お葬式のキロク
父のお葬式のことを忘れないうちに書いておこうと思います。
生前父はお墓はいらないとか、お葬式は家族だけでいいとか、そんなふうによく言っていました。
それから大事なことはパソコンのファイルにあるから何かのときはそれを見てほしいと言うことも言っていましたので、亡くなる前にパソコンのファイルを確認して父の希望を頭にいれておきました。
亡くなってからはそれを元に母と姉と私の3人で話し合いながら葬儀屋さんに希望を伝えてお葬式の段取りをしました。
7月31日の夜明け前に父が息を引き取って、死後の処置が終わってから、母が大事に持っていたチラシの葬儀屋さんに連絡をとりました。
病院に迎えに来てもらうことと、葬儀まで父をあずかってもらうことが可能か確認し、そちらにお願いすることにしました。
午前6時頃病院に迎えに来ていただき、丁寧に父をあずかっていただきました。
父は葬祭場の安置室に行きました。
私たちは一度それぞれ帰宅してから8時に実家に再結集し、実家まで来てくださった葬儀屋さんと打ち合わせをしました。
はじめて連絡をとってから4時間弱の間にここまでやっていただけました。
父の希望により、お坊さんはなし、家族だけの一日葬にしたいと言うようなことを伝えて、決めるべきことを決めていきました。
私たちは悲しみにくれていると言うよりは、徹夜明けの高めのテンションでしたが、葬儀屋さんは粛々とすぐに脱線する私たちをとりまとめながら話をすすめてくれました。
葬祭場の予約がタッチの差でうまってしまい、葬儀は8月3日のお昼の12時から、火葬は午後1時からと言うことになりました。
お坊さんを呼ばないので、はじめに黙祷をしたあとは家族だけで自由に過ごすと言う段取りになりました。
葬儀屋さんによると「自由葬」と言うそうです。
お焼香くらいしましょうよと言う母の意見を取り入れて黙祷とお焼香のあとは自由に過ごすと言うことでまとまりました。
母と姉家族とうちの家族の9人が入れる小さなお部屋を予約していただきました。
葬祭場の敷地内にある家族葬向けのお部屋とのことでした。
お部屋での会食は無しにして、実家に戻ってから考えればいいか、と言うふうにしておきました。
葬祭場の誰と誰にいくらずつ心付けを用意しておいてください、渡すタイミングもこちらで教えます、と言う感じのこともはっきり教えてくれたので助かりました。
お陰で当日もスムーズにこなすことができました。
葬儀まで中2日ありましたので、間に面会日をもうけていただきました。
8月1日に納棺が済んだ父に面会に行きました。
面会のときまでに葬儀屋さんが届け出を済ませておいてくれました。
面会は葬祭場の安置室の隣の小部屋で、短時間でお願いしますとのことでしたが、父がいい顔で休んでいるのを確認できましたので、安心することができました。
8月3日、葬儀の当日は午前11時30分に司会の方と簡単に打ち合わせをして昼の12時開式となりました。
黙祷とお焼香だけはして、あとはどうぞご自由にという段取りだったので、自由時間になったらまずはじめに私から父が亡くなるまでの経過をみんなに説明しました。
その後はみんなが持ち寄ったお饅頭や父の大好きな芋けんぴなどを棺に納めていきました。
コーヒーが大好きだった父のために母が家でコーヒーをいれて持ってきていたので、コットンで口に含ませてあげました。
私と姉はそれぞれお饅頭をたくさん買ってきていました。
これには訳があって、入院中に七夕があってそのときに何か願い事はありますか?と病院スタッフに聞かれた父が「饅頭5コ食べたい!」と答えたそうで、その日から短冊に書かれた「饅頭5コ食べたい!」を毎日私たちは目にすることになったのです。
よっぽどお饅頭食べたかったんだねと言いながら棺にたくさんお饅頭を入れてあげました。
たしか20コくらいありました。
それから裸足のままだった父に足袋をはかせてあげました。
衣装は父の母親が兄弟とお揃いで仕立ててくれたと言う着物を着せていたのですが、裸足のままだったことが気になっていたので、足袋をはかせてあげました。
着物は痩せ細った父の姿をうまいことかっこよく包んでくれました。
その後、父のお気に入りだった帽子を棺に納めようとしたら、姉のところの長男が「その帽子俺欲しい!もらっちゃダメ?」と言いました。
母が「燃やすよりもらってくれたらじーちゃんも喜ぶよ」と言ったので、帽子は父の初孫の手に渡りました。
みんなよかったね、いいじゃんいいじゃんと笑顔になりました。
あとは立ちトーーク形式で父とのエピソードが浮かんだ人が思い思いに話すと言う形で時間まで過ごしました。
父のパソコンにあったファイル「エンディングノート」は印刷して姉が持ってきてくれていたので、孫たちもみんなそれを読みました。
葬儀やお墓の考えの他、父の生い立ちや仕事のこと、家族への思いなどが書き込んでありました。
最後にみんなでお別れをしながら棺をお花でいっぱいにしてあげて出棺となりました。
みんなから父に感謝を伝えてしっかりお別れをしました。
家族だけの大切な時間を過ごすことができました。
火葬の間は葬祭場の待合室を予約しておいてもらったので、そちらでアイスコーヒーを飲みながらまた思い出話に花を咲かせました。
涙あり笑いあり、笑い多めのお葬式になりました。
うちらしいよね、お父さんもきっと楽しかったよねと言いながらお骨を抱いて実家に戻りました。
葬儀屋さんは時間の使い方がお上手でしたねと言ってくれました。
みんなお腹がペコペコだったので、お寿司の出前を取って黙食することにしました。
家のあちこちにみんな場所を取って、お腹いっぱいお寿司を食べました。
おしゃべりな家族なので、ぐぐっと我慢して黙々とお寿司を食べ、食べ終わってマスクをしてからまたおしゃべりをしました。
介護用品を置くために空けてあった棚にお骨がちょうど収まりました。
お花を飾ったりまわりを綺麗に整えて、夕方帰宅しました。
社会人になった孫たちもみんながそろって大切な時間を過ごすことができました。
なかなか会えなかったみんなに父が会わせてくれました。
遠方の親戚から葬儀に出席したいと言う連絡ももらいましたが、父の希望を丁寧に伝えて理解してもらい、ホントに家族だけの一日葬という形にさせてもらいました。
父の希望通り、家族だけの小さいけどあたたかいお葬式にできました。
一日葬は体の負担も少なくてそれもよかったと思っています。
実家から車で15分ほどの葬祭場で全て完結するやり方であったことも体の負担が少なくてよかったです。
寝不足で疲れがたまっているところでしたからホントに助かりました。
色々な考え方や形があると思いますが、うちはこれでよかったと思っています。
費用も抑えられたので助かりました。
母がこれから生きていくためにお金は大切ですから、抑えるところは抑えるという感じにできてホントによかったと思います。
母が大事にチラシを取っておいてくれてよかったです。
支払いは銀行振込みでした。
打ち合わせのときの金額と請求書の金額は全く同じでした。
これ、安心ポイントです!
泉さん、大変お世話になりました。
ありがとうございました。
お墓はいらないと言うのが父の希望なのでいつか散骨すると思います。
またそれはゆっくり段取りしたいと思います。
2022年8月14日 おさかお
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