いつか有償になる愛
今日も今日とて、ふと思ったことを書き留めていきますよ。
無償の愛ってあるじゃないですか。
それは親から子に注がれたり、恋人に注がれたりする愛のことだと思うんですけど。
本当に無償でいいと思ってる人って、どれくらい居るのかな、と疑問に思いまして。
いや、無償の愛の存在を否定するわけではありません。そういう愛もあるし、それはとても尊いと思っています。
でも、「自称無償の愛」ってあると思うんですよ。
「無償であることを相手に言ってしまう愛」なんですけどね。
これって、相手に言った時点で無償ではなくなる気がしています。
試食と同じなんですよ。
無料で、その場で焼いてるウィンナーを食べさせてくれた笑顔のおばさんを前にして、「タダで美味しいものを貰ってしまった。何か買わないと申し訳ないな」と思ってしまうこと、あるんじゃないでしょうか。
これは「心理的負債」と言ったりします。
試食はまさにこの「心理的負債」による購買を狙った販売術なんです。
無償の愛の場合だと「私はこんなにしてあげているのに」と相手に対して言った瞬間に、心理的負債を相手の本能に植え付けることになり、その愛は相手にとって無償ではなく「借り」になってしまうんじゃないかと思っています。
だから、無償の愛って本当に仏の如き芸当なんです。
見返りがなくとも、報われなくとも、相手が存在してくれていることに対して愛を注げるような、そんな崇高な人にしか持ち得ない特別な感情。
「我が子に対してなら、無償の愛を持っていて当然」ではないと思っています。
無償の愛を胸に秘めているは、素敵な人です。
私もそうでありたい。
愛を途中で有料化するのは、なんだか悲しいことなので。
それでは。
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