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20230718_日記_巨女と花

 牛のように大きく丸まった背中。私はその肉の大地を眺めていた。
 採血の順番待ちの間、パイプ椅子に座って私は眺めていた。その女から血の一滴も搾り取れないようで、何度目かの針の差し込みの後、血が、チューブの中で留まって容器の中に一滴の血も流れていかないのだ。チューブの中を真っ赤な鮮血が行きつ戻りつする。私はそこから目が離せない。
 採血の台は4台共全て埋まっていて右から2番目にその肉体はあった。その横にやせぎすの女が、これも採血に苦労しているようで、腕を下げた状態でなんとか血を採っていた。
 普段足を向けないオフィスに健康診断のために私は向かっていた。15分の遅刻だったが、空いていた。しかし、明らかにその2人の女のせいで採血の場だけ人の流れが滞っていた。私が並ぶずっと前から、その巨大な女は採血者達を手こずらせているようだった。
 中にもう1人入っているのではないかと思う程の大きさで、血管を探すのにも苦労するだろう。私は私の腕に薄青く浮き出た血管を、直ぐにでも彼女たちに差し出す準備が出来ていた。
 巨女は、最終的にその時点で採血をすることを諦めさせられ、他の診断を先に行うこと、水を多くとることを指示されていた。血管を埋もれさせるほどに身体を覆う脂肪、凝り固まった肉体。細々とした女達の中に居て、そこには熱気がある。
 死亡と筋肉の重さを比較するためのサンプルが、健康診断の会場の外に置いてあり、細身の女がそれを興味深げにながめていた。私は同じサンプルを屠畜場で見たことを思い出した。
 大きな他人の肉体に埋もれて、抱かれてみる。それは着ぐるみとはまた違い生々しく湿って匂う。毛穴という毛穴から彼女を構成している物質が、香辛料のように噴き出、私の匂いを上がいていく。私と女が等しく交わるのではなく、私が女の中に入って、そのまま肉の一部になる。
 血は、女から出ていくことを拒む。女を構成する一部で居たいと出ていくことを拒否する。私の血は、さらさらとものの数10秒で無機質な番号付きの試験管の中に吸い込まれていくというのに。
 やせ細った女の、身体の線を、花柄のワンピースが覆っている。彼女の横に立っていると憂鬱な気分になる。生物というよりも、精巧な作り物がある様な気がして、あるいは、ある程度中肉中背のだらしない女を横に置いている方が、安心したが、すると、今度は自己嫌悪がみるみる沸き上がり、この女をいきなり張り倒してやりたくなる。
 巨女は背面からしか見てない。花柄など身にまとわず、無地の紺色の服にスカートを身に着けていたように思う。衣服ははち切れそうにのびて、横しわが張っていた。それが余計に、彼女の肉感を感じさせた。ゆるやかな花柄の衣服など着ていたらけばけばしく、今日のようには、とても見ていられなかっただろう。
 看護師は皆彼女に苛々していたように、またうまく採血できない自分達に苛々していたように見えた。何度も針を突きさされ哀れな巨女に同情しながらも、皆が待合でスマートフォンを眺める中、私はいつまでもその苦行を見ていたかった。
 検診を終えて、オフィスのゲートを出ると自動運転式のロボが待合室を静かに徘徊していた。このロボは、私が来た時不調をきたしており、二人の女に囲まれていた。それから、人間の、男性の肉声が「管理の者ですが素唖調子が悪いようで」と発声した。思わずぎょっとしたものだが、女二人はそうなんだというふうに笑顔でロボに向かい合っていた。そのロボが、今は不調を修正されたようで静かに、一つ目のカメラを頭に付けながら徘徊していた。
 肉感と無機質の狭間で、私は自分の肉体が汗ばむことで、私が生物側のものであり、生きているものであることを感じた。巨女を思い返し、血は採れたのか、まだあそこに居るのか、まだ帰れず永遠と血を抜かれては失敗される地獄を繰り返しているのではないか、と、代わりに私の腕で良ければ差し出して良いのにと、電車に揺られながら考え続けていた。

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