なるみ

詩と絵と文章と、愛。

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  • 詩をまとめました。

最近の記事

報告遅れましたが、昨年12月に赤ちゃんが誕生しました✨元気な女の子です!これから色んなことを学んでいくんだろうなと楽しみつつも背筋が伸びる思いです。皆さま今年もどうぞよろしくお願いします🙇🙇‍♀️

    • 純粋なもの、愛のエネルギーに触れると、理屈抜きで心に沁みていく。とても自然に、思い出すように。私たちが自らのうちに持っているから、なんだろう。

      • 長いつぶやき

        人に優しくなれないときは、大抵自分自身にも優しくなれていないとき。自分に負荷をかけているサイン。自分に優しいひとは他人にも優しい。 かと言って「そんな自分…」と自己嫌悪になるのは大きな見当違い、それは優しさではなく、偽の自分が「変化するな!」と発令する袋小路癖、だからそんなときは 「私は本当はなにがほしい?」と自分自身に問う。 自分自身が本当に欲しいものを白状したなら、 「そっか、そうだったんだね」と自分に寄り添うと、とってもいい。それだけで素直に自分を認められる。 私はそれ

        • 私たちの存在は、すでに愛で、光で、あるのだから、奪う必要がない。光を曇らせるのは心の癖や思い込み。幻想(刷り込み)を自分の意思だと思い込んで、焦りや心配に駆られるのは勿体無い。だから、私は今しかないこの瞬間を全身で感じて、感動して、感謝して、素直に表現する。

        報告遅れましたが、昨年12月に赤ちゃんが誕生しました✨元気な女の子です!これから色んなことを学んでいくんだろうなと楽しみつつも背筋が伸びる思いです。皆さま今年もどうぞよろしくお願いします🙇🙇‍♀️

        • 純粋なもの、愛のエネルギーに触れると、理屈抜きで心に沁みていく。とても自然に、思い出すように。私たちが自らのうちに持っているから、なんだろう。

        • 長いつぶやき

        • 私たちの存在は、すでに愛で、光で、あるのだから、奪う必要がない。光を曇らせるのは心の癖や思い込み。幻想(刷り込み)を自分の意思だと思い込んで、焦りや心配に駆られるのは勿体無い。だから、私は今しかないこの瞬間を全身で感じて、感動して、感謝して、素直に表現する。

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        • 25本

        記事

          エッセイ「内側の天国から見える世界は深刻とは真逆だった」

          よくスピリチュアル関連の情報で耳にする「目覚め」という言葉は、言い換えれば「内側の天国」ではないかと私は解釈しています。 まず、内側の天国ってなんだろう?という疑問ですが、一言でいえば「本来の自分に還っていき、外側の出来事に左右されない自分を感じられること」だと思っています。 いわゆる「ワンネス」という表現もこの感覚なのだと思います。 私は自分が目覚めているのかについては定かではないにしても、内側の天国に移行しつつあることは日々実感するようになりました。 私は元々、スピ

          エッセイ「内側の天国から見える世界は深刻とは真逆だった」

          日記「自己成長のタイミング」

          人が変わる瞬間、新しい閃き、人生の気づき、決意、覚悟、そういった自己成長というものに遅い早いはなくて、それらはいつも私たちにとって然るべきベストなタイミングでやってくるものだと最近思う。言ってしまえば、すべて「うまくいっていて」無駄な瞬間なんて無い。 私には私のタイミングがあって、他者には他者のタイミングがある。それぞれが「自分」を表現するために、仕事、恋愛、対人、家族、趣味、出来事のすべてから「自分の一部」を一つ一つ拾い集めている。偽物も、本物も、良い自分も、よろしくない

          日記「自己成長のタイミング」

          エッセイ「あなたに会えるのがとっても楽しみ」

          こんにちは。なるみです。 今日で妊娠37週を迎えました。 もういつ赤ちゃんが生まれてもおかしくない時期です。 本当にあっという間だったな〜と思う。そして本当に楽しかった!!とにかく楽しかった!! あと数週間で妊婦生活も終わると思うと、ちょっと寂しいような気もする。けれど、率直に赤ちゃんに会えることがとっても楽しみ。 妊婦生活は「楽しもう!」と意識していた。 人生初のつわりも、寝苦しい夜も、目が離せないダイナミックな胎動も、身体の大変化も、「よっこいしょ」と言いながら、日

          エッセイ「あなたに会えるのがとっても楽しみ」

          日記「思考の声」

          先日、めずらしくパートナーが弱音を吐きながら眠ってしまって、その時にじわじわと自分が苛々していることに気付いた。(私が苛々するのはとてもめずらしいことだった!) 私は苛々しているので、なんだかソワソワして夜中にゴミ捨てに行ったり、眠る彼のそばでシリアルをむしゃむしゃ食べながら、「私はなんで苛々するんだろう?臨月だからホルモンバランスの影響かな?」なんて考えてた。 でも自分の中で腑に落ちた答えは「彼の弱音は本当の言葉じゃない」とわかっていたからだと気付いた。ネガティブな言葉

          日記「思考の声」

          日記「自分自身に対する態度が、そのまま対人関係に反映されること」

          私の自分自身に対する態度とか向き合い方が、結局他者への態度となり、他者からの態度として表れるんだなぁと、年齢を重ねて実感する😳 あれもしなきゃこれもしなきゃ、と自分自身に厳しくしている時って、無意識に他者にも厳しい基準を要求していたと思うし(それを口に出さなくても、自分の中にギスギス感があるからわかる) 自分が誰かに雑に扱われて落ち込む時は、実は私も私自身を雑に扱っていたりする。 自分自身を安売りしていると、当然安売りに群がる人達が集まってくる。 今は「自分を大切にし

          日記「自分自身に対する態度が、そのまま対人関係に反映されること」

          エッセイ「自分の感覚が唯一自分への道しるべであり、尊いということ」

          こんにちは。 なるみと申します。 30歳を過ぎた辺りから「自分を愛する」ということがわかった気がする、という内容のエッセイです。 私は、「自分を愛する」ということは、まず第一歩として「自分の感覚を信じる」ことだと思うようになりました。自分を信じられていないと、常に周囲に脅かされて、評価を恐れて、自分にも恐れて、不安に包まれます。 何度も書いていますが、私は学生時代から過敏性腸症候群、摂食障害、境界性パーソナリティ障害、不安障害、依存症、対人関係に悩んできました。元々、従

          エッセイ「自分の感覚が唯一自分への道しるべであり、尊いということ」

          自分を大切にしたいとき、「なにかをする」よりも「しない」を選んだほうが自分に届きやすいときがある。疲れてしまう場所には行かないとか、疲れてしまう人には会わない、とか、今日は家事をサボる、とか。自分の「心地良さ」「感覚」を優先する。感覚って本当に大切なバロメーター💐

          自分を大切にしたいとき、「なにかをする」よりも「しない」を選んだほうが自分に届きやすいときがある。疲れてしまう場所には行かないとか、疲れてしまう人には会わない、とか、今日は家事をサボる、とか。自分の「心地良さ」「感覚」を優先する。感覚って本当に大切なバロメーター💐

          エッセイ「無意識の思い込みに気付く」

          私たちは思い込みで出来ていると言ってもおかしくないくらい、思い込みって人の大部分を占めていると思う。 常識ですら、思い込みだったりする。誰もがマイルールを持っていて、理想を持っていて、自分の秩序を乱す者は不快で、自分の基準通りでないと自分自身も不満なんだ。でも、その思い込みって本当かなぁ?と思う。 私自身も思い込みに迫られていると感じるときがよくある。 それは本当に些細なんだけど、「今◯◯時だから寝ないと体調崩しちゃう!」とか「彼が寝る前に仲直りしないと明日も喧嘩しちゃう!

          エッセイ「無意識の思い込みに気付く」

          「個人的日記」

          自分が体験した、不思議な、でも確かに腑に落ちる感覚は至高体験のほかにサイコシンセシス、統合、トランスパーソナルとかいろいろな呼び名で繋がっているということがわかってきた。 知るたびに答え合わせをしているみたいで、すごく面白い。 最近は、自分以外の方の思い込み、偽り、葛藤、不安など、全体的な視点で感覚的にわかるようになった。 分かろうとする、というより、「理解したい」が強いから、わかる。 私が感じるのは、優越感でも差別的視点でもなければ関係の上下でもない。 胸がウズウズ、ム

          「個人的日記」

          私の良くない癖で、文章に没頭するとつい堅苦しくてきつい仕上がりになってしまって、不本意な形で相手に届いてしまうことが度々ある。私の文章で傷ついた方がいましたら、ごめんなさい。なるべく実際の自分に近いようにエッセイの内容を推敲しました!また次回も読んでくれるとすんごく嬉しいです。

          私の良くない癖で、文章に没頭するとつい堅苦しくてきつい仕上がりになってしまって、不本意な形で相手に届いてしまうことが度々ある。私の文章で傷ついた方がいましたら、ごめんなさい。なるべく実際の自分に近いようにエッセイの内容を推敲しました!また次回も読んでくれるとすんごく嬉しいです。

          エッセイ「私たちは幸せに生きる為ではなく自分を知る為に生きているのかも」

          私たちの人生の目的やゴールって、「幸せに生きること」ではなくて「自分を知っていくこと」なのではないか?と思う。 だから人生を通していろんな経験をして、いろんな自分を知っていく。もちろん知りたくない自分もいる。でも、皮肉なことに、背を向けるほどにまざまざと見せつけられるもの。 「自分を知る」ということは、それだけ他者の気持ちに寄り添える能力となるし、冷静な洞察も生まれる。 だから私は、境界性パーソナリティ障害や摂食障害や依存症に苦しんだ過去も、愛おしい宝物。そのとき周囲に

          エッセイ「私たちは幸せに生きる為ではなく自分を知る為に生きているのかも」

          エッセイ「愛の源泉」

          私たちは愛の源泉のようなもの。愛そのもの。 私は自己に対する洞察を深めて自分と他者の真なる発展を願う。それが私自身のよろこび。 自己に対する洞察とは自分を知ること、(自分の内側で起きていることを知ること。そして自分の外側で起きていることがどれだけ反映されているのか、影響など照らし合わせること) そのうえで自分にある課題を知ること、すべての事柄から学び取ること。(それは自分にどんな意味を与えたのか、どんな意味を生み出せるのか) 真なる発展とは「その人らしさ」であること。

          エッセイ「愛の源泉」