おさかお

1971年生まれのおさかおです。 読む専門で書く方は放置していたnoteでしたが、父が…

おさかお

1971年生まれのおさかおです。 読む専門で書く方は放置していたnoteでしたが、父が亡くなったことをきっかけに色々なことのキロクとして活用してみようと思い立った今日この頃です。

最近の記事

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震災遺構として公開された山元町中浜小学校見学のキロク

    • 散骨どうするか、のキロク

      父が亡くなって一年が経ちました。 昨日、あらためて父の散骨について母と姉と私とで話し合いました。 父は生前 お墓はいらない 散骨してください と、書き残していました。 一年経つまではこのままにしておきたいと母が言っていましたので、父は火葬場から戻った時のまま白い包みで置かれています。 昨日、一年経ったしそろそろ決めようと話を切り出すと 母は このままそばに置いておきたい ときっぱり言いました。 それなら、お母さんが亡くなったあと私と姉とで二人分一緒に散骨す

      • 大好きな伯母の身に起きたことのキロク

        2022年8月25日、晩ごはんを食べ終えたあと私にしては珍しくすぐに洗い物をしていると、夫が大きな声で私を呼びました。 お母さんのケータイから俺にかかってきてるよ!と夫は言いました。 洗い物していた私が着信に気付かなかったので、夫の番号に母がかけていたのでした。 出る前に緊急事態だと気付きました。 急いで夫の電話に出てみると、佐世保の伯母が岩牡蠣をのどにつまらせて救急搬送され意識が戻らないとのことでした。 母はすっかり動揺していました。 私のスマホを確認してみると、ほん

        • 手続きのキロク

          人が1人亡くなると様々な手続きが待っているもので。 まず、亡くなってすぐには死亡診断書と死亡届の提出から火葬許可証の発行ですね。 こちらは葬儀屋さんが行ってきてくれました。 病院で死亡診断書と死亡届を受け取りまして、大切に持ち帰ったあと、死亡届は葬儀屋さんとの打ち合わせのときに指示していただきながら母が記入しました。 その後の手続きで死亡診断書と死亡届のコピーを使うとのことで、葬儀屋さんが何枚かコピーをとっておいてくれました。 火葬許可証は葬祭場の職員の方に渡しました。

        震災遺構として公開された山元町中浜小学校見学のキロク

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          通院サポートとキャラメルのキロク

          父が亡くなるまでどんなサポートをしていたかカレンダーを遡りながら振り返っていました。 2019年より以前は入院するような事態のときにはガッツリサポートしていましたが、不整脈外来、整形外科、皮膚科、眼科などなどの通院は父はタクシー券を使ったり、近所は歩いて行ったりしながら自力または母と2人でこなしていました。 心室頻拍で埋め込み式除細動器が入っていたので、父には障害者手帳があり、タクシー券の補助がありました。 振り返ってみて、2019年の2度目の脳梗塞と長期のリハビリ入院以

          通院サポートとキャラメルのキロク

          お葬式のキロク

          父のお葬式のことを忘れないうちに書いておこうと思います。 生前父はお墓はいらないとか、お葬式は家族だけでいいとか、そんなふうによく言っていました。 それから大事なことはパソコンのファイルにあるから何かのときはそれを見てほしいと言うことも言っていましたので、亡くなる前にパソコンのファイルを確認して父の希望を頭にいれておきました。 亡くなってからはそれを元に母と姉と私の3人で話し合いながら葬儀屋さんに希望を伝えてお葬式の段取りをしました。 7月31日の夜明け前に父が息を引き取

          お葬式のキロク

          父とのキロク

          2022年7月31日に父を看取りました。 83歳でした。 最後の入院となった同年5月8日からのことを備忘録としてなるべく時系列に書いていこうと思います。 主な病歴 心室頻拍(埋込み式除細動器あり) 2度の脳梗塞 肺気腫 最後の診断は老衰 もとになった病気は心室頻拍と肺気腫 入院前の様子 2度目の脳梗塞の後遺症で右手に不自由がありましたので文字を書くことは難しい状態でしたが、介護箸を使えば食事は自分でできていました。 歩行はゆっくりですぐ休みたがるくらいに体力も低下してい

          父とのキロク