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エッセイ_電車に飛び込む人にキレる人たち

 今週、都内では人身事故による電車遅延が多発していた。私も巻き込まれた内の1人である。電車の人身事故に対する私の思いは、大変でしたね、どうしてそこまで追い込まれたのでしょうか、というものです。
 人身事故!ふざけんな!
 こういう人の意見がインターネットに現れさらに同調がされているのを見るととても吐き気がしてきます。もしかしたら私も精神に余裕が全く無ければ同じようなことを思わないでもない、だとしても言わない、インターネットに書かない、呟かない。あまりに邪悪な思想だと自覚してしまうから。
 怒っている人はまだ、エネルギーがあります。エネルギーが枯渇すると、文字通りブラックホールに吸い寄せられるように、飛んで火に居る夏の虫の様に、自分を抹消してくれるエネルギーに引き寄せられてしまうのです。ふらふらと、踏みとどまらないとと思っても、身体が勝手に動きます。
 これとは別に、悩みに悩みぬいて、社会の恨み辛みを主張するために、群衆や遺族に迷惑をかける怒らせることを前提にして飛び込んでいる人もいます。こういう人は無差別殺人者の裏返しでもあって、ただ他者に走らず自分に全てのエネルギーを向けて死んでいきます。自殺する勇気が無いから死刑になるために殺人事件を起こす人間が居るのと同じです。ただ飛び込みは実名が出ないし、ある意味恥をさらさずに自決でき、最後に世界に復讐できる手段です。某回転寿司チェーン店の従業員が焼身自殺をしました。これに対して怒っている人はいません。焼身自殺は主張の最たるものです。一番痛くて苦しい自殺ですからね。これも相当な勇気と覚悟がいる。これが日本人じゃなかったら、自分を過激な方法で殺すのではなく、上層部の人間をやりにいってたんじゃないだろうか、と思います。どっちに向くかの問題なので。ただ日本の世間的な評価だと、自殺の方が最悪、美談のように語られがちです。もし、私のまわりに焼身自殺を決行しそうな気配がある人がいた場合は、お前が死ぬより糞な上層部が死んだほうが「社会善」だと思うよ、と声をかけると思います。これは殺人教唆になるのでしょうか。
 ただ、自殺、他殺より先に、やるべきことはある。結局、どうにもこうにも、にっちもさっちもいかなくなったと本人が思い込んだ先にあるのが、殺、なのですよね。
 それに対して軽々しく、電車止めさせるとか、いい加減にシロ、迷惑かけずに死ね、という人たち、私やあなたが生きているだけで、一呼吸するだけで、他の誰かの迷惑なっています。とにかくコスパ、タイパの良さを目指すなら、生まれてこないことが一番なのです。私やあなたが存在しなければ、空いていたはずの枠が現在進行形で埋まっています。いやいや、俺だって私だって辛いんだ、頑張ってる、こっちの立場になってみろ。わかります。でも即、死、を選択する程までにはまだ、潰されていない。恵まれている。
 自分が無差別に理由なく殺されることになったら、流石に、虚無にはなるだろうけど、虚無を覚える前に意識はもう無いわけです。無差別毒ガスや戦争で後遺症が遺るようなことがあれば、別かもしれませんが。これは一定の大きな力が働いて圧し潰されるようなもので、我々がためらいなく蚊を殺すのと同じ、蚊になったのと同じなのです。
 我々は人間で、電車に飛び込む人も、直前まで人間でした。人間だからこそ、飛び込む。電車が遅延して居なかったらいけた特別なイベントに行けなくなる、電車が遅延していなかったら乗れた飛行機に乗れなくなる、ギリギリ間に合ったけれど消耗して移動先で疲れて何もできなくなる。こういうことは多々あります。それでも、死んだ人はもっとしんどかったんだろうな、と考えてしまう、そんな自分が厭でもあります。親の死に目に会えなかったら……でも、ここまでくると、それは何だかそういう運命という気までする。
 ふざけんな!とキレて無策の考えなしに言って同意を得てみたい。そんな気もしますが、やっぱりできないのです。吸い込まれてしまう人、復讐の意を決して逝く人、のことを考えてしまうから。寧ろ無差別殺人にならなくて本当に良かった、くらいのことをよく考えます。

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