自傷は最高の頓服薬

※これは自傷行為を推奨するものではありません。

自傷は最高の頓服薬だ。

私は不定期で自傷行為をしている。自分を抑えられなくなったときの強い薬として。自傷をすると私の心は救われる。だけど副作用として私の身体は傷つく。だから本当に、この手の対処法は限界に達したときに、たまに使うくらいだ。

自傷と聞くと、「メンヘラ」や「リストカット」をイメージする人が多いのではないだろうか。だけど実際のところ、自傷をしているすべての人が「メンヘラ」であったり、「リストカット」をしていたりするわけではない。自傷をする人には、それぞれのやり方があって、それぞれの理由があるのだ。


私が自傷行為をするようになったきっかけ

私が自傷をするようになったのは高校3年の春からだった。ちょうど新型コロナが流行り始めた頃。とうとう受験生になったというのに、3年の初めから休校で、自宅待機の日々が続いていた。

そもそも真面目で完璧主義な性格なため、3年の最初から計画的に勉強をしていないと志望校に合格することはできないと思っていた。だから全て一人きりで3年のスタートを切らなくてはならなかったことが、私にとっては大きな不安で、大きなストレスであった。

自宅待機ということは、ほとんどの時間を家で過ごすことになる。私の家族は3世帯。祖父母、両親、私、弟の六人暮らしだ。中学に通う弟も当然ながら休校。両親は仕事に出ていたが、休校の期間、日中は私と祖父母と弟の4人で過ごしていた。

休校中は、「時間がある」ということで多くの家事を任された。それまでにあまりやってこなかったのも問題だが、急に任せられる洗濯、料理、洗い物、風呂掃除などは、受験生になったばかりの私にとっては大きな負担だった。

私の弟はというと、のんきにゲームなどしている。「時間がある」のは弟も同じはずなのに、彼はただ自分の自由な時間を過ごしているだけなのである。私にはそれが腹立たしくて仕方がなかった。

亭主関白の父のもとで育った私は、いつの間にか家庭内でも「いい子」を演じるようになっていった。そうすれば父の機嫌が良くなる。母も笑顔でいてくれる。それが家族円満のために私にできることだと思っていた。私は幼い頃から、時々見せる母の笑顔を見るのが好きだった。

父は自分勝手な人だった。私の家庭では、とにかく彼が一番だった。家に帰ってくると、一番最初に風呂に入る。帰ってきたときに誰かが風呂に入っていると、機嫌を悪くする。そして風呂から出ると、リビングのテレビのリモコンは彼の物だ。彼の見たい番組を見る。そして母の手料理に文句をつけ、酒を飲む。何か気に触ることを言うと、「おまえらが食っていけるのは誰のおかげかわかっているのか。」と言う。祖父母は年金暮らし、母はパート、家の収入のほとんどは父が稼いできたものだった。

そんな父のモラハラ発言を受け続け、母はほとんど笑顔を見せることはなかった。父は暴力を振るうこともあった。母は震える声でなんとか反抗するが、それも無駄である。一度怒りを買ったらなかなか止められない。私たちは違う部屋で引きこもることしかできなかった。

それがだんだん収まってきたのは、私が小学校の高学年になった頃だろうか。やはり私が「いい子」になってからかもしれない。手伝いをして、父を怒らせないように小さなことにも気づかって、学校では良い成績をとって、あまりお金を使わないようにする。そうすると父は自ずと暴力が減ってゆき、母の笑顔も増えていった。もしかすると、両親の喧嘩の原因は「作っていない私」だったのかもしれない。家族の中で、「作っていない」本当の私を愛してくれていたのは、祖父母だけなのかもしれない。祖父母は、いつでもどんなときでも、私の味方だった。

そうして「いい子」でいるようになった私。一方で弟はというと、父に似たのかこの上なく自分勝手である。自分に気に食わないことがあると物に当たったり、大きな音を出したり。母を貶めるような暴言を吐くのは、父そのものである。読者は父がそれを黙っているとは思わないだろうが、少し前までは確かにそうだった。しかし、それももう昔の話。というのも、一度流血沙汰の事件を起こしたためである。これ以上父が介入すると取り返しのつかないことになるということは、父自身も理解していた。

私はそんな弟のことが憎くて仕方がない。過去形でないのは、今でもそう思っているからである。私が家事を1人でやっていても、何も言わないし何もしない。私が遅くまで起きて勉強をしていても、彼は遅くまで起きてゲームをしている。私が家族のことを思って早くお風呂に入るようにしても、彼はいつも遅くなるまで入ろうとしない。圧倒的に自分が悪いのに全て人のせいにし、自分の非を認めない。電気も水道も、電気製品も美容品も、自分のためなら金を惜しまず使う。私が両親のことを思って必死で節約しているのに、彼は好き放題だ。気に食わないことがあると暴言を吐き、育ててくれている両親に感謝の言葉もない。私が今まで努力してきたことは一体何だったのか。ずっと自分の欲求を押さえつけ、塾に行かずに県内の国公立大学を目指し勉強を続ける毎日。弟は家族のために、一体何をしただろうか。

そんな思いを抱きながら、私は休校中の日々を過ごしていた。

その日もいつものように弟は母に向かって暴言を吐き散らしていた。私は母が辛そうにしているのを見るのが何より苦しかった。それは昔から変わっていない。父が母にそうするときも、その光景を見るのが一番の苦痛だった。

不安な毎日を過ごす中でのストレス、弟と同じ家で暮らしているストレス、「いい子」でいるようになってから少しずつ蓄積していったストレス、もしかしたら他にも要因はあるのかもしれないが、それが急に爆発したのだ。

心臓がドクドクしている。呼吸が苦しい。ただひたすら涙が止まらなくて、1人の部屋に浅い呼吸と嗚咽だけが響いている。もう死んでしまいたい。いなくなりたい。だけどここで死んだら家族に迷惑がかかる。それならいっそのこと、最初からなかったことにしたい。自分の存在をなかったことにしたい。こんな時にも人にかかる迷惑のことを考えている自分に呆れた。私は、一体何のために生きているのだろう。

そのときにはもう、自分がどうなってもいいと思っていた。

怒りを覚えたときに、人はどのような行動をとるのか。まずは我慢する。我慢ができなかったら暴言を吐く。それでも気が済まなかったら、手を上げる。今まで何度も弟に手を上げそうになったことはあった。だけど、できなかった。私にとって人を傷つけることは、どんなに嫌いな相手に対してでも難しいことだった。

そんな時に、怒りの矛先となったのが、自分だった。自分のことが大嫌いだった私にとって、世界で一番傷つけてもいいのは、自分自身だった。たまたま近くにあったカミソリを手にし、気づいたら私は自分の太ももに刃を擦り付けていた。

ピリッと痛みが走る。痛い。少しだけ血がにじんだ。だけどそれも一瞬の出来事。そんなことお構いなしに私の手は動き続け、気づいたら私の太ももは傷だらけになっていた。といっても、その頃の傷は擦り傷程度の浅いものだった。カミソリも安全カミソリだったため、垂れるほどの出血をしたことはなく、ただ線のようなかすり傷が私の太ももを汚していった。

自分が傷だらけになっていると気づいたときには、怒りや涙は収まり、私の心はいつも通りに戻っていた。自分を傷つけることで、私は平静を取り戻すことができたのだ。

それからというもの、私は自分の怒りをコントロールできなくなると自傷行為をするようになっていった。


自傷するのはかまってほしいから?

私が自傷をするときに最も気をつけていることは、他人に見えないところを傷つけるということ。私にとって、自傷は「自分の弱さ」だ。このようなことをしているのを誰かに見られたり知られたりするわけにはいかない。

だから最初は太ももを傷つけた。田舎の高校で、スカートも膝下があたりまえ。私服で短い丈の物を履くことは無かったし、彼氏もいなかった。太ももを見せる機会はほとんどと言っていいほどなかったのだ。しかし、体育の授業で履くズボンは少し短かった。流石に見る人もいないだろうけど、太ももに不自然に貼ってあり、運動をしているとだんだん剥がれてくる絆創膏が自分としては気になって仕方がなかった。いつかばれるのではないか、とヒヤヒヤしながら授業を受けていたのを思い出す。

絆創膏が剥がれてしまったとき、次に生じる問題が、傷跡が布に擦れるという問題。その頃には自傷をしている時は痛みを感じなくなっていたし、他のことを考えている余裕もなくなっていたのだが、いざ冷静になって普通の生活をしていると自傷をしたことを後悔する。絆創膏がついていないとき、布に擦れる傷跡は痛い。ある日、勉強に集中できないと思い、私は保健室に絆創膏をもらいに行った。普通の絆創膏では収まらないため、大きな絆創膏をもらおうとすると、保健室の先生は傷跡を見せるように要求してきた。

「もしあなたさえよければ、どれくらいの傷か見せてごらん。私が貼ってあげるから。」

このときの私は、揺れに揺れていた。傷跡を見せるか、見せまいか。今まで自傷のことは、親にも、親友にも、誰にも伝えたことはなかった。自分だけの秘密だった。だけど保健室の先生だ、この人なら自傷のことも理解してくれるかもしれない。引かないで私の話を聞いてくれるかもしれない。

「・・・太もも、恥ずかしいので自分で貼ります。」

やはり保健室の先生にも見せることはできなかった。

それから時が過ぎて高校3年の冬を迎えた。その頃には、血が垂れてくるほどには傷は深くなっていた。それまでの間、心療内科にかかることもあったが、自傷のことは主治医にも伝えることはできずにいた。自傷を止められるのが、主治医づてにこのことが親に伝わるのが、怖かったから。


そんな中、受験勉強の息抜きに、私は幼なじみの親友と近くの温泉に行く機会があった。もうそのときには自傷や太ももの傷跡は、自分にとって特に変わったことではなく、あたりまえのことだった。そのため、一緒に温泉に入ったらこれを見られるということは、全く考えていなかったのである。

言うまでもなく、その傷は親友に気づかれた。

「太もも、どうしたの?」

「あ、これ?ちょっと、やっちゃって。」

「あー、擦った?(笑)」

「うん、そー。(笑)」

太ももを擦るとはどういう状況なのか。彼女はいい意味でおバカで純粋なので、これが自傷行為だということには気づかなかったのかもしれない。し、もしかしたら彼女なりの優しさで気づかないふりをしてくれたのかもしれない。どっちにしろ、彼女がこれ以上聞いてくることはなかった。

しかし、詰めが甘かった。太ももは傷が残りやすい。もっとわかりにくくて傷が残りにくい部位はないだろうか。もっと手軽にできて、血がたくさん出る場所はないのだろうか。そうしてインターネットを駆使して見つけたのが、指だった。

指ならけがをしやすい部位だ。傷は残りにくいし、絆創膏をしていても不自然ではない。それからは、太ももではなく、指を傷つけるようになった。指からポタポタと垂れてくる血を見ていると、私の心は落ち着いた。しかし一方で上手く切れずに血が出てこないと、私の心は晴れないままだった。

こうして私は自傷行為に依存していったのだった。だけど冒頭に述べたように、自傷は頓服薬。自分を抑えられなくなったとき、自分ではどうしようもできない時にしかしていない。本当はしない方がいいのかもしれない。実際に私の友人がしていたら、間違いなく心配するだろう。それは私の家族や友人にとっても、きっと同じである。だから見せてはいけない。このことは話してはいけない。誰にも迷惑をかけないからこそ、してもいいことなのではないかと私は考えている。

だからといって、かまってほしくて自傷行為を行っている、俗に言う「メンヘラ」を非難しているというわけではない。彼らには彼らなりの理由があってしているのだから。しかし、自分のことしか見えていない状態ではいけない。自傷行為を見て、知って、不快な思いをする人や悲しい思いをする人は少なからずいるのである。仮に全く知らない相手だったとしても、だ。世の中には様々な人がいる。それをお互いに理解する必要があるのではないだろうか。


今回は、自傷行為について書かせていただいた。自傷行為をする理由は様々だし、やり方も様々である。髪の毛を抜いたり、爪を噛んだり、自分が気づかないうちに癖になっていることもある。一般的にはなかなか理解されない自傷行為だが、「かまってほしい」から自傷をするというケースばかりではないということを知って欲しかった。

ただ、私のように、自傷行為をすることで自分の平静を保っている人もいる。自傷行為らしき物を見てしまったときには、心配になるのはわかるが、止めさせないで欲しい。何がその人を苦しめているのか、どうしてそうなってしまったのか、無理に聞き出さないこと。時には気づかないふりをすることも必要だということを理解していただきたい。


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