業式。
4月は入学、クラスでからかわれて不登校になりそうなのを阻止したり、先生とやり取り。
5月にお金の問題発覚して。
  娘は虐待を訴え事情聴取…
6月にその後始末。
7月に未来に向けて悩み
8月に実行
9月に落ち着いたかと思いきや、まだ渦中。

そんな中で、
事業と、編集と、
頼まれたお役には穴を開けてないって、褒められていいと思う!と、自己評価してる。

ってか、
それでも3回、
ストレスマックスで
旅行でどこかの地域に飛んでるってすごいわ…


で、
今やっと
枯渇したわけですよ。

山のような体力と情熱が枯渇したんです。


で、
安定を求めたわけですよ。
エネルギー、戻るかなーって。
安定したら、ゆるゆるぬくぬく戻るかなーって。


でも、
いろんな投稿とかメッセージに出会い、
気づいたんです…


安定じゃない。
安心を求めてるって


「安全」の目的が、事故防止だとすれば、「安心」の目的は、心を安らがせることです。心の持ちようは人それぞれであり、保険を例に取ってみても、基本的なプランで満足する人もいれば、様々なオプションを付けなければ不安な人もいます。「安心」は主観的なもので、どうすれば「安心」できるかも人によって違うということです。

一方、「安全」は、もう少し客観性が必要です。例えば、「俺は平気」とか、「気をつければ大丈夫」といったことを根拠に「安全」を主張されても、多くの人は納得しません。猛犬を鎖でつないだ状態のように、客観的に見て事故の確率等が低減されている必要があるでしょう。

「安全」は客観性が必要で、「安心」は主観的要素が強いと覚えておいてください。

厚生労働省のホームページより。


そうか、
わたしは、
どんな状況に突っ込まれても
安心していられる強さが欲しいのだ。


女は度胸だ!
お前たち、援護しな!

って、
ドーラみたいに、今すぐは、なりたいのだ。


わたしがわたしのまま、生きていきたい。
それだけなんだ。

楽しさも
嬉しさも
悔しさも
感じられる心と

覚悟も、
思い切りの良さも
自分のことを自分でする強さも
頼れる甘さも、もてて

適材適所を見極めて
相手の能力を伸ばせるのは、
わたしの才能だろうから。

誰と誰をつなごうかなーって
見極めるのも好きなんだよなぁ。


安心感は主観的なものだから。

家があって、
子どもたちがいて
ご飯が食べれて
仲間がいる
家電も動く
健康でいる
幸せだよなぁって思う。

あとは、もう少し懐の暖かさを求めてるが
きっと後からついてくる。


エネルギー源を補給しに飲んでこようかな笑

この記事が参加している募集

サポートいただきありがとうございます。励みになりますし、記事が、何かお役に立てれば光栄です!