【女子高生エッセイ】『夏の始まりに合図なんてない🌻』
朝起きた時、緊張する場面を前にした時、長距離走を終えた時、はたまた熱風邪を引いた時、私は自分の鼓動を確認するのが好きだ。
全身に血が巡っている感覚に出会うたび、私は今を生きているのだと感じる。
ドクドクドクとリズミカルに拍を刻む心臓は、同じリズムなのに必要以上に速く感じる。
その時間が永遠に続くようにさえ感じる。
あえて深呼吸をすると新しい空気に驚いた肺が、仕方がないという風に膨らんで縮む。
血管の中をたっぷりの酸素を含んだ血液が駆け抜けていく。
目に見えないが感じる。
身体の隅々まで新しい酸素がめぐる。
その熱くなった体から出た汗が、おろしたての白いシャツにじんわりと染みていく。
私はそんな体験をするたびに夏が好きだと気づかされる。
夏に思いを馳せる時、中学の頃の親友と『何故セミは命が尽き果てるまで叫ぶのをやめないのか』を語り合った日のことを必ず思い出す。
毎日、下校時間になると、別のクラスの彼女は私を教室まで呼びに来た。
学校から彼女の家までしりとりをしながら2人で歩いて、そこから彼女の玄関先で長い長い放課後を過ごした。
しりとりをしていた後とは思えないほど真剣に、何か巨大な漠然としたものに対しての恐怖を語り合ったりした。
世界平和や環境破壊、動物の生態にまで及んだ私たちの話はもはや中学生の雑談の域を超えていたと思う。
毎日、同じ景色を見ながら、自分たちでどうしようもない規模の話をして、自己の無力さにため息をついた。
そして、その日も、彼女は、webでセミの悲しい生態の話を読み、真剣にこの話題を振ってきた。
セミは泣き叫んでいるのだ。そんなふうに彼女は表現した。
私は、その比喩を不思議と現実味のある表現に感じた。
1、2時間ほど、その話題だけを話した。
こういう時、私が彼女に「結局は私たちには、どうしようもないね。」というと、話の終わりという合図になる。
その日はなんとなく終わらせたくなくて、この合図をしてからも、別の中学生らしい話題を私が振って話を続けた。
彼女は退屈そうに相槌を打ち、なまぬるい湿った風に文句を言いながら、私の話に付き合った。
ジリジリと地面から水蒸気が上がっていくのを、見つめながら。
雨上がりの匂いを嗅いで、乾いた咳をしながら。
水筒のぬるくなった麦茶を飲みながら。
時代に合わない有線のイヤホンを私と半分こにして、ゆずの「夏色」聴きながら。
彼女は、私の退屈な話を聞き続けた。
彼女はあの時何を思っていたか知らないが、私はこんな風に夏を五感で味わっていた。
そして、こんな風に全身で夏を感じている癖に、彼女に向かって『暑いね』となんの変哲もない言葉を口にした。
彼女は『なんで夏が今に始まったみたいに言ってんの』と笑いながら返した。
私の話には一つも笑わなかったくせに。別にいいけど。
そして、私は、誰も夏の始まりなんて知らないのに、と思った。
彼女があくびをしたから、そろそろ帰ろう?と彼女に言った。
私が通学のリュックを背負って、彼女にバイバイと手を振るとセミが大きな声でまた鳴き始めた。
彼女の表現だと、泣き叫ぶが正しかった。
その鳴き声に、私が苦笑していると、彼女は真剣に「やっぱり、明日もセミについて話そう。」と言ってきた。
彼女が帰り際にそんなことを言うのは初めてだった。
トカゲの尻尾が切れる話も、ハシビロコウが動かない話も、雑草が命を持つ話も、全部諦めた彼女が、セミには諦めなかった。
私は驚きながら、『わかった。またね。』とだけ言った。
1人で帰りながら、何故かすごく嬉しくなった。
セミは諦めないんだ。もっと、彼女を知りたいと思った。
言葉では説明できない、嬉しさが溢れた。
ずっと、その夏の日が何故か忘れられない。
思い出に浸るのはこんなところにしておく。
最近、今年の夏はどう乗り越えようかなんて考えている。
5月にそんなことを考えている、私の心は既に夏に焦がれていると思う。
やっぱり、夏がいつ始まるかなんて誰も知らないじゃないか。
次に彼女に会うときにはそう言ってやりたい。
オリジナル記事(Original article)
要約•挿絵あり(English summary with illustrations)
完全英訳版(English version of the essay)
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