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【女子高生エッセイ】『実は鬱で入院していた話👧🏻』

いきなり重い話題と感じるかもしれないが、今回は私の入院体験記について書く。
楽に見てくれて大丈夫。
辛かったお話も今は全部消化できている。

noteというこのプラットフォームには、たくさんの病を抱えた方がいる。
そんな方に少しでも元気を与えられるように今回は自分の入院体験を書きたい。

私は、精神的な病に当てはまっていた。
病名は、身体表現性障害から始まった私の病気は鬱(少し躁状態あり)、適応障害、睡眠障害へと広がる。

まずきっかけを語ると、私は高2の際、生徒会に属していたが、先生からのいじめに合い、しばらく手足に力が入らなくなった。
学校にもいけなくなり、1人でペットボトルを開けることも到底かなわなかった。

そのまま、精神科へ通い出すが、家にいて、『今日も学校に行けない』ということを考え続ける状態が辛くなり、自殺観念を持った。
そこで、入院という形で無理やり学校に行けないような環境を作っていこうという話になり、入院した。

入院の期間は約4ヶ月。長くも短くもない期間。

鬱病患者として、鬱病棟に入った。鬱の患者ばかりなので、誰かが話す声が聞こえたら看護師さんだなと分かるほど静まり返っていた。

私は広めの個室で、youtubeやテレビを見て1日の大半を過ごした。

朝起きれなくなったり、ご飯を食べれなかったりしていたので、看護師さんには高校生なのに可哀想な子というような目で見られていた。

被害妄想のように聞こえるだろうが、実際看護師さんが毎日の体調記録をしに私の個室へ話をしに来る時、高校生"なのに"や、まだまだ未来がある"のに"と言った言葉が出ていたので内心そう思っていたんだろうなと痛いほどわかっていた。

鬱状態の辛いところは、気力が起きないこと。
毎日の日記を取ろうと思ったはいいが、結局書く気は起きないし、本を読もうと思って親に買ってきてもらっても、2ページ読むと手が止まる。

今まで好きだったことに何もかも気力がなくなっていった。
もともと嫌いだったことはさらに嫌いになった。ご飯を口に運ぶこと、咀嚼をすることさえ面倒くさくなったし、一日中転んで生活できるならこのままでいいやと毎日思った。

そんな中、私の個室に入っては私を注意する看護師さんがいた。
西村さんと言って、普段は優しいけどちゃんとした生活をしないと注意された。

カーテンを開けなきゃ毎日が始まらないこと、ご飯を食べなきゃ生きる気力がなくなること。

分かりきったことを何度も怒られた。最初は『何言ってんだろう、当たり前じゃん。』と思っていたが時間が経つたびに、確かに西村さんのいうこと私できてないなと気づくことになった。

なぜ私は最初イライラしていたのか。本当にわからない。
鬱の症状だからとか病気のせいにするべきでもない気がする。私が悪かったです。ごめんなさい西村さん。

『鬱は脳の病気だ。』と言われる。
もちろんそれは正しいし、否定のしようもない。
その言葉のおかげで守られたこともあるけど、同時に傷ついたこともある。

私は最初、脳の病気と言われて傷ついた。え?私脳に病気あるの??って。
びっくりした。まだ高校生なのに?って。
それでどうしようもなく悲しくなった。

話を戻す。
入院してから2ヶ月経った頃、ご飯を食べれるようになって、お風呂も入れるようになった。
体調は少し改善に向かっていった。

そのあたりで、なぜかもう学校に行ってもいいよね?行けるよね?という気持ちが芽生え出した。

そこから、担当の医者に学校に行きたいですと何度も言った。
診察で顔を合わせるたび、廊下で出会うたび、何度も言った。
でも決まって、まだだめ。としか返ってこなかった。

その頃、早く家に帰りたくなったし、病院から逃げ出したかった。

そうやって学校に行きたいと言い続けていたからか、病棟の移動が決まった。
もともと、本館にいたのを、西館の18歳未満の子しかいない、『閉鎖病棟』に移動になった。

閉鎖病棟とは、生活をほとんど制限される場所で、具体的には携帯ダメ、外出ダメ、物の持ち込みほとんどダメ。
簡単に言い換えると、自殺観念のあった人間から自殺方法を全て取り上げるための場所。

そんなところに急に移動になった。
移動を告げられたのはその日の朝。死刑宣告かよってな。

そうして、移動すると、広がっていたのは今までとは全く違う光景。
左を見ると知らない子供達がギャーギャー叫んで走り回って、右を見ると私を見て女の子たちのグループがくすくす笑っている。

環境の変化に耐えられず、部屋に入って持ち物をほとんど取り上げられた私はわんわん泣いた。
鬱になって入院しだしてからも何度も泣いたが、その日は格別で、12時間ほど泣き続けた。

さすがに心理士さんたちが心配して部屋を見にきていたが、それが私を何倍にもしんどくさせた。

やめてよ、私の生活に入ってこないで。

部屋を間違えて開けられたり、ふざけてノックされたり本当に今の私なら殴っている。(殴ってはいけないが)

そんなこんなで、慣れるまで2週間ほどは、部屋を真っ暗にして過ごした。また、入院初期のような状態が繰り返された。

それを耳にした親が、担当医だけはそのままにしてくださいと頼んでくれたようで、そこだけは変わらなかった。逆に、それ以外は全て変わった。

風呂は1人で入れず共同になり、ご飯の量が少ないがメニューが子供用のものに変わって甘い味付けだった。

そちらの暮らしに慣れたのは、ある女の子がきっかけだった。
部屋からトイレとご飯をとりに行く作業は毎日必ず行わないといけないので、いつも通り憂鬱な気持ちでトイレまで歩いていると、金髪の髪の根元だけ少し黒い女の子に話しかけられた。

りおちゃん。人懐っこい笑顔でいつも私におはよう!と言ってくれた。
最初のうちは、怖い女の子のグループに入りたくなくて一瞥してすぐに部屋に帰った。

でも、ある日聞いたのだ。彼女が私をこの病棟で1番可愛いとそのグループに話しているところを。

聞き間違えではない。本当に言ったのだ。

私はちょろい。ちょろすぎた。
その日から、挨拶してもらえると、その日の作業療法などについて話した。絵の具を使って絵を描いたり、読書をしたり、ストレッチをしたり、意外と楽しかった。

中でも私のお気に入りはナンプレだった。
昔ナンプレを好きでたくさん解いていた時期があったので、病院のレベルの問題だと解けない問題などなくて、つまらなかった。

でもある日、りおちゃんに解き方教えて!と言われてそれをきっかけにして毎日話せるようになったからお気に入りになった。

そうして、顔が広いりおちゃんのおかげで、他の女の子たちとも少しずつ話せるようになり、そこまで怖くないやと思った。
グループがたくさんあって、バチバチのところもあったから全く怖くないとは言えないんだけど。

あれから、いろんな話をして、恋愛や友達関係、学校の場所など話せば話すほど仲良くなった。

そうして、1ヶ月ほど経った時、私が退院するかもしれないと話をした時の、りおちゃんの悲しそうな顔が忘れられない。

荷物をまとめて退院手続きをし、病院を後にした日は、りおちゃんは診察や作業量などでいなかったから、結局最後は何も言わずにさようならをすることになった。

そうして私の長いようで短い入院が終わる。


もっと入院中の詳しい話はわんさかあるので、ぜひ次の投稿を待ってほしい。
また、入院期や鬱期の過ごし方などもアップできたらいいなと思っている。

あとは、今も睡眠障害だけは根強く残っていてその話も長いので別でさせていただく。

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