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今のものづくりに

タケダオサミです。
燕三条というものづくりの町に生まれ、育ち、いろいろあって今は製造業という業種にもかかわらず工場でも職人でもない立場を貫いている。

子供の頃から工場で駆け回って遊んだ。工具をおもちゃにして遊んだ。工作機械にまたがって遊んだ。そして怒られては忍び込み、面白そうなものを見つけては手にして、怒られた。

こうして育ってみると工場という環境は、住んでいる家、目の前の道、近くの公園、少し離れた学校、たまにいくお店、とにかく当たり前の場所でしかなく間違いなく”可能性”なんて微塵も感じる間も無く存在し続けている。

そして一気に飛ぶが、近年はいろいろあって可能性を感じざるを得ない。きっとそんな風に感じている人は五万といるだろう。いや百万といるかもしれない。

しかしながら私自身が感じている可能性は少し違うかもしれないと思うので今日からこのnoteに頭の中を描いて(書きなぐって)みようと思う。

今のものづくりが置かれた状況、培ってきた既存価値、そしてその”ものづくり”は言葉として、市場として、意識として確実に消費されてきていて、少し息切れが始まっている気がする。そんな状態を一度冷静に捉え、整え、進む方向を確認し、一緒に一歩ずつまた歩みたい。

私はという会社で「ものづくりしやすい環境をつくる」ために日々切磋琢磨している。自分なりに。そしてその行動や実績、思考は大抵の人には意味不明であり理解不可能なものだろうと思う。

現に今回上に表示されている私の写真は現場で材料確認をしているわけではなく、とある地域の確実な地域経済基盤である産業を大切な地域資源として捉えフォーカスを当て、潜在的な価値を創出する(再び掘り起こす、もしくは付加させる)という行政事業の動画制作で赴いた際、ディレクターとして撮影前の撮影確認をしている時の写真。確かに「なぜお前が?」とイミフでリカフである。

でもそれが良いと思う。
いつまでも謎でありたいと切に願う。
大抵の人が意味がわからない事、すぐ理解できない事にしか新しい可能性はないと思うので。

次回「マジックメタル」

#noteはじめました
#ものづくり #製造業 #工場 #働き方 #パラダイム

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