なるみ

詩と絵と文章と、愛。

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  • 詩をまとめました。

最近の記事

詩「うたをうたうときのように」

うたをうたうときのように 裸であったらいいとおもう 生命を背負うでもなく 生命を語るでもなく うたをうたうときのように 過ぎ去る風であったらいいと

    • 「私」という思い込みに気づく

      私たちはそれぞれに「私物語」を握りしめている。「私物語」は蓄積された記憶、成功体験も、失敗体験も、トラウマも全てを含んだ記憶で、そこから生まれた個人的物語みたいなもの。 私たちはしばしばこの個人的物語を真実であり、そしてアイデンティティーであると思い込んでしまう。 私は、意識の変容が起こる前、「私物語」を手放すことができなかった。手放すという発想すら、なかった。 「私物語」を握りしめているとき、いつも心は被害者的な自己陶酔感と窮屈感と欠乏感で満ちていた。視野は狭まり、卑屈に

      • 日記「今に在ることは今に誠実であるということ」(再投稿)

        ある日の朝。 「今日は自分のために丁寧にお化粧をしよう!」と決めて、娘が泣き出さないことを祈りながら、洗面台に立つ。しかし、娘はそんなことはお構いなしに泣き出した。 「ちょっと待ってよー!!」と心で叫ぶ私。 そして罪悪感に似たような、焦る気持ち。 結局そんな気持ちではお化粧に集中できず、不貞腐れた気持ちで娘に近付き、声をかける。 すると、この世の終わりみたいな泣き声が嘘だったように、キャッキャと遊び始めた。私は安堵しつつも、少しの居心地の悪さが自分に残っていることに戸惑

        • 詩「すなお」

          すなおになると やっと わたしになる やっと あなたになる ときのとびらは ひらかれて ふたつのよろこびは ひとつになる やっと あえたね やっと あえたね!

        詩「うたをうたうときのように」

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        • 25本

        記事

          詩「草をむしる」

          草をむしる 娘の献立を おもいながら 詩人の八木重吉を おもいながら 草をむしる 浮かび上がった 日常から 飼い慣らしていない 素顔が現れてくる

          詩「草をむしる」

          詩「しずかな心」

          しずかな心は とても しずかなので 大きな音に 掻き消されてしまいます 忙しない振る舞いに 埋もれてしまいます しずかな心は とても しずかなので 問い質す程に しずかです 悲しみが充満しようとも 力に屈しようとも わたしは思うのです しずかな心は 微笑みに似ている と いつも あなたの内にいて あなたに向けられている

          詩「しずかな心」

          私は、彼(旦那さん)と、この先もずっと一緒にいることを誓ったんじゃなくて、 私たちが、自分自身を偽らずに、勇気を持って表現し続けること、を約束したという感覚だ。

          私は、彼(旦那さん)と、この先もずっと一緒にいることを誓ったんじゃなくて、 私たちが、自分自身を偽らずに、勇気を持って表現し続けること、を約束したという感覚だ。

          詩「あかちゃん」

          おなかがすいて あまえたくて ねむくって なく なく なく かこも みらいも しらないと いうように めいっぱい  いまを つたえている ねえ あかちゃん わたしも いまを かえせている? かこにも みらいにも いいわけ しないで

          詩「あかちゃん」

          つぶやき 6/1

          エゴが薄れていく、 私は透き通っていく、 魂は磨かれていく。 そして「私」ではなくて「在る私」になっていく。 「在るよろこび」が感じられる。時々エゴは顔を出す。 それを観察する、眺める、楽しんでみる。洞察がうまれる。 執着や恐れに抵抗するのではなく、観察して眺めて受け止めたとき、変容が始まる。柔和になっていく。 私は私を信じている。この安らぎが心地よい。

          つぶやき 6/1

          つぶやき 4/25

          「傷付いた私」「被害者の私」でいるほうが感覚は鋭敏だと思ってた。 一番自分らしいと思っていた。 自分の痛みに敏感だから、人にも優しくできると思い込んでいた。 「傷付いた私」「被害者の私」が無くなることは、人生に対して鈍感になることだと思っていた。 けど違った。 むしろ逆だった。 傷付いた私、被害者の私でいる限り、 世界を、他者を、自分自身を「正しく」見ることができない。 「正しく」見ると洞察は深まり、在ることのよろこびを感じる。 だれかの優しさや自己成長(自己表現)の

          つぶやき 4/25

          詩「ねこをなでるとき」

          ねこを  やさしく やさしく なでるとき わたしは  わたしだけに なる ねこが いっぴき いて わたしが ひとり いて この せかいの はだかんぼう! ごろごろ ごろごろ ねこ いっぴきと わたし ひとり と

          詩「ねこをなでるとき」

          子育てって奥深い。

          子育てって、本当に奥深いと思う。 なにが奥深いって、常に「自分を愛する」という課題を突き付けられるから。 私は、妊娠していたときから考えていたことがあって、それは『「自分を愛する」を徹底するぞ』ということ。そうでないと、人を大切にすることができないのを経験から知っていたから。 自己犠牲的になったら、必ずどこかにしわ寄せがくるし、言いたいことを我慢すれば恨みと身体の不調があらわれるし、とにかく、自分を愛すること。自分を信じること、自分を許すこと。自分がイライラしているときは決

          子育てって奥深い。

          報告遅れましたが、昨年12月に赤ちゃんが誕生しました✨元気な女の子です!これから色んなことを学んでいくんだろうなと楽しみつつも背筋が伸びる思いです。皆さま今年もどうぞよろしくお願いします🙇🙇‍♀️

          報告遅れましたが、昨年12月に赤ちゃんが誕生しました✨元気な女の子です!これから色んなことを学んでいくんだろうなと楽しみつつも背筋が伸びる思いです。皆さま今年もどうぞよろしくお願いします🙇🙇‍♀️

          純粋なもの、愛のエネルギーに触れると、理屈抜きで心に沁みていく。とても自然に、思い出すように。私たちが自らのうちに持っているから、なんだろう。

          純粋なもの、愛のエネルギーに触れると、理屈抜きで心に沁みていく。とても自然に、思い出すように。私たちが自らのうちに持っているから、なんだろう。

          長いつぶやき

          人に優しくなれないときは、大抵自分自身にも優しくなれていないとき。自分に負荷をかけているサイン。自分に優しいひとは他人にも優しい。 かと言って「そんな自分…」と自己嫌悪になるのは大きな見当違い、それは優しさではなく、偽の自分が「変化するな!」と発令する袋小路癖、だからそんなときは 「私は本当はなにがほしい?」と自分自身に問う。 自分自身が本当に欲しいものを白状したなら、 「そっか、そうだったんだね」と自分に寄り添うと、とってもいい。それだけで素直に自分を認められる。 私はそれ

          長いつぶやき

          私たちの存在は、すでに愛で、光で、あるのだから、奪う必要がない。光を曇らせるのは心の癖や思い込み。幻想(刷り込み)を自分の意思だと思い込んで、焦りや心配に駆られるのは勿体無い。だから、私は今しかないこの瞬間を全身で感じて、感動して、感謝して、素直に表現する。

          私たちの存在は、すでに愛で、光で、あるのだから、奪う必要がない。光を曇らせるのは心の癖や思い込み。幻想(刷り込み)を自分の意思だと思い込んで、焦りや心配に駆られるのは勿体無い。だから、私は今しかないこの瞬間を全身で感じて、感動して、感謝して、素直に表現する。