3人の師匠

なんとなく、私が世話になった師匠についてまとめる。

「文章を書くこと」についての師匠だ。

私は文章を書いて、生活するカネを得ている。といっても、そういった世界の隅っこの方でギリギリ息をしている程度の小物だ。けれども、そんな小物にだって師匠はいる。今回はその人達の話。

私はかつてある会社の広告制作部門にいた(申し訳ないが会社名は伏せる。なんだか師匠たちに悪いかなという気持ちがあるので)。より詳しく言えば、広告の制作・進行管理を行う部門。純広告やタイアップ広告などを手掛けていた。通常、そういった部門ではタイアップ記事などは外注のライターさんなどを頼る。しかし、私のいた会社はめずらしく大半を社員が執筆するという環境だった。なかには編集部門から広告制作に移った人もいて、筆がたつ人が多かった。

新卒で入社した私は、猛者たちが集まる部門に放り込まれて、OJTという名のシゴキを受けることになった。学生がいきなり原稿を書いて一人前の内容になるはずはない。書いた原稿を数行読まれただけで書き直しを命じられるなど日常茶飯事だった。仕事の辛さを思い知らされた当時、地下鉄のホームで線路ギリギリのところに立ち、「このまま電車に飛び込んだら楽だよな」とぼんやりと考えるほどだった。かなり追い込まれた方である。

なぜそんな状況になったか。単純な話、文章が下手くそだったからだ。書き直しても書き直してもダメ出しをくらい、最後はどう直せばよいかわからなくなる。締め切りギリギリで、罵倒されながら目の前で全部書き直される。その程度の力量しかなかった。デキない奴の典型で「どこが悪いのかわからない」状態だったから、今にして思えば仕方ないことだと思う。

パワハラはダメという風潮があるが、私は当時のシゴキは当然だったと思っている。理由は簡単だ。広告はクライアントからおカネをもらうものだ。その対価として、より効果のある広告を作らなくてはならない。それができなければ対価をもらうなんておこがましいのだ。

人の目を止めるキャッチコピーでなくてはならない。より多くの人に響く文章を書かなければならない。間違いなどあってはならない。手を抜いてしまえば、次の広告出稿にはつながらない。カネがもらえなくなるのだ。

今思えば、よく辞めなかったなと思う。というのも、前述の対価を得ることの厳しさに気づいたのはシゴかれていたずっと後だったのだから。

シゴかれている最中は、「どうすればうまく書ける?」と念仏のように唱えながら、パソコンの画面にしがみついてキーボードを叩くだけだった。

しかし、続けていればなんとかなるもので、そのうち、ほぼ直しなしで原稿にOKが出るようになった。そればかりか、クライアントから褒められるようになった。どんなキッカケでまともになったのか、思い返してもわからない。あるタイミングから「自然にそうなっていた」のだ。師匠のひとりから「いやぁ、最初は下手くそだったよな。どうなるかと思ったよ。今はなんとかマシになったな」と行きつけの居酒屋でガハハと笑いながら言われたときは、これ以上ないくらいうれしかったのを鮮明におぼえている。

要は、くそみたいに文章が下手だった人間が、もがいてもがいてようやく”まとも”な文章書きになれた。そこで関わった3人の師匠について振り返ってみたくなったのだ。理由は特にない。電車に乗っていたら、ふと1人の師匠を思い出した。それだけだ。

前置きが長くなった。あらかじめ断っておくと、このnoteは構成を無視して書き散らしている。それこそ、この文章を師匠が見たら烈火のごとく怒り、朱書きまみれ...いや、サッと書き直しを命じられるだろう。

1人目:F氏

1人目の師匠。ここではF氏という。新卒で入社した直後の上司だ。恐ろしく筆の立つ人だった。デキの悪い私の文章をジーッと見て、「これはこういう意味か?」「この人はこういう意図で言っていたのか?」など、文章の中に含まれた要素について質問をする。そして、「わかった」という言葉を残してF氏の席に戻る。バチバチとキーボードを打つ音が10分程度したかと思うと、プリントアウトした紙を私のところにもってきて見せる。そして、「こういうことか?」と言う。できた文章を読むと、驚く。すべての要素が、文章の中であるべき位置におさまっている。冒頭にはエピソードが突っ込まれていて、読み始めの段階からグッと引き込む工夫が凝らされている。F氏は短時間の間に、文章に含まれる要素をすべてバラして、再構築していたのだ。F氏いわく「文章は起承転結。序破急。この2つしかない」。そして「エピソードと数字。これが文章のキモだ。お前の感想なんかいらない」と続けた。

最初に書き直されたときの衝撃は今でも忘れられない。F氏が書き直した文章は一言一句光り輝いて見えた。そして、無駄な言葉が一切ない。省きたくても省けない。まるでガッチリ組み上げられた城壁のような完全性があった(それだけに、最終段階での字数調整は胃が痛くなるくらい悩むことになるのだが)。

今でもF氏から言われた言葉は、私が文章を書く上で重要な指針になっている。起でグッと読み手をつかまえて、承以降では”うまくYESとNOの立場を入れ替えて文章を転がしていく”という方が書きやすいと思っている。ただ、起でエピソードを持ってきてライブ感を出す。これは難しいが、できると文章がグッとしまるのは間違いない。

しかし、エピソードを入れるためには当然「実体験」や「情景がわかる取材」が不可欠だ。それを用意できるかどうかが分溜域になる。文章を書く前の準備で勝ち負けが決まっているとも言い換えられる。実際、F氏の下で働いているときは追加でヒアリングなんてザラだった(これは書き手としては最も恥ずかしい事のひとつなんだが…)。

一方で、「エピソードと数字。これが文章のキモ」というのは間違いなく正しい。例えば、ある料理店がとてもおいしいとしよう。このおいしいをどう表現するか。単純に「目の玉がとびでるほどうまい」と言うのか、「3つ星料理人が月イチで必ず来る」と言うのかの違いだ。できるだけ出来事で言う。数字を盛り込むことも同様だ。ある商品がバカ売れしているとする。それを「ムチャクチャ売れてる」というのか、シェア50%というのか、こういった違いだ。数字は物事のスゴみを単刀直入に表現するときに有用だ。

数字も取り上げ方は色々ある。売上高の単純な凄さで見せるのか、比率にして圧倒的さを出すのか、伸び率の大きさを際立たせるのか。時と場合で使い分ける。数字の見せ方も大事だ。

はっきり言おう。エピソードも数字もない文章(小説や哲学系を除く)はゴミだ。世に出ているたくさんの雑誌をもう一度読んでほしい。びっくりするぐらい、ゴミで溢れている。

(誤解のないように補足しておくと、noteなんてゴミでいい。対価の発生しない書き散らしは自由でいい)

2人目:T氏

新卒で入社し2年目のタイミングでチーム編成が変わった。そのチームをまとめていたのがT氏。酒好きの良いおっちゃんだ。酒を飲むと目がすわる。酒を飲んでいるときは冗談は言うけど、悪口・陰口の類は絶対言わない。泣き言も言わない。昔の苦労話を笑いに変えてしゃべる。大好きな人生の師匠でもある。

T氏の下についたのは微妙なタイミングだった。F氏から「文章は起承転結か序破急」と言われ続けていたが、まだうまくできていなかった時だったからだ。思わずその悩みをぶつけた。「すみません。文章構成がうまくできないです」と。

すると、T氏はなんとなく状況を察していたのか「うーん。あんまり考えるな。文章はすーっと流れるように読めればいいんだよ。おもしろい”コト”が書いてあればいい」と言った。

無関係な人間が聞くと「何のアドバイスも含まれていない」と思うかもしれない。しかし、私にとっては目から鱗だった。その言葉に出会うまでは「起承転結か序破急」という構成が大事。それゆえ文章をブロックで考えなければならないと思い込んでいたからだ。文章はブロックではない。あくまで言葉のつながり、”流れ”なのである。

「おもしろいコトを」「すーっと流れるように」続けて書く。

文章はおもしろいコトの数珠つなぎなんだ。F氏の構成絶対主義は正しい。しかし、それは筆力と文章構築力がある人はできても、そうでない人には難しい。私はその力量がない。ならば、流れで勝負する。そのかわり、血を吐いてでも、他人よりおもしろいコトをかき集めてやる。武器は汗。どろくさいやり方で戦うスタイルが定まった言葉だった。

3人目:T2氏

T氏に言われて「流れるように」文章を書くことを目標にしたものの、元来文章がド下手くそな私は苦しんでいた。もう少しで書き方を掴めそうだが、しっくりこない。書いた文章を読んでも流れていない。そこで具体的にやり方を示してくれたのがT2氏だ。当時在籍していた部門のボスである。

深夜までウンウンうなりながらパソコン画面を睨んでいた私。フロアには誰も人が残っていなかった。そこに宴席を終えたボスがふらりと現れた。

「おう。遅くまでやってんだな。原稿?」と、赤い顔で問うてきた。

「はい。うまく書けなくて。文章が”流れないんです”。話が行ったり来たりしているようになって....」と、正直に返答した。

「あ〜。お前さぁ、パソコンで書くな。一度紙に書け。紙に細切れで良いから書きたいこと、書くべきことをバーって書いていくんだよ。で、全部ハサミで切れ。その紙切れを書くべき順番に並べて、順番が決まったらホッチキスで留めろ。あとはその順番通りにパソコンで入力してやればいいんだよ」と言った。

開いてるんだか開いてないんだかわからない目で、私をぼんやり見ていたT2氏。一瞬、「この酔っぱらいが」とは思ったものの我が部門のボスである。ここは従おうと、紙を取り出して言われたとおりに実践した。もっとも、当のT2氏は言うだけ言ってとっとと帰ってしまった。残された私は忠実にボスの教えを実践するという展開。純粋な社畜だ。

しかしどうだ。やってみると書きたいことがすべて文章に反映される上に、流れもよい。アナログの極みだが、文章の構成要素をトランプのようにして並べ替えることは有用だと気付かされた。このやり方の利点はもうひとつある。捨てるべき(文章から削除すべき)要素もわかりやすくなるのだ。紙の束をパラパラめくりながら、「あ、これは余計だな」と思うものは、そのっ紙切れを取り出して、ゴミ箱に放り込めば良い。文章構成要素の入れ替えは紙を入れ替えれば簡単にできる。パソコンでの悩みが霧散した。

2年の時間を要したが”なんとなく”文章の書き方についてやり方が定まった瞬間だった。結局、今でも迷ったら3人の師匠が言ってくれた言葉に立ち返っている。

1:おもしろいコトをすーっと流れるように
2:エピソードと数字を大切に
3:起承転結か序破急でまとめられれば最高
4:いきなりパソコンに向かうな。まずは紙に書いて順番を並べ替えろ

ありがとう、3人の師匠。今でも、これからもずっと尊敬しています。


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