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時間を溶かす デザインの右往左往

長時間作業しても、デザインアウトプットが前に進まない。何パターンも試して修正を重ねても、結局最初につくったものが一番ましだ。その一番最初につくったものも、しっくりこない。

デザインのプロセスではこういったことが起こるもの。とくに個人作業が多く、判断基準があいまいなもの、たとえば感性的な価値を求めるビジュアルコミュニケーションデザインの仕事に起こりやすい印象です。

この状況を、創造的な探索行為の一部と肯定する人もいれば、右往左往しているだけの無駄な時間と見る人もいます。デザインバックグラウンドのない管理者から見たら「仕事が進んでいないけども、これも必要な時間かもしれない」とただただ見守ってしまうかもしれません。

デザインは試行錯誤の連続。私は、現場のデザインプロセスの中には、探索といえるような創造的な時間もあれば生産性のない無駄な時間も含まれておりそれらが入り混じっていることが多いと感じています。仕事をしている当の本人たちもその自覚が薄いこともあります。

そのような事実を本人も管理者も自覚したうえで、探索と右往左往を区別し無駄な時間を切り詰め創造的な仕事に時間をふり向ける必要があるのではないかと、そう感じているのです。

経営の視点に立てば、無駄な時間が定期的に繰り返されることのインパクトは大きいもの。価値を生まない時間はなるべく無くしたい。そう願うはずです。

デザインが社会全体で、創造的かつ生産的に運用されることを願いつつ、無駄に右往左往するデザインプロセスのパターンと、その解決方法について書いていきたいと思います。


パターン1:大同小異にとらわれる

まず最初に取り上げるのは、大同小異にとらわれること。最終的な成果にあまり関係のない細部にこだわってしまうことです。

そもそものアイデアであったり、大まかな方向性が食い違っているにもかかわらずそのディテールに手を加え続ける行為も含まれます。このような時間は、客観的にはまったく無駄なものといえるでしょう。

デザイナーが意識する金言に「神は細部に宿る」があります。ディテールの追求により、その全体の美的価値や本質的な意味を決定づけるというような事象のことです。

たとえば、建築家のミース・ファン・デル・ローエが、金属の柱と大理石などの自然素材を拮抗させ、緊張感と開放感のある建築空間を構想した際に、その金属の柱の詳細な構造や仕上げ、光の映り込みまでに徹底的にこだわったこと。こういう思考を指して使われる言葉です(「バルセロナ・パビリオン」で画像検索いただけるとイメージできると思います)。

大理石などの粗野な石材とコントラストをなすように、金属の柱はつややかな仕上げであり、最低限に細く見えるような造形を目指しています。自然と人工、重量と軽量、原始と未来、開放と閉塞、このようなものが拮抗した空間を構想するにあたって、細部への追求は必然であったのです。

これは、全体構想の秀逸さがまず前提にあるものです。全体構想にとって「どのような細部が必要なのか」の因果関係も明白なものです。どこでも良いので、細部にこだわれば全体のクオリティが上がるというものではありません。

デザイナーの練度が上がってくると、どの細部をどのような方向でこだわるべきかという押すべきツボのようなものがわかってきます。その「ツボ」をしっかりと詰めれば、その他の部分に手を入れなくても(むしろ、手を入れないほうが)クオリティが上がることもわかってきます。

「ツボ」にあたる部分の詳細を詰める作業時間は、全体の成果をおし上げる創造的なものだと捉えるべきです。その追求により全体クオリティを最短距離で最大化させるような生産性を持ちあわせたものでもあります。マネジメントの観点からもしっかりと守るべきものです。

パターン2:意味のないバリエーション

デザインアウトプットを複数制作し、ユーザーテストにかけたり、決裁者の意思決定や意見を求めたりすることはよく行われることです。このような場面でも、非生産的な作業は発生しがちなものです。

アウトプットのバリエーションをつくる理由は2つしかありません。

ひとつは検証を目的にしたものです。なんらかの仮説が正しいかを試すために行うものです。検証目的に依存してバリエーションが作られるものであり、仮説やその検証を想定しないバリエーションづくりは意味をなしません

例えば、クールな印象のパッケージデザインが求められるのか、ナチュラルでやさしい雰囲気のものが求められるかを検証するために、2つのデザインアウトプットを制作するのは生産的と言えます。しかしここで、「クールな印象のもの」と、「より一層クールな印象のもの」を2つ作成しても、それは微差でしかなく、意味はありません。

バリエーションをつくるもう一つの理由は、共創を促するためです。デザイナーが構想したたったひとつの案でゴールまで突き進むプロジェクトもありますが、決裁者(プロジェクトオーナー、プロダクトオーナー、クライアントなど)が意思決定したり、意見や当事者性を引き出すために複数のバリエーションをつくるプロジェクトもあります。

後者の場合、決裁者も含めて共創を実現することに目的があるので、決裁者の思いや判断基準や外せない前提条件を意識していないとバリエーションをつくる意味はありません。決裁者の判断を助けるようなアウトプットや、決裁者の盲点を知り気づきを与えるようなアウトプットなど、そのようなバリエーションになっていないと生産的ではありません。

もちろんアイデアを発散させるために、大量の案を制作することには意味があります。しかしながら、どこかのタイミングで、検証や共創のためにアイデアを少数のバリエーションに収斂させる必要はあるでしょう。

バリエーションをつくる目的を踏まえないでいると、デザイナー視点で思いつくままにA案B案C案と設定してしまいます。そこからそれぞれの細部を詰めることになり、自覚のないままに大して変化のないバリエーションづくりに時間を費やすことになるのです。

(ちなみにバリエーションづくりは、今後は生成AIがまるっと代替することになりえますので、人が行う行為自体が非生産的となるかもしれません)

パターン3:思考の構造を見失う

パターンの3つめは思考の構造を見失うことです。今は粗くとも発散的にアイデアを複数出すべきなのか。今はアイデアをどの程度詰める段階なのか。複数のバリエーションに対してそれぞれどのような構想を持ち、どのような差異を持たせるべきなのか。デザインする上での前提となる条件は何であって、それぞれのアイデアはそれを満たしているのか。

デザイナーは、このような思考プロセスの中の現在地点を常に意識しながら仕事をするものです。デザインのゴールがどこにあって、どのようなアイデアの分岐があって、いま行っている作業は全体の中でどのような意味を持つのか。その構造をイメージしてデザインしているのです。

時間が溶けていくだけの右往左往の作業というのは、こういった現在地点を見失っていることが多いです。作業の全体図を見失いただただぐるぐるとデザインアウトプットをこねてしまう状態。地図をなくして森の中をさまよっている感覚に近い。

デザイナーの作法に「手で考える」というものがあります。頭で考える、論理で考えるのではなく、思うがままに手を動かし、そのアウトプットをもとに構想を広げていく行為のことです。

デザインを行う主体は「アタマ=今ここに思考する論理」だけでなく、過去の経験にもとづく哲学や価値観、肉体が無意識に選び取るカタチ、何を心地よいと思うかという知覚など、「カラダ=身体全体を統合したもの」になります。身体全体でデザインしながら、「思考を超越したアウトプットを目指すものが手で考えるということです。

一方で、「手で考える」には課題もあります。

それはデザイナー自身が自分のアウトプットに引きずられやすくなるということです。不意に出てきた素敵なアウトプットに対して「これはいい!」と影響を受け、ズンズンと突き進んでしまう。思考すべきデザインプロセスの全体像を見失い、気づけば要件とフィットしないアウトプットになってしまうこともあります。

アウトプットに対して適切な解釈を自問せずに、逆に支配されてしまう。視覚のデザインはそれほどまでに強力で、デザイナー自身を森の中に迷わせることもあります。

もちろん、「手で考える」は、前提を打破し、デザインプロジェクトを大きく前進させることもあります。その場合でもその解釈が主観によるものなのかどうか、早めに客観的に判断したいところです。

ここで必要なのは、他者との適時のデザインレビューの習慣です。レビュアーの前で全体構想や思考の構造を言葉にする。その中での現在地点を言語化する。レビューを経て、客観的なユーザー視点に則ってプロセスとアウトプットを補正する。全体成果を押し上げる「ツボ」がどこであってどう対応するかを話し合う。

最適なのは全体構想と思考プロセスを他者とすり合わせた段階で、デザインレビューのタイミングも先行して決めてしまうことです。デザインレビューをいかに効果的に行うかが、組織としても重要なことなのです。

(デザインレビューは、全体構想や思考の構造を言語化するトレーニングでもあるので、人材育成としてもしっかりと行うべきです。)

パターン4:主観の暴走を止められない

デザイナーは人間なので、思考プロセスは必ずズレていくものと考えるべきです。

ズレを補正するのに効果的なのは、デザイン作業の「中断」です。一旦手を止めて休憩する、グラフィックデザインであれば一度印刷してみる、別の仕事に切り替える、作業する場所を移す、シャワーを浴びる、寝る、などです。

デザインの作業をしていると、目的や構想をシンプルに意識できているところから、作業時間が進むにつれ、だんだんと雑念が溜まり、視野が狭まり、主観的になり、ゴールが見えづらくなっていきます。どんどん「情」もこもっていきます。サンクコストも気になり、イチからやり直す心理的ハードルも上がっていきます。

作業を中断をすることで、このような負の状況をリセットすることができます。優秀なデザイナーになってくると、リセットのタイミングを高度にコントロールし複数の仕事の段取りを組み合わせ全てを高いクオリティでアウトプットできるようになります。思考プロセスは必ずズレていくものという自覚を持ち、しっかりと対応できるようになっているのです。

主観の暴走を防ぐには、セルフファシリテーションの技術を磨き上げることも有効です。集団でワークショップする時のファシリテーターのような、自分の中にもう一人の人格をイメージしてみるのです。

それが創造的な客観視となり、頭の中のファシリテーターが全体の段取りを確認し、思考プロセスのズレを是正し、作業が停滞したときには、発想の枠組みを変えるようなリフレーミングする問いを自らに投げかけてくれる。雑念の蓄積を感じ取り、必要であればデザイン行為の中断を命じるようになっていきます。

パターン5:リサーチ不足に気づかない

そもそも情報が足りていないからデザインアウトプットが前進しない、ということもあります。そんなの当たり前じゃないかと思うかもしれませんが、実はこれはかなり起こりやすく、そして、本人が気づきづらいことでもあります。

前提として押さえるべき事業環境、技術的な制約、社会的変化といったものの理解が浅い。デザイン思考プロセスでいうところの「共感」が不十分でああり、ユーザーやその環境を自らに内在化できていない。プロジェクトのステークホルダーとの対話が欠けていて、その中の合意形成の力学を理解していない。このような、さまざま角度からの情報が不十分なため、デザインしようにもそのとっかかりや、深掘るポイントが少なく、デザイナーは右往左往してしまいます。

このような情報不足におちいる原因はいくつかあります。

ひとつはリサーチする時間の見立てが甘いこと。若手メンバーは特に「手を動かす」時間に敏感になるけども、リサーチする時間にそれほど自覚的でないことも多いもの。だいたいはリサーチの時間が非常に短いケースが多い印象です。

先述の「手で考える」ことを先行しすぎてしまうという原因もあります。まずつくり始めると、一見作業が進捗しているように見え、だんだんと作業の中でリサーチの必要性が薄れていってしまう。作業が進んだ段階でリサーチ不足に気づき作業が頓挫してしまう。最悪な場合には、まったくの方向違いに進んでいたということになってしまう。

ちなみに「手で考える」中でも、検証的にまず手を動かしてみることは、その限りではありません。まず手を動かして粗くアウトプットし、ユーザーの意見を聞いてみる、そこからリサーチの観点やインサイトをあぶり出すというようなプロセスは、全体からみても生産的なものです。

優れたデザイナーは、プロジェクトの中で必要な情報が揃っているかどうかという感覚に優れています。単純にリサーチ時間が終わったから情報収集を終了しようということでなく、ソリューションを構想するために必要最低限の情報が出揃っているかを見極め、プロセスをコントロールしようとします。これは重要なデザインスキルであるように思います。

探索か、右往左往か

ここまで、デザイン行為が無駄に右往左往する5つのパターンを紹介していきました。ここで振り返りも兼ねて、チェック項目にすると以下のようになります。

  1. そもそもの全体構想がズレていながら細部を詰めていないか

  2. 全体構想に寄与しない細部に夢中になっていないか

  3. 検証意図に合わないバリエーションづくりをしていないか

  4. 決裁者の判断ポイントを知らぬままバリエーションづくりをしてないか

  5. 自分の思考プロセスの構造を見失い、いたずらに手を動かしていないか

  6. 自分がつくった中間アウトプットに魅惑され、目的を見失っていないか

  7. デザインレビューや中断行為はあらかじめ適時に設定しているか

  8. セルフファシリテーションは機能しているか

  9. リサーチを十分に行い、必要な情報を揃えているか

  10. 手で考えることのリスクコントロールはできているか


私は、デザインという行為を神格化してはいけないと思っています。
「デザインは創造的な行為であり生産性とは無縁なもの。遠回りをしながら時間をかけるものなのです。」このような言説は一部は正しく、一部は間違っています。

ここまで見てきたように、不慣れなデザイナーは未熟であるがゆえに右往左往してしまいます。デザインの時間をブラックボックス化し聖域にしてしまうとPDCAを回せずそのデザイナーの成長機会を奪ってしまうことになりかねません。

創造的に探索すること。ただただ右往左往すること。どんな優れたプロジェクトでも最短距離で一直線に進むわけではありませんので、これらは客観的には見分けがつきづらいものです。

しかしここで両者をひとくくりにしてしまうのでなく右往左往に対して常に厳しい態度でいないとすべてをひっくるめて非生産的な時間と切り捨てられてしまいます

創造的に探索すること。
この価値を守りたく、この記事を書きつづりました。

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