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二十歳のちょっとした記憶違いな夢の話。⚠︎前半と後半で記憶が変わります。

この4月は私にとって忘れられない月になった。
10年来の目標が2つも経験できた。
目標は書いて、口にした方がいいと実感したから、またここにも書こうと思う。

先月半ば、沖縄国際映画祭があった。
昨年撮影した映画『遠くを見てみた』は吉本興業と石川県津幡町の協力で完成した作品で、津幡町を舞台にした地域発信型映画。その作品の上映会として映画祭に行けることになった。

俳優を志したときから掲げていた目標がある。それは「レッドカーペットを歩くこと」だった。それはただ個人的に掲げていた目標ではない。

大学1年生のときに、アジアを船で旅する兵庫県の企画に参加した。そこで出会った人たちは大学が違えど、下船後も頻繁に集まり、新たなコミュニティーが生まれたりもした。その旅の仲間が企画したもので「100人の夢を集める」みたいなのが確かあって、もうそのやり取りはどこにも残っていないほど昔の話のため記憶違いもあるかもしれない。もし当時の仲間がこれを読んで間違っていたら指摘してもらいたいくらい、懐かしく思い出したい。

確実に覚えているのは私はその企画に参加したことと、その際にスケッチブックに自分の夢を書いて写真を撮ったということ。それが「レッドカーペットを歩くこと」だった。上京することが決まっていたときなのかも覚えていない。でも「女優」という業種への意志が高まっていたんだと思う。今考えると、その夢が意味するのは媒体は何でもいいとかではなく「映画」ということと、ある程度メインをできる女優になること。それ以外ではなかなか歩ける場所ではない。そのスケッチブックも今はないけど、


ってところまで書いて、そういえば写真はあったはずだと思い、ハードディスクを開いてみると「みんなの夢」と書かれたフォルダがあった。「あ、これだ」と思ったと同時に、今までの記憶が全然違う気がしてきたので恐る恐る開いてみた。

やっぱり私の記憶は全く違っていた。

どうやら、私は「みんなの夢」を集める側だったらしい。その写真たちに驚かされた。私が一人一人の「夢」を集めた写真だった。全く訳がわからない2010年の記憶。仲間の企画に参加しただけかと思いきや、一人一人聞いて回って集められた「みんなの夢」がそこにしっかり残されていた。2010年の7月1日から8月9日までの約1ヶ月間、友人に限らず、フットサル部の先輩後輩、当時のバイト先の社員さんたちに大学の教授たちまで、そして家族、自分含めて53人もの方々に「夢」をスケッチブックに書いてもらっていた。

今、改めてお礼が言いたい。
皆さま、素敵な笑顔と共に快く書いてくれてありがとうございました。
昨年亡くなった祖父は見たことないくらいにんまりした笑顔で、夢を書いたスケッチブックを両手でしっかり持っていた。

このスケッチブック、どうやら1冊にみんなが書いてくれているから捨てるわけもなく、実家にあるか、スケッチブックごと主催者に渡したのかなぁ。にしても自分が聞いて回ったことを覚えていなかったことがショックだった。参加者の一人としか思っていなかった。

そして一番の衝撃が、私が掲げていた夢が違ったということ。

「レッドカーペットとヴァージンロードを歩くのを
家族に見せる」

だった。笑った。もう一つのロードもあったのか。なぜかバージンじゃなく、ヴァージンなのも思うことがあったのかもしれない。ただ、自分が歩くことだけを目標にしていないのは、非常に初心に戻される気持ちになる。

しかし危ないところだった。今回の沖縄国際映画祭、3年ぶりのレッドカーペットに加えて、先月4月に開局したBSよしもとでレッドカーペットの模様が生放送されたのだ。その放送がなければ、私はただ歩けたことに満足して「家族に見せる」という目標を達成できなかったことになる。
放送してくれて、ありがとうございます。

いつか家族に目の前でも見てもらいたいなと新たな欲も出てきた。
今回歩く前に、このスケッチブックのことが浮かんで、当時の友人仲間のこともずっと思い出していた。まさかの夢の内容は違っていたけど、当時この企画者だった友人から「おめでとう」と連絡があり、私のこの夢を覚えててくれたことにも感激した。
なんかそういうね、そうやって昔から応援してくれてる人たちのことが浮かんで、ハードディスクのアルバム見たときのようにフラッシュバックしちゃって、涙が流れそうになったのよ。でも歩いているときに涙流してるのはすごくいやだなと思ったから、周りに気づかれない程度に精一杯我慢した。

いざ歩き始めたら、沖縄の方々や他県から見に来た方たちがとっても優しく手を振ってくださり、声を出せない代わりにたくさん拍手してくれていた。マスクしていても笑ってくれているのがわかるくらい優しい目ばかりだった。そのあったかさに余計に涙出そうになり、結果的に歩いている間、私の目はずっと潤んでいた。頼むから流れないでくれよと願いながら、全く引いてくれない涙を満面の笑みで受け入れていた。もうこうなったら潤んだまま歩くしかない。それがテレビ越しからもわかったらしい。後から小学校の友達が教えてくれた。私の中ではなんの問題もなくただ笑っているつもりだったけど、やっぱり隠しきれないものは出ちゃうんだな。

私のことを知らないであろう現地の皆さんの視線は本当にあったかかった。何よりこの映画祭をとっても楽しんでいるように見えた。なんて素敵な町!なんて素敵な企画!映画ってなんて素晴らしいんだぁぁあ!って、そんなシンプルな当たり前に思いたいことを歩き終わったときに当たり前のように感じられた。

今回もう一つの経験できた目標のことも書こうと思ったのに、ちょっとした記憶違いハプニングにより脱線してしまいました。また近々、9のつく日に会いましょう。いつも読んでくれて、ありがとうございます。

自分の記憶が全然違ったことで、記憶ってそんなもんかって呆気にとられたけど、夢や目標ってそれくらい身軽に持つお守りくらいな気持ちで持っておきたいなとも思えた。そんなんだから10年以上もかかってんじゃないのか!って指摘されそうだけど、無理やり何かを変えてまでやってたら今回のことを喜んでくれた友達は一人もいなかったと思う。

目標は大事だけど通過点でしかないし、そこまでの過程を丁寧に大切にしたい。いろんな、ほんとにいろんな10年分の蓄積で経験できた目標の一つでしかない。それでも忘れられない言葉はあるし、その時は漠然だとしても意識して向かっている自分がいたりする。

夢や目標に縛られてがんじがらめになる必要はないけど、ないよりはやっぱりあった方がいい気はする。自分の目標を覚えててくれた友人に何年越しかの答え合わせみたいに報告ができるのはなんとも心揺さぶられて面白い。そうやって心が面白がる瞬間を作っていきたいな。だからなんだかんだ目先、少し遠め、も少し遠めの目標はいつもあったりする。

あと自分以上に周りの方が覚えてたりするし、敏感なんだよね。だから腐らずめげず、地道に大胆に。
もう一つのロードがあったことも知った今、面白いから向かっていきたいね。いつになるかわからんけど。

読んでいただき、ありがとうございます! 子どもの頃の「発見の冒険」みたいなのを 文章の中だけは自由に大切にしたくて、 名前をひらがな表記にしました。 サポートしていただけると とっても励みになります。