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ましろ死論―猫、夏、駅、迪ォ―①

目次
・はじめに 
・1 猫
・2 
・3 
・4 迪ォ

はじめに

2020/06/26のロードモバイル案件配信から、にじさんじ所属Vtuberましろの配信活動は目に見えて少なくなっていった。
6/26から8/26までの2ヶ月間の合計配信時間は、上記案件を含めて5時間弱である。
そもそもましろは配信スケジュールを事前に告知することがほとんどないため、活動自体が常に突発的なのであり、当然活動休止についても何の告知もしないわけである。
リスナーは、ましろの配信を毎日「あしたこそ」と待ち続けているうちに、気がつけば2ヶ月もの時間が経っていたわけである。

この直前までは遊戯王タッグフォース6配信が毎日行われており、それ以前でも、少なくとも2,3日に一度はなんらかの活動があったため、ここまで活動が沈黙するのは異例のことであった。
本人はツイッターや、この期間に行われた数少ない配信の中で、いくつか理由を述べている。
いわく「低気圧で体調を崩していたから」「ここ一週間短期のバイトをしていたから」「チョコブラウニー食べ過ぎたから」等々。
どれも2ヶ月のもの長い沈黙を説明し切るにはやや物足りないが、「あの夏が飽和する。」の歌ってみたが投稿されてから一週間後の7/25の配信においては「歌ってみたの評判が良かったので、じゃあまた一週間くらいサボってもいいかなって。つまりサボってたのはきみたちのせい」と見事に説明してみせた。

ところで、ましろリスナーにとっては、このくらいの放言は日常茶飯事である。
ましろは「やる気が無い時は絶対に配信しない。やらなきゃと思って義務感で配信したことは一度もない」と常々語っており、したがって、一度やると言ったが結局やらなかったことなども無数にあり(むしろそちらの方が多い)、つまり、リスナーはそもそもましろをそこまで信用していないのである。
ましろの方もそれを重々承知しているからこそ、こんなふうに「サボってた」と気軽に言えるわけで、お互いに過剰な期待を押し付けず、信用し合わないことを信用するという、逆説的な信頼関係がリスナーとの間に結ばれているように思える。
この奇妙な信頼関係は、しばしばファンチによる過剰な期待と失望のドロドロした愛憎関係が生まれがちなVtuber界隈において、特別にカラッとして健康的である。そしてだからこそ可能となっているましろの数々の放言は、彼の配信の魅力の一つとなっている。

さて、しかしこのような、そもそも告知がないために活動休止しているのか休止していないのかさえ判然としない、ダラダラとした長い空白の日々にも関わらず、この2ヶ月間(7月と8月)は、実はましろリスナーにとっては特別に濃密な意味を持った日々だったのではないだろうか。

7/18に投稿された歌ってみた動画「あの夏が飽和する。」。
そして8/07に投稿された歌ってみた動画「」。
これまでの配信でばら撒かれた伏線の数々が、この2作品の投稿を機に、一挙にひとつの生きた物語へと組織されていったのである。
ほとんど配信の行われなかったこの2ヶ月間で、ましろというVtuberの存在感は、むしろ怒涛の勢いでますます強くなったのだ。

そして日を追い、9/4には唐突に初の新衣装が公開され、また同時にメンバーシップ開放が告知された。
空白かつ濃密な、不思議な2ヶ月の後のこの大きな動きは、新衣装を着たましろ自身が「これから」と活動の展望を述べたことから分かるように、「これまで」の活動が一区切りついたことを示すのだろう。
タイミングとしては最適である。

このエッセイでは、ましろのこれまでの配信活動を、投稿された歌ってみた動画3作品を頼りに振り返っていく。
ましろ死「論」と銘打ってはいるが、あくまでも個人的観点から綴ったエッセイである。
そして個人的なエッセイであるからには、かゆいところに手が届くような、配慮の行き渡ったましろ解釈などにはなっていないはずだ。
したがって最近ましろを知った人にとっては、まったく読みやすくないましろ入門の手引きとなるだろうし、ましろの配信を欠かさず見ている人にとっては、もしかしたら蛇足の極みと映るだろう。
あくまでも、僕が見たましろの魅力に焦点を絞り、その魅力を伝えるためだけに綴ったものである。
そのために僕たちはこれから、猫を追いかけ、あの夏に佇み、例の駅に迷って、ふたたび猫と出会うだろう。
なんのことはない。
だからさしあたり簡単に、こう言っておこう。

これはましろが猫を飼うまでの物語である。



ましろの初歌ってみた動画「猫の食卓」は2020/04/03の午後9時に告知ツイートがあり、4/4の午後5時にYoutubeプレミアム公開で投稿された。
「猫の食卓」がリスナーたちの多くに大きな驚きと好意をもって迎えられたことはコメント欄を見れば一目瞭然である。Vtuberの歌ってみた動画ではもはや当然のことでもあるが、ほとんどが絶賛の声で占められている。
しかし「猫の食卓」には一部、他のVtuberの歌ってみた動画ではあまり見られない、ユニークな反応があったことに注目したい。現在、「猫の食卓」のコメント欄で最も多くのサムズアップ(2020/09/11現在2189個)を稼いでいるコメントを、投稿者の名前を伏せつつ紹介しよう。

考察班には悪いけど等の本人は猫が好きだからって理由で歌ってそう

このコメントには現在(9/13)までのところ13件の返信コメントがあり、そのほとんどが上記コメントに対して同意を示している。
このコメントの意味についてわざわざ解説する必要はないだろう。すなわち、このましろの歌ってみた動画「猫の食卓」に対して色々と難しく考察をしている人には申し訳ないが、ましろ本人は考察に値するようなことは何も考えておらず、単に猫が好きだからこの曲を歌ったに過ぎないのではないか、ということである。

このコメントから読み取れることは二つある。
一つは、この「猫の食卓」に、ましろというVtuberに深く関わる何らかの意味を直観し、これを明らかにしようと考察をしている人々がおり、そのような考察コメントにそれなりの存在感があったということ。
もう一つは、そのような考察コメントは無駄であり、馬鹿らしく思っている人々がいたということ。
どちらの勢力が大きいのかは問題ではない。また、どちらのスタンスが妥当なのかもここでは問題ではない。
ここで重要なのは、このような対立が生まれたこと、それ自体である。
このような対立は、他のVtuberの歌ってみた動画ではあまり見られない。リスナーに考察を促す歌ってみた動画は少なくないし、そのような動画の、考察コメントが流行しているコメント欄には、それらをくだらないと切り捨てるコメントも中にはあるだろう。しかし「猫の食卓」のように、それが動画自体への批判の形を一切取らずに、最多サムズアップを稼いだりはしない。

では、なぜましろの「猫の食卓」にのみ、このような対立が生まれたのだろうか。
もしかしたら、この問いはすこし大袈裟に聞こえるかもしれない。
結局のところ、この対立はよくある解釈違いに見えるからである。しかし、解釈違いの対立とは本来、考察と考察、解釈と解釈それぞれの異なる内容が互いに矛盾する際に勃発するもののはずである。
他方でましろの「猫の食卓」では、考察することと考察しないこと、解釈することと解釈しないこと、それ自体が、それぞれメタレベルの解釈として対立を構成している。
解釈の内容による対立ではなく、解釈の有無そのものが対立すること。(注1)
それが、ましろの「猫の食卓」のユニークな点の一つである。

改めて問おう。
なぜこのような対立が生まれたのだろうか。
それを解き明かすには、まず猫を追いかけるのがよいだろう。
やや混雑した議論となってしまったが、ようやく旅の始まりである。
僕たちの猫との出会い、ましろの初配信から振り返ろう。

(注1)解釈の有無というが、しかし「猫が好きだから歌ってそう」という推測も解釈の一つなのではないかという見方があるかもしれない。
確かにそのような見方もありうる。
しかしその解釈はメタレベルの解釈、すなわち「解釈をしないという解釈」に限りなく近い。
解釈とはテクストから意味を引き出す行為である。
しかし「猫が好き」あるいは「〜が好きだから」という理由付けは、むしろ意味の拒絶でさえある。歌詞の内容を解釈することなく、すべて歌い手の趣向に還元し、好きであることを理由に据えた時点で、それ以上の意味の探求はすべて無意味化するからである。(もっとも、そこでなぜ好きなのかという問いが続けばその限りではない)
また、そもそも単純に、このコメントが「考察勢」に対するある種の反発によって書かれていることも考慮すべきだろう。


初配信~初期アーカイブ

ましろの初配信は2019/12/29に配信された。
配信の内容については後で触れるとして、まずはサムネイルに注目してみよう。
宇宙銀河を背景に、「猫天国」という巨大な立体文字があり、その横に口を大きく開けて笑うましろの顔がある。
意味不明である。
実はこのサムネイルは後々になって差し替えられたものであり、配信当初は「猫天国」の文字の下に、3匹の個性豊かな表情をした猫が配置されていたのである。
意味不明だろう。
解説すると、宇宙の画像を背景に猫が映っている、いわゆる「宇宙猫」という画像ミームがある。初配信のサムネは当初、実はそのパロディとしてあったのだ。そして3匹の猫画像に著作権上の問題が発覚し、猫の姿だけが削除されたのが今のサムネイルである。
ちなみに、差し替えられたのはサムネイルだけではない。配信の内容も差し替えられている。現在アーカイブとして残っているものは編集済みの映像であり、当初あったはずのいくつかのシーンが削除されている。
削除されたシーンを一つ紹介しよう。
まず、現在のアーカイブでは配信の始まりからましろが喋っているが、当初はその前に、とある動画が再生されていた。
動画の内容はこうである。
黒い背景の中央に、個性的な表情の猫の画像が映し出される。唐突に、いわゆる猫っぽい音声(某ニャースを連想させる)が入る。どうやらこの猫が喋っているらしい。いわく、自分の名前はミーアキャットという。同日に初配信した奈羅花と来栖夏芽(ましろの同期Vtuber)がマスコットキャラを持っていたことに焦り、急遽ましろによってマスコットとして作り出された悲しき人工生物である、と。
このような配信前の茶番動画は、デビュー直後のましろの配信では恒例のものとして何回か行われていた。しかし、いずれも後の編集で該当シーンを削除されている。またサムネイルに関しても、後々差し替えられたのは初配信のものだけではない。(注2)

さて、ここで憶えていてほしいのは、ましろの配信は、初配信から常に猫のイメージとともにあったということである。著作権上の問題が発覚し、いくつかの配信アーカイブからは猫の姿は消えてしまったが、今でも多くの活動初期のアーカイブに、猫のイメージが残っている。
そしてまた、そのような猫のイメージは主に人目を引くためのギャグ要素以外の何物でもなかったことも憶えておいてほしい。初配信から常にましろとともにあった猫であるが、しかし猫がそこにいることには何も意味がないのである。もちろん、配信の内容とも一切関係がない。
たとえば初配信の終わり際はこんなふうであった。
ましろが自己紹介を終えて今後の活動の展望を語り、配信が終わり間際になると、ましろの立ち絵の後ろに猫が現れる。しかし、それにましろは気が付かない。一切反応しない。そのまま画面が暗転し、不気味な猫の鳴き声を合図に配信は終了する。そこには何の意味もない。
また、これだけ猫がまとわりついていながら、この時期にましろが猫について語ったことはほとんどない。
そのような、不自然なまでに無意味な存在として、猫は常にましろの傍らにいた。
そしてだからこそ、その猫にはナンセンスな滑稽味があり、人目を引いたのだ。
つまりギャグとなったのである。

(注2)ミーアキャットの画像はしかし、後に来栖夏芽のチャンネルにて投稿された歌ってみたコラボ動画「ドレミファロンド」にて、しっかりとましろのマスコットキャラとして登場しているため、本当にミーアキャットの画像に著作権上の問題があったのかは不明である。配信アーカイブの編集は、本人からツイッター上で「著作権上の問題があったため」と一括で説明されているのみなので、一部の事例に関しては、実は別の何らかの事情により削除した可能性も考えられる。


動画投稿期

ところが、ある時期からましろは猫の画像を使わなくなる。ましろが最後に猫の画像をサムネイルに使ったのは、1/31の「#後編【サイレントヒルHD】静 岡 観 光 に 来 ま し た【ましろ/にじさんじ】」である。
あるいは、もしかしたら2/28の「消されたら勝ち【ましろ/にじさんじ】」を最後に数えてもいいかもしれない。こちらには、ましろ自ら描いた国民的猫型ロボットの顔(モザイク入り)がサムネに登場している。
これについては、この時期からましろの活動スタイルそのものが変化したのが大きな理由だろう。サイレントヒル実況以降、ましろはそれまでの生配信を主とした活動スタイルから、動画投稿を中心とした活動スタイルへと変わったのだ。必然的に、サムネイルの作風もその変化の影響を受けたのである。
2/5投稿の「「WTF」しか喋れない  【ましろ/にじさんじ】」を皮切りに、3/13投稿の「エキサイティング椅子取りゲーム【ましろ/にじさんじ】」まで、ほぼ毎日17時に動画投稿が行われた。投稿動画の半分はホラーゲーム実況で、もう半分はナンセンスなクソゲー実況が主であった。

ところで、これは客観的根拠のない主観的な観測に過ぎないが、ましろの配信アーカイブへのコメント数は、他のVtuberと比べて非常に多い部類に入る。ましろの数倍のチャンネル登録者数を持つVtuberと比べても、平均するとおそらく同じくらいあるだろう。
なぜこのような状況が生まれたのか。
この動画投稿期に一度だけ、ましろは初の雑談生配信(注3)を行っている。3/5の「」という配信である。この配信はましろを理解する上で非常に重要な内容を含んでいるので、この後も何度か振り返ることになるだろうが、この配信の中で、「動画の感想コメントを読むのが毎日の楽しみ」という発言があった。これを機に、過去の投稿動画も含めて、ましろの動画コメント欄は常に活況を呈するようになったと僕は実感している。もっとも、他のVtuberも同じようなことは言っているはずであるし、コメントの一つ一つに既読を示すハートマークを付ける非常に丁寧なVtuberもいるはずである。彼らと比べてもましろのコメント欄が活況を示す理由は僕にはまだわからないが、ましろのキャラクターとそれに惹かれるリスナー層と、頻繁にコメントを書き込むリスナー層というものには、何か興味深い相関関係があるのかもしれない。
3/5の「」では他にも「動画のネタがない。助けてくれ」といった発言があり、その一週間後の3/13の投稿を最後に動画の投稿がストップ。
1ヶ月間に渡る毎日の動画投稿活動がここで終わり、以降、ふたたびましろは生配信を行うようになる。

(注3)厳密には、実質的に雑談メインであった収益化記念配信が1/8に行われている。しかし、雑談と銘打って配信をするのは3/5の「」の配信が初めてである。


あつ森

3/20に「あつまれ どうぶつの森」が発売。同日、あつ森実況配信がスタートした。
ホラーな島を作ることを目的に、積極的にタイムスリップを行って、いわゆるガチなプレイが行われることとなるシリーズである。
発売日にスタートダッシュを切り、にじさんじのライバーの中でも進行が特に速く、宣言通りのガチプレイで注目を集めたが、それとは別に、このシリーズはましろの配信の中でも特異な位置にあるように思える。
なぜなら、あつ森配信はそのゲーム性のために作業配信となることが多く、必然的に配信時間のほとんどは雑談に費やされるからである。ましろが雑談配信を行うことは稀であり、このシリーズ以前で数えれば先程触れた3/5の「」のみである。
また、ましろの雑談配信は事前に話題を決め、それに沿って進行するのが恒例となっている。3/5の配信でも「事前に何を話すか、どのように話すかをお風呂の中で練習する」といった発言があったり、最近の雑談配信においても、毎回話す内容を事前に紙に書き、それに従って話をしているようである。
他方であつ森配信では、リスナーのコメントを拾いながら自由にフリートークを行っており、実はこちらの方が、他のVtuberが普段行っているような、いわゆる雑談配信の形式に近いのである。他のゲーム実況でも、もちろんリスナーのコメントからフリートークに繋がることはあるが、しかし基本的にはゲームに集中していることが多い。また、にじさんじ鯖のマイクラ配信で、同様に作業中の長時間のフリートークが行われたことはあるが、しかしマイクラ配信自体がシリーズ化していないので、やはりこれも例外だと思ってよいだろう。

このようにましろのフリートークは希少であり、あつ森配信では、これまで語られることの少なかったましろの私生活や趣味嗜好や、これまで明らかになっていなかったキャラクター性の多くが、このシリーズで明らかになったように思える。好きなアニメや漫画、映画、最近の生活サイクル、人生観や恋愛観、死生観、その他さまざまな事柄に対する考え方や価値観まで、非常に多くのことが話題となった。
ましろに恋愛に奥手な童貞キャラが付いたのもあつ森配信が初だろうし、しかし同時にコミュニケーションは得意であると自称するイキリキャラが付いたのもこのシリーズからである。またそれをリスナーにからかわれ、互いに煽り合うプロレスが始まる流れも、そして唐突に挟まれる幼稚な下ネタも、このシリーズが初出のはずである。
その代表として、3/25の「【あつまれどうぶつの森】君 達 の 島 … 行 く よ ……【ましろ/にじさんじ】」では初めてゲーム上でリスナーとの交流が行われた。個性豊かなリスナー達との掛け合いは非常に楽しく、現在まで続くましろの配信の独自のノリ、後に遊戯王タッグフォース6配信において「ましろ工業高校」と揶揄されたものの基盤は、このときに完成したように思える。
このように、現在のましろを理解する上で、このあつ森配信は必見のシリーズである。

ましろ死論―猫、夏、駅、迪ォ―②に続く)

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