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私が出会った奥能登

私は2020年に初めて石川県珠洲市に出会った。
コロナ禍になり、俳優業の事情が色々変わり、このままだと精神的に良くないと思い、他にできることはないかと考え、始めたことがある。

このnoteもその一つ。
もう一つ、47都道府県の「ほんまもん」に関わる人たちに寄り添うドキュメンタリー制作『よんなな』を立ち上げた。

その第一弾が石川県珠洲市だった。
ありがたいご縁が重なって、珠洲市の人たちに出会わせてもらい、4人の方のドキュメンタリー『奥能登に生きる』を制作した。

奥能登でのことは『読むよんなな』というよんななのサイト内でも書いてあるから、今想う奥能登のことを振り返ってみる。

第一弾というスタートを切るタイミングは思い切りも必要なため、その分思い入れも強かったりする。

初めて作ったドキュメンタリー。
手探りで不慣れな私を『よんなな』に関わってくれたチーム含め、奥能登の人たちもやさしく受け入れてくださった。

何年経とうが会いたい人たちがいて、また行きたいお店がたくさんある。あー食べたいなぁ。

いかなてて
つばき茶屋
古川商店
農家民宿ふるきみ

まだまだある。食べ物だけじゃなく、塩田や千枚田やそこにしかない風景もたくさんある。

自分の地元の風景が変わっていくことに何も感じないことはないから、そうやって「いつかなくなるかもしれない風景」を映像に今残しておきたいという想いでも『よんなな』を作った。

「ここには何もない」と言いながら素敵な笑顔で地元の好きなところを話してくれる皆さん。
奥能登に行くたび私は気持ちよく呼吸ができた。
私のお気に入りの場所が山ほどあって、連れて行きたい友人たちがいるから、みんなで行こうと思う。

奥能登と出会えたおかげで私自身が成長させてもらったという気持ちもある。
何日も密着して、時には季節をまたいで撮影しに行ったり、一人の人に集中して関わる経験も初めてだった。

あれから環境がガラリと変わり、あの時のような時間をかけた寄り添い方は今はむずかしいけど、環境がどれだけ変わろうが、『よんなな』を始めた想いはずっと変わらない。

日本にある「ほんまもん」が好きだし、それに関わる人たちと出会うのが大好き。今の『よんなな』は47都道府県に酒蔵がある日本酒を通じて関わっていくプロジェクトに変わりつつある。

だから余計にコロナ禍から2022年までの時間は貴重な経験ばかりだったため、なかなか忘れられないと思う。奥能登で出会った人たちの話から感じた自分の在り方や、初めての制作経験から作る人への改めてのリスペクト、その後の私の人生に大きく影響していることばかり。

一番大きいのは人との関わり方かもしれない。今はありのままの自分を受け入れてくれる人たちが周りに居てくれる。そのありがたみが深く沁み入るくらい学ばせてもらった。

奥能登で出会った人たちが心を開いてくれてたからかもしれない。
映像を見てくださった人はわかるかもしれないけど、皆さん本当に素敵な笑顔で私の拙い質問にも優しく答えてくれた。
生きてると優しくないこともあるから、そういう優しさがぐっと胸に響いたりするのかもしれないね。
出会わせてくれたことにも改めて感謝。

それではまた明日。
能登の人と能登の話を。楽しみだ。

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