見出し画像

障がい者の私がコロナ禍で考える医学の歴史

当事者目線からみた医学の歴史を一緒に考えませんか?

まだ始まって間もないコロナウィルスとの共存や薬の開発。日進月歩の医学の発展を期待する反面、障がい者の私は、自分が施設や病院で体験したことや、医学の発展の名のもとに犠牲になった人類の歩みを思い出さずにいられません。「#これからのゆたかさ」をテーマに、今起きていることと、今までの忘れてはいけない歴史について、当事者の目線から書いてみたいと思います。

ヘッダーの写真は、整形靴を履いている私です。
この頃は小学校2年生ぐらい。

人間は「たすけて」と言えるからこそ、人間である。

ちょっと前までは、「コロナに負けないで生きていこう」と誓っていたが、最近はちょっと疲れてきた。最近の札幌は暑くなったり寒くなったり、私の性格に似ていて少し極端だ。

私の部屋の窓からすずめやちょうちょを見た時に(ああ、私もちょうちょかすずめになりたいなぁ)と思ってしまった。コロナを気にしないで楽しそうに飛んでいる姿がうらやましかったからだ。すずめの声がとても可愛くて、一緒に飛びたいさ、と考えている自分がおかしかった。

弱音はあまり吐きたくないが、初めてちょうちょに成りたい、と思ったのだ。今まで人間以外になりたいと思ったことがないのは、他の動物であったなら「助けて」と言えないからだ。

いくらすずめとちょうちょが楽しく飛んでいるように見えても、強い風や雨にあたったり、石ころにぶつかったりして命を落としているのだろう。そんなとき、彼らは「助けて」とは言えない。

私は今まで何回も危篤状態になった。
妊娠七ヶ月の早産で、熱がやまず、口が小さくて、スポイトなしではおっぱいも飲めなかった。医者は「もうこの子は助からないから帰りなさい」と言ったらしい。成長過程でも頭を打って何度も気を失ったり、高熱が下がらず死にそうになったり、数え切れないほど病気もしたが、その都度「助けて」と言えたからこそ、いろいろな治療を受けたり、言葉をかけてくださる人がいて、生きてこられた。

私はもうすぐ67歳になろうとしている。子どもの頃は「脳性マヒは35歳までしか生きられない」と言われていた。しかし、医学の発達により、長生きできている。それだけでも、感謝しなければいけない。

私も、医学の歴史の中にいた

医学の発達は時として残酷だ。ヒトラーの命令で、障がい者や高齢者を生きたまま切り刻んで医学実験が行われていたときがある。ドイツは医学の先進国だったので、私の若い頃は、医師たちはみなドイツ語でカルテを書いていた。(カルテという言葉がそもそもドイツ語だ)

私のいた施設でも、「障がいが軽くなる」という触れ込みで、障がい者たちは親の許可もなしに体を切られていた。どんどん障がいが重くなり、寝たきりになった人も沢山いる。そういう人たちのことを知っていたので、私は手術を絶対に受けなかった。

9歳ぐらいの頃、施設から「手が曲がっているので、伸びる手術をしましょう」と提案された。しかし同じ施設で働いていた女性の作業療法士さんは、アメリカでリハビリの勉强をしてきた人だったので、違う意見だった。「手術したら美智子ちゃんの障がいはもっと重くなりますよ」と母に教えてくれたので、母は断った。

夜に病室を抜け出して見た光景

医学の発展は、必ずといっていいほど、犠牲者があってこそのもので、私の長生きもその道すじのことなのかもしれない。

中学生のころ、私は養護学校の玄関で滑って転び、頭を打って、4時間も気を失っていた。タクシーに乗って家に帰ったが、頭痛が止まず、夜に高熱を出したために、脳外科のある病院に運び込まれ、そのままそこに二週間も入院することになった。

そのとき、母は脳の手術を勧められていた。
それは、左の耳の上から右の耳の上まで、ヘアバンドをあてたように頭蓋骨を切り開いて、脳や神経をさわる手術だ。そうすれば脳性マヒは絶対よくなるといわれた。医師が興味をおぼえたのは、私の熱や頭痛の治療ではなく、医学の発展だったのだろう。

母は一旦それを信じて、手術を受けさせようとしていた。「手をつかえるようになったらいいよ。美智子も手術を受けなさい」と母には言われた。

でも私が通っていた施設にも同様の手術を受けた人はたくさんいたので、私は手術をこわいと思っていた。手術を受けて手を使えるようになっても、話せなくなっていたり、歩けなくなった人や、考える力をなくしていた人もいた。

手術を予定しながらの入院生活で、ある看護師さんは私にとても親切にしてくださって、服やおやつを買ってくれていた。

その看護師さんが、ある夜私の部屋にそっとたずねて来た。「美智子ちゃん、ちょっと私と一緒に出かけよう」と言ったので、ついていった。エレベーターで別の階に行くと、そこには暗い部屋があって、人のような影があり、「えー」とか「あー」とうめいているのが聞こえた。

看護師さんは、私の手を強く握り「美智子ちゃん、見て。この人たちはね、頭の手術をして失敗した人たちなの。手術をしなければ、美智子ちゃんのように、いろんなことを考え、話ができた人たちなんだよ。お願いだから、美智子ちゃん、お母さんに手術をしないでって言って」と教えてくださった。

私は手術をしないことになった。

あの夜に見たことは誰にも言わなかったし、大人になって三十を過ぎるまで言えなかった。子ども心に、「誰かに言ったらあの看護師さんに大変なことが起きるかもしれない」と判断していたのもある。

思い出すたびに、なぜその看護師さんは私を連れ出してくれたのだろうかと不思議になる。その病棟は電気もついておらず、おそらく行ってはいけない場所だったのだろう。

私の人生で、危機が来ると、このような優しい人が現れ、命をつないでこられた。

コロナの歴史の中でも、命のつながりを忘れないで

コロナもこれから大変な薬の実験を繰り返し、どこかで誰かが薬の副作用で苦しんでいるのかもしれない。そのような人たちがいるからこそ、人間は命が続いていくのだろう。

ヒトラーが行った実験は、その人達が知らない間に行われた。これは変えられない歴史的な事実で、許せないことだ。

病院や障がい者施設などでは、親族などとのつながりのない人たちに対して長い間本人の意思に関係なく手術を行ってきた歴史がある。いまだにそのような実験を行っているところもあるのではないかと考える時がある。

実験自体は大切なことだと思っている。
残酷なこともたくさんあるが、そのような歴史のなかで、私たちの平均寿命も伸びている。

私は薬の効きやすい体質だから、薬の実験台になりたいなぁと思う時さえある。死ぬか生きるかはわからないけれど、私が生きられる薬なら、成功だろう。

コロナも沢山の犠牲者を出している。これに対応するための薬が急いで開発されている。いま新薬を試している(試させられている)人たちもいるだろう。薬とはそんな中で発展していくものだ。

長い歴史の間、いろいろな医学の実験があり、わからずに殺されている人もいるし、自分から死んでもいいからやってもいいという人もいる。国に強制されている場合もあるだろう。そのこと自体は否定できない現実なのだ。

その歴史の上で私たちは生きている。コロナもこれから長い歴史を持つだろう。良い薬もでてくるだろうが、私たちの命は、決して自分ひとりの命ではなく、何万人、何億人の歴史とつながっているということを忘れないでほしい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?