見出し画像

デザインで育ちました

by 株式会社沢村デザイン研究所 後藤 リオ


のっぽさんのお仕事

曾祖父→祖父→父→私とデザインに携わってきました。私とデザインの話をする時に、避けては通れないこのお話。
1910年代は曾祖父の時代、商業美術とか図案と呼ばれていました。
1950年代は祖父の時代、戦後はグラフィックデザインが熱かった。
1980年代は父の時代、アナログからデジタルへ、そして情報デザイン。
そして時代は今、これから先、どうなるー?どうなるー?

筆で何かを描くスタッフのお兄さんやお姉さん、自分よりも大きいカラフルな紙や定規、暗室の現像液の匂いと赤い光。私とデザインの出会いは、幼い頃の事務所の記憶から始まっています。

当時は、お絵かきと工作をするのがお仕事なんて、「できるかな」に出てくる、のっぽさんやん!と思っていました。子供ってかわいい♡

当たり前のように、生活の中にデザインという単語がある中で育ったので、何十年たっても、デザインは日常です。かっこつけず、奇をてらわず、そんなスタンスで向き合っています。

始まりは、知ること

さて、コロナ禍。
私のまわりのデザイン界隈でも、抱えているクライアントさんの業種によって、影響の大小は様々です。特に飲食やイベントが中心のところは影響が甚大ですが、新しい形態やアプローチを試すチャンスとして、前向きにとらえている所も少なくありません。このあたり、問題を解決するという視点を持ったデザイナーの逞しさや、よりよい未来にしたいという心意気をヒシヒシと感じます。

ここ一年の自身の仕事の変化といえば―。

◎簡単な写真や動画の撮影・編集が仕事の一部になってきました。こればかりは技術の進化の賜物です。もちろん、ここぞ!という時はプロフェッショナルにお願いしたりと、臨機応変です。

◎クライアントさんの国籍も多様になってきました。以前に半年間、アジアのあちこちをまわったことから、いずれは色んな国の方とお仕事がしたい!と思っていた私にとっては、ワクワクする傾向です。

最後に、私の仕事は、いつも知ることから始まっています。クライアントさんが持っている有形無形の何かしらを、自分というフィルターを通し、カタチにして届けること。それによってより素敵な社会にする一端を担えることが、デザインに携わる魅力だな、とあらためて感じました。人と会うこと、解決を考えること、形にすること、提案すること、どれもこれも大好きな行程です。

まだしばらくは、バタバタと落ち着かずに、あれやこれやと過ごしていきたいと思います。

画像1

文筆家 譽田亜紀子さんの「かわいい古代」の装丁とエディトリアルを担当。縄文好き、土偶好きの彼女が、らしさ全開の語り口で紹介する、縄文・弥生・古墳のかわいい遺物たち。「それぞれの子にあったグラフィックを!」 という要望にワクワクが止まらないお仕事でした。
株式会社 沢村デザイン研究所 
グラフィックデザインを軸に、パッケージ、エディトリアル、ウェブデザインなどのディレクション・デザインに携わる。
得意分野は企業ブランディング、飲食店V.I、商品企画・デザインなど。
https://www.sawamura-d.com


画像2

大阪デザインセンターさんのご縁ではじまった株式会社バンコさまとのお仕事も、今年で6年目。商品企画やパッケージの統一からカタログまで、一貫したブランディングに基づいてデザインしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?