見出し画像

続きはあるのか問題

私はもったいない感情が強いというか、寂しくて終わらせることが出来ない人間である。

荻原規子の勾玉シリーズが好きで、風神秘抄の下巻の途中で読むのをやめた。八咫烏の最新刊は買って置いてある。

終わりが近いとゲームを進めるのをやめてしまう。ゼルダは釣りゲーになる。ペルソナ4もそうだ。

好きであればあるほど、終わってしまうことに耐えられない。ポーの一族の新作なんて、心がかき乱されすぎて手を出すことができない。

ほんのり続きが存在していることを嬉しく思い、楽しみに残しておきたく読まないでいる。

なぜこんな不健全な人間になってしまったのか分からない。食べたくて取っといた好物ですら、人にあげてしまう。自分で終わらせるのが嫌だし、体験しおわるのが嫌なのだ。

仲間がほしい…

この続きはあるのか問題なのだが、唯一の例外が音楽である。音楽だけは最後まで楽しめるし、途中で止まられたら嫌だ。何度でも楽しめるし、このまま終わらなきゃいいのにとも思わない。次回がないなら、尚更この機会に聞かなきゃと思う。

なお、この文章にはオチがない。

同じ感情なのだが、旅だと行きたくない街がある。
パリ、香港、NYあたりだ。
この街を離れる辛さが行きたさに勝つ。
住みにしか行きたくない。

私は流浪の旅が好きだ。
もう二度と会わないかもしれない名も知らぬ誰かとの出会いが好きだ。地図もなしに街のお気に入りをみつけてゆく過程も好きだ。また来ようと思いながら次の街に向かう。

だが、この3つの街はそれが出来ない。
その街での未来を思い描いてしまう。
そしてコロナ禍前に見知った街が変わってしまっているのが怖くて、訪れることすら出来ない。

さて、これから何処で生きようか。

ハープと世界を周り、歌い続けます。いつかお会いできますように!