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言語化できないよ、できないけどね

ってまた誰かの台詞に近い言葉があるとそれっぽく言いたくなる。稽古中から本番までずっと会話の中で誰かが誰かの台詞を言う時間がたくさんあった。こんな経験は、たぶん初めてで。仲良すぎるし。でもそれくらいみんながみんなの台詞を聞いてるってことで、それくらい谷さんの書く台本の言葉が日常的ってことでもある気がする。あと、全員がずっと舞台上にいるワンシチュエーションのものって意外となくて、だから自分じゃないシーンとかあんまりないから、本気でずっと人の言葉を聴いてたんだなぁって終わった今冷静に思う。

そんなわけで舞台『哀を腐せ』が無事に閉幕した。1ヶ月半稽古した10人で終わらせることができた。だけどスタッフTに名前が入っているやまうちせりなちゃんがいてくれたおかげで走りきれた公演だった。スタッフTにせりなちゃんの名前を入れる劇団員佐々木道成の優しさが溢れてたのか、このTシャツをもらった時なぜか温かったのも言語化しておこう。

実は、な話をひとつだけ。最後のシーンでセットがベッドになった時、そのシーンに出てない7人はずっと白いカーテンの後ろに居た。というのも、静かなシーンだから少しでも動くと音がするからという理由で楽屋に戻れなかった。最後にほのちゃんがカーテンに入った時には音も声も何もない空間になるから、10人全員がカーテンの後ろに居ることになる。そのまま客電が点くため、カーテンコールはないけど、実は全員でお客様のことを見届けていた。

今までカーテンコールで舞台上に行くから拍手する観客の皆様は見たことはあるけど、拍手し始めるまでの姿を見たのは初めてだった。拍手の起きないあの空気、拍手しない人、拍手し始める人、すぐに去る人、最後まで立ち上がれない人、様々な人間を目撃した。去ろうとしても舞台セットを見に戻ってくる人もいた。媚び一つない十人十色のリアクションがとても新鮮だった。

それを受けた私も特に言語化はできない。でも人生で体感したことない空気だったことは間違いなくて、カーテンコールしないことに徹した谷さんに拍手。でも実はカーテンの裏でお客様を見届けてましたってこと、それだけね、言語化しておきたかった。

言葉にすることが「正しい」とは思わないけど、言葉にしてみる大切さをこの作品を通して知れた気がする。だからもうちょっと言語化してみる。人間って1日に何万回も選択するって聞いたことがあるけど、そんな無意識の何万回の時間が過ぎていくおかげで生かされてる可能性もあると思った。「よし生きよう」ってそんな丁寧に選択する日は少ないかもしれないけど、消去法で生きていく時もあっていいし、何も考えてなくても勝手に選択して生きている時間が過ぎていくでもいい。

「こんな骨格に生まれたらな〜こんなキャリアがほしいな〜」そんな人と比べた結果の願望よりも、ただ生きているだけでいいやん、それだけですごいことをしてるってふと感じる時間が増えてて。「生きよう」よりも「今日も生きた」と思える自分を大切にしてみよかなって。なんかそんなことをあの作品を終えてより思う。

内容と役を通して体感したことと、自分のプライドとかじゃなくお互いを尊重し合う共演者の皆さんとあの時間を共に過ごせたことは、これから生きていく上でとても大きな影響を受けた。忘れてくこともきっとあると思う。だけど先輩たちが見せてくれた姿勢、千穐楽まで稽古し続けて作品と役に真摯に向き合うみんな、優しさと情熱をたくさんもらった時間は「生きていく」に繋がっていくのかもしれない。

多分これから先、今回の作品の誰かの台詞を誰かの言い方をあたかも自分の言葉の言い方のように話すことがあると思う。その度にその役を思い出して、「それ台詞じゃん」って笑い合ったことも頭に浮かび、この笑いを共有し合えないことがしばらく寂しそうだね。ってくらい、人生の財産になる時間を過ごさせてもらった。
忘れたくない熱い夏をありがとう。

観に来てくださった皆様、感想も書いてくださった皆様、ずっと励みになってました。
本当にありがとうございました!
またの機会のために精進します。


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