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◆読書日記.《竹田青嗣『ニーチェ入門』――シリーズ"ニーチェ入門"2冊目》
※本稿は某SNSに2021年3月24日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。
竹田青嗣『ニーチェ入門』読了。
初心者にも分かりやすい哲学入門を書く事でお馴染みの竹田先生に今年もお世話になってしまった。
あまりに分かりやすすぎるためか、アカデミズムに属する研究者からはあまり御懇意にはしてもらえていないようだ。
日本にはどこかアカデミズムの中に未だに「高級な思想は難解でなければならない」的な感覚があるのか、「わざわざそんな難しい話にしなくてもいいんじゃね?」と思わざるを得ないような文体や翻訳がわんさとある。
これが自然科学系だったら読み手に解釈の混乱が生じるような文体は害悪でしかないと言われるだろうに。
◆◆◆
閑話休題。
と言う事で本書はそんな竹田先生による分かりやすいニーチェの入門書。
とは言っても勿論そんなに砕けた口調の文体ではなく、通常のちくま新書レベルの文体だ。
実をいうとぼくは以前、2~3冊のニーチェ入門書は既に読んでいるし、『ツァラトゥストラ』も一応は通読している。
そのうえで、今年の目標はそれも踏まえてのおさらいというのが一つ、もう一つは、以前ぼくが何冊かニーチェ関連本を読んで作り上げたニーチェ像が、今回本格的に勉強する上で修正すべき部分が出てくるかどうか確認する意図もあった。
今年既に読んでいるニーチェ本は本書を含めまだ二冊だが、だいたいの所さほどぼくの認識はズレていない様子で安心している。
以前も書いたが、ぼくのニーチェ認識と言うのは、基本的には「弱者よ、強くあれ」という方向性があると思っている。
ニーチェは「神童」として幼年時代を過ごし、若干25歳でバーゼル大学の教授に抜擢されるという早熟の才能を示した人であった。
だが、そういった人からは抜きんでた才能を持っていながらも、人付き合いは上手くなかったようで、しばしば同級生らからは「変人」扱いされるほどの精神的潔癖症であり、恋愛下手でず友人も少なかった。
また、学業については評価されても、彼の思想については極めて冷ややかな反応しか返ってこないという状況。
処女作の『悲劇の誕生』は古典文献学の内容とは全くかけ離れた内容だったためか、知り合いの知識人からの反応は冷たかった。
しかも、その後次々に打ち出していく本も、西洋の伝統的思想を根本から傾倒させる思想だったからこそ理解者が少なかった(そのためにニーチェの本は生前ほとんど売れず、自費出版が大半を占めていた。『ツァラトゥストラ』でさえ40部しか売れなかったという)。
理解者も友人も少ない、恋人さえもいない。それだけでなく、極度の近眼のうえ親譲りの頭痛持ち。落馬してからはその他の病苦も抱えるようになった。
抜きんでた才能を持ちながらも、その業績も思想も、身近な人間関係でさえも報われる事はなかった。
しかし、そんなニーチェの思想には、弱気な部分や根暗な所は、ほぼ見られない。
ニーチェが影響を受けたショーペンハウアーも真正面から厭世哲学を展開したというのに、その思想を受けたニーチェはこの世の厭世的な思想を全て撤廃してやろうとでも言うかのような徹底的な「ディオニュソス的な」力強さに満ちていた。
ぼくの印象から言うとニーチェは、自分の思想そのものによって自らを救済しようとしているかのように思えるのだ。
強者を妬むな、自らを上げろ、苦悩や矛盾に満ちた生であってさえ「然り」と肯定するんだ!
……ニーチェの思想がその他の思想家と違っている点は、そういった「生の賛歌」の如きポジティブさであった。
それがどうして「西洋の伝統的思想を根本から傾倒させる思想」であったかと言えば、ニーチェの生きた時代がちょうど、近代におけるパラダイム・シフトによって様々な新たな問題が起こっていたからであった。
その問題こそが、ニーチェが批判したキリスト教的「ルサンチマン」であり、その後に来る「ニヒリズム」だった。
ニーチェの思想を一言「ニヒリズムの思想」と紹介する教科書なども出て来るが、これは当たっているようで、微妙に誤解を与えかねない表現だという事は良く知っておくべきであろう。
「ニヒリズム」と言うと、冷笑的で根暗な思想だという風なイメージがあるが、ことニーチェの思想ほど「根暗」といものと無縁なものはない。
逆に、この「根暗」な、いじいじした考え方をこそ、ニーチェが終生に渡って嫌悪し、自分から追い出したかった要素だったのかもしれない。
◆◆◆
ニーチェの批判的方法とは、自分の大学で身につけた古代文献学における実証主義、合理主義、批判主義を徹底的にわがものとして思想・文化全体に適用させ実践したものだと言えるだろう。
西洋史における様々な伝統的な価値について、ニーチェは逐一疑問符を付けていき、ラディカルにその価値を傾倒させていった。
逆に言えば、西洋の伝統的な価値というものは、その時すでに、誰かが傾倒せざるを得ないほど限界に達していたのである。――それがつまりは、ニーチェの後に長々と続く事となる、現代西洋思想史における「近代の超克」というものとして結実するのである。
まず、「ニーチェの思想」と言えば教科書に載るほどの有名な言葉として「神は死んだ!」があるかと思う。
これはニーチェの「ニヒリズム」の思想と結びつけられてネガティブな言葉なのだという勘違いがけっこう多く存在しているようだ(マンガ『ニーチェ先生』なんかもそのうちの一つだろう)。
「神は死んだ!」がネガティブな言葉?とんでもない!
キリスト教的な思想を徹底的に批判するニーチェにとって「神が死んだ」事は、ネガティブにとらえてはならない言葉だった。
実際、19世紀の西洋では既に「神は死んだ」存在になっていたのである。
コペルニクスが地動説を唱え、ニュートンが万有引力を発見しダーウィンが進化論を発表した事で、キリスト教的世界観は次々と否定されていった。
科学と合理主義――西洋は啓蒙主義の時代に入ったのである。
産業革命が起こり、各国が競うようにして工業化していった。
カントは「神の存在は証明できない」という事を証明し、フォイエルバッハは「人間は神から作られたのではない、神こそが人間から作られたのだ」と主張し、――西洋思想はドイツ観念論に至って遂に決定的に神との決別宣言をした。
「神は死んだ! 神は死んだままだ! それも、おれたちが神を殺したのだ!」――ニーチェ『喜ばしき知識』より
では、神が死んだ世界はどうなるか?
ニヒリズム(虚無主義)が蔓延する事となる。
ニヒリズムとは、ロマン主義、感傷主義、相対主義、懐疑論、機械論、無神論、ペシミズム(厭世主義)、デカダンス……こういった考え方が人々の間に広まっていく事となる。
つまり、それまであった「神」という、絶対的に信頼できる基準が失われてしまった。
それを称して「神は死んだ!」と言っているのである。
――それが「価値相対主義」や「懐疑論」が勃興する所以である。
人間は、死んでしまったらオシマイではない、彼岸に救済が待っている。
神の世界、理想とする世界、絶対的な幸福、人々の希望すべき最果ての目標地点がそれまではあった。
だが、それも失われてしまった。
死後の世界などない。天国などどこにもない。どうせ人生など、何の意味もないのだ。生きていた所で何になる?こんなに苦しくて大変な人生なのに、何の救済もないのか?
――それによって「感傷主義」、「厭世主義」、「デカダン」が発生する。
神が失われた事でこうしたネガティブな考え方が幾つも発生する事となった。
……これをニーチェは「受動的ニヒリズム」として批判した。
神がいなくなった事で落ち込む事も、冷笑的になる事も、逃避する事もニーチェは許さなかったのである。
彼はそのニヒリズムを、逆に「徹底」させる事で乗り越えようとする。
世の中に絶対などない、約束されたゴールなどはない、それを"受け入れた上で肯定する"。
それがニーチェ晩年の思想である「永劫回帰」に結実していく事となるのである。
ニーチェはある意味「キリスト教」に代わる「新たなる宗教」を想定したと言っても良いかもしれない。
それも「"神"のいない宗教」である。
絶対神などいない。
それでいい。
絶対的な価値や真理などは存在しない。
それも、一向に問題ない。
それでいてニーチェは、思想によって「神なき時代の人類」に、キリスト教に代わる道徳、「彼岸の生」に代わる新たな人生の目標を与えようと試みるのである。
ニーチェは「聖書」に代わる新たなるバイブルとして『ツァラトゥストラはかく語り』を書き上げるのである。あれは、そういう書物として構想されているのである。
人生に行きつく目標などはない。絶対的な価値などありえない。
――然れども、"人生は生きるに値する"のである!
ニーチェは、その事を力強く主張するのである。
その主張の一環としての「永劫回帰」思想がある……と言われている。
永劫回帰はニーチェ自身も説明に苦労していたようで、そのために後世のあらゆるニーチェ研究者も、解釈に苦労している部分でもある。
永劫回帰思想についてはそのために、あらゆる思想家や研究者によって様々な解釈がなされてきた。
その中でも割とよく見かける解釈の内の一つとしては「自分の人生が全く同じ形で永遠に繰り返すとする(当時はエネルギー恒存の法則のためそういう考え方もありえたらしい)。それならば、君の行為がいつも無限に繰り返されるとしても、それを肯定できるようにそれを自ら欲されるべきものとなるように行動しなさい」という解釈の仕方である。
「神の不在」が明らかになった現在、もうキリスト教が約束してくれる「救済」など訪れないのだ……。
「どうせ、救われないんだったら……」と、不幸によって落ち込んでしまう人間というのは「どうせ」という言葉を使って自暴自棄な考え方に落ち込んでしまう事が往々にして、ある。
それが、ニーチェが嫌悪した「ニヒリズム」だった。
ニーチェは、自分の思想書が全く冷遇されている事に酷く傷ついただろう(ニーチェは人生の所々で自殺を考えていたという話が残っている)。
才能ある若者であるのに、同世代の人間と一緒になってバカ騒ぎしたり、歌って踊って、楽しくやる事ができなかった。「変人」扱いされ、恋人も親友もできず、ただひたすらに思索に打ち込むばかりの日々。
それほどの不遇の境遇がニーチェを襲っても、ニーチェは「どうせ」という考え方を嫌ったのだ。
それでも自分は「然り」と言おう。
否、それどころではない、"私はそれを欲したのだ"。
ニーチェはまるで、自分に言い聞かせるかのように、前向きで、どんな苦難にもめげず、不幸な自分を(そして、ニーチェの本を読む全ての人々を)励ますかのように言葉を紡いでいった。
この人生は、何度だって繰り返してもいい。
無限に同じ人生が繰り返されたって、一向にかまわない!
だが、どうしてそんなことが言えるのか?
その生において、「魂がたった一回」でも「幸福のあまりふるえて響きをたて」たことがあるなら、つまりたった一度でも、ほんとうに深く肯定できる瞬間があったなら、人は、その瞬間にかけて生の「無限の反復」を欲するという可能性をもっている、と(竹田青嗣『ニーチェ入門』より抜粋,P.180)
「どうせ自分は……」という考え方や「自分の人生は不幸だ」という考え方というのは、総じてそれまでの人生の(過去における)悪い部分ばかりを気にして、過去に捕らわれてしまっているという事だ。
そんな人生でいいのか?
意欲は解放する。だが、この解放者すらも鎖につなぐものは、何と呼ばれるか? 《そうであった》。意志の歯ぎしりと、その最も孤独な憂愁とは、このように呼ばれるのだ。なされてしまったことにたいして無力になるままに――意志は、一切の過ぎ去ったものに対して、一人の悪意をいだく傍観者である(ニーチェ『ツァラトゥストラ』――「救済について」の章より抜粋)
ニーチェの批判するルサンチマンやニヒリズムに陥った、落ち込んで、うじうじして、意欲が縛られてしまっている者とは、「自分がこのようにしか生きられない/そのようにしか生きられなかった」と思っている原因を「過去」に求め、それが動かし得ない事と思い込み、恨みを抱くのが「ルサンチマン」につながり、自分を高めようと意志を諦めてしまうのが「ニヒリズム」につながる。
過去ではない。「今」何をして、「今」自分はどうしたいのか?
ニーチェはキリスト教的な「隣人愛」を批判する。
ニーチェは「まず、隣人を優先して愛する事」を批判した。まず「自分を愛する」事だ。その上で、余裕が生まれたら、やっと隣人を愛する事ができる。まずは自分だ。――それがニーチェの考え方であった。自分の運命を愛するのだ。
他人と比較して、自分の非力さを恨むのではない。「自分」を見るのだ。「自分」はどうしたいのか?
――こういった考え方を踏まえ、ぼくなりの「永劫回帰」の解釈は、次ような感じとなる。
"この一瞬"さえあれば、この人生が何度繰り返される「永劫回帰」があろうとも、それを楽しみにやって行く事ができる。
その「一瞬」を求めよ。その一瞬を得るためにこそ、人生があるのではないか?
けっこう頻繁に引用しているが、精神分析学のエーリッヒ・フロムは以前にご紹介した『正気の社会』で、次のように言っている。
人生が生きるに値するかどうかを示しうるような敏感な貸借対照表はない。おそらく、貸借の対照という見地からすれば、人生は全く生きるに値しない。人生は必然的に死をもって終わりをつげる。我々の希望の内の多くのものが裏切られる。
人生には苦痛と努力が伴う。即ち貸借の対照という見地から見れば、全然生まれなかったか、幼時に死んだほうが、よほど意味があると思われる。
一方、幸福な愛のひと時や、ある晴れた朝に息を吸い込んだり、散歩したり、新鮮な空気をかいだりする喜びが、人生に含まれる全ての苦痛や努力に値しないとは、誰にも言えないだろう。
人生は、かけがえのない贈物であり、挑戦であって、他のものでは計る事が出来ない。
しかも人生は『生きるに値する』かという質問に対しては、わけのわかった解答は何も与えられない。なぜなら、その質問は何ら意味をなさないからである。(E・フロム『正気の社会』より引用)
永劫回帰によって人間は「彼岸の生(天国)」の代わりに、新たな目標を設定する可能性を得たのではないか。
それによって、自分の人生すべてを肯定できるような「一瞬」を求めよ。
「束の間のものだけが永続的価値をもつ」――イヨネスコ
ニーチェが「生の意志」の思想のひとつとして「美」を挙げたのも、これならわかるような気がするのである。
「魂がたった一回でも幸福の響きで震える」ことのできる一瞬――ニーチェはそれを、ワーグナーの音楽に求めたのだろうと思う。だからこそ、ニーチェは芸術が救済だと考えていた。
一瞬でいいのである。
もし私たちがたった一つの瞬間に対してだけでも然りと断言するなら、私たちはこのことで、私たち自身に対してのみならず、すべての生存に対して然りと断言したのである。なぜなら、それだけで孤立しているものは、私たち自身のうちにも事物のうちにも、何ひとつとしてないからである。だから、私たちの魂がたった一回だけでも、弦のごとくに、幸福のあまりふるえて響きをたてるなら、このただ一つの生起を条件づけるためには、全永遠が必要だったのであり――また全永遠は、私たちが然りと断言するこのたった一つの瞬間において、許可され、救済され、是認され、肯定されていたのである(ニーチェ『権力への意志』より抜粋)
◆◆◆
以上、ざっとニーチェの思想の一端を説明してみたわけだが、これだけを見ても、ニーチェ思想に「根暗」なニュアンスが無縁である事がわかるであろう。
なぜこれほどニーチェは人間のうじうじしたネガティブな感情を嫌ったのだろうか。
ぼくが思うに、ニーチェの思想は半ば、不遇で報われない自分の人生を、自分自身の思想と言葉によって救済しようとしていたからではないかと。
だから、決してニーチェは著作上、弱音や気弱な発言はしなかったのではなかろうか。
ニーチェの著作は、現代においても人々を励ましている。
それは、ニーチェの著作が「自分自身を励ます自分自身の言葉」から来ている「自分を励ます思想」だったからではないだろうか。
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