見出し画像

自己紹介②初めての海外生活はアメリカ!アメリカンドリームなゲーム会社で共同開発

こんにちは!香港仕込みのほっこり系陰陽五行マスター・ゆみたんです。

サクッと自己紹介のつもりが、どこをどうかいつまんでも少なくとも数回分になりそうな勢いです。

第1回目は生い立ちから20代半ばまで。「演劇オタク少女が大学で中国語を学びゲーム開発者になるまで」をお届けしました。2回目の今日は、いよいよアメリカに羽ばたくゆみたんです!

いきなりアメリカ駐在に大抜擢

転職した先はサンソフト。サン電子という会社のゲーム部門で、配属されたのはアーケードゲームの開発チームでした。

セガの「バーチャファイター」が大人気で、猫も杓子も「ポリゴン、ポリゴン」と熱狂していた時代です。

ドット絵をポチポチ打つことしか知らなかったゆみたんですが、入社早々3Dグラフィックのツールを渡され、モデリングやアニメーションの練習に励む日々。

ほどなくして、なぜか部長に呼び出されました。

「君は外大出身だよね。アメリカに行ってみる気はないか?」

これぞ青天の霹靂!まったく予想外の展開にクラクラしつつも、「行きます!」と二つ返事で飛びつくゆみたん。

心の奥で「外大は外大でも、中国語学科なんですけど…」という言葉を呑み込んで。

聞けば、サン電子が出資しているアメリカの会社との共同プロジェクトがあるとか。開発者で英語ができそうな人が他にいないからというだけの理由で白羽の矢が立ったのです。

この時ばかりは、パーッと目の前で扉が開くような感覚に包まれました。

いや~、やっぱり外大出てて良かった!

アメリカンドリームなゲーム会社へ GO!

赴任先はワシントン州の東の果てスポケーンという町にある Cyan(サイアン)でした。ランドとロビンのミラー兄弟が数人の仲間とガレージで開発したゲーム『MYSTが大ヒット。「アメリカンドリームだ」と全米から注目を浴びていた頃です。

当時の Cyan やサンソフトのことは上司の清水さんが、この記事で詳しく語ってくれてます↓

25年前の伝説的ゲーム『MYST』、何が凄かったのかサンソフトに聞いた

続編『RIVEN THE SEQUEL TO MYST』を開発中の Cyan に、プログラマー2名とともに派遣されたのですが…

勢いだけで来てみたものの、英語がさっぱりしゃべれない!

一緒に来た2人は「英語はゆみたんの担当でしょう」とばかりに子ガモのようについてくるだけです。挙句の果てにはマクドナルドでオレンジジュースを頼んだはずが、コーラが出てくる始末!

OH! MY GOD!!

こんなんじゃ全然仕事にならない!焦りばかりが募り、落ち込む日々。でも人間追い詰められたら、なんとかするものですね。

家にいる時間はずっとTVをつけっぱなしにして、子供向けのディズニーチャンネルから『ビバリーヒルズ青春白書』、そして『サウスパーク』へと徐々にステップアップし、3か月後にはなんとかコミュニケーションが取れるぐらいになっていました。

やらかしまくりの日本人チーム『RIVEN開発秘話

Cyan では全米各地から集結した優秀なクリエーターたちが、最新鋭のマシンやツールを駆使して、前作以上に美麗でスケールの大きなゲームを開発していました。

サンソフトの担当は、Mac用に制作されたオリジナルをセガサターンとプレイステーション用にコンバージョンすること。

2GBの外付けハードディスクがビデオデッキほどの巨大サイズだった時代です。膨大な動画や画像データを処理するために数台のPCをフル稼働しても全然間に合わない!

なんとしても渡米後1年で完成させるため、最後の3か月は日本から10人ぐらい助っ人が送り込まれました。突然右も左もわからずアメリカにやってきた助っ人チーム。

「5分以上加熱してはダメ」と書いてあるポップコーンを「5分加熱して」と書いてあると勘違いし、電子レンジから煙を出して消防車が来る!

休日出勤で玄関のセキュリティー解除法を間違えて、侵入者と疑われ駆け付けた警察に銃を向けられる!

などなど、やらかしたエピソードの数々が今では良い思い出です。

たまたま『RIVENにエキストラ出演した話

ちなみに、『RIVEN』をプレイすると若かりし頃の初々しいゆみたんに出会えます。

画像1

このタコツボのような家に住んでいます。ノックは5回でお願いしますね!怖すぎて幽霊だと噂になったぐらいなので、心臓の弱い方はご注意を。

エキストラの村人役で出演予定だった日本人の同僚が、たまたまその日病欠。「時間がない」ということで、急遽ゆみたんが出ることになったのです。

これは演劇部魂の見せどころ!衣装とかつらを身に付けて、気合を入れてカメラの前に立つゆみたん。

ミラー兄弟の弟ロビン氏のディレクションの下、いろんなバージョンで30テイクぐらい撮りました。

ロビン氏の芸術へのこだわりがこんなところにも垣間見えますね。

あ~!それなのに…小さな窓からほんの一瞬チラ見するだけなんて?!

顔の半分ぐらいしか見えないシーンなのに、ファンというのはすごいものです。ファン感謝祭で「あなたあの村人でしょう?」と声をかけられ、サインをねだられたのです!ちょっとだけスター気分でした。

2回目のアメリカ駐在は1人で

さて、怒涛の一年はあっという間に過ぎ、涙涙のお別れの日を迎えました。アメリカの片田舎でクリスチャンだらけの親切なアメリカ人に囲まれ、すっかりアメリカ生活が気に入っていたゆみたんなのでした。

後ろ髪を引かれる想いで帰国して約1年後、意外と早く二度目の駐在のチャンスが巡ってきます

今度はサンソフトが『MYST』のリアルタイム3D版『realMYST』を開発することになり、Cyan の技術指導を受けるための連絡係として1人派遣されることになったのです。

その頃の Cyan は『MYST Uru: Ages Beyond Myst』の開発をスタートさせたばかり。さらに多くの若く才能あふれるクリエイターたちが集められ、活気あふれる刺激的な職場でした。

ちょうど「ドラゴンボール」や「セーラームーン」がTVで人気となり、アメリカ人の中にも日本のオタク文化が少しずつ浸透しつつあった時代です。

すごいなと思ったのは、カナダのケベック出身のアニメーターたち。フランス語文化圏でフランスのTVを観て育った彼らは、『UFOロボ グレンダイザー』や『花の子ルンルン』など往年のアニメの数々を知っていたのです!まさかアメリカで『サリーちゃん』の話で盛り上がれるとは!?オタク少女ゆみたん大感激でした。

この時は日本人は私だけだったので、前回よりは Cyan の同僚たちやアメリカ文化の中に溶け込んでいけたかなと思います。

日本との毎日のやりとりはメールがメイン。一言も日本語を話さない日々が続き、たまの電話で敬語がまったく出てこない事態に!

1年半後に帰国する頃には、すっかり日本語が不自由になっていました。

2回目のお別れは、「またすぐ戻ってこれるだろう」とあっさり笑顔で去ったのですが、結局二度と戻るチャンスはなく...

やはり「人生とはまさかの連続」ですね。

★★★

【英語がうまくなりたい方への一言アドバイス】

とにかく好きなドラマや映画を繰り返し観ましょう。セリフと字幕が一致しているものが最適です。飽きるほど見てセリフを覚えるぐらいになれば、自然と英語が口から出てくるようになりますよ。

★★★

さて次回のゆみたんは?映画界の巨匠・深作欣二監督との出会いから人生最大のピンチを迎えます。「ゲームと映画の融合は異次元レベルの挑戦!深作監督と『クロックタワー3』を振り返る」をお楽しみに~♪

note まだ始めたばかりですが、いろんな方が見に来てくださって嬉しいです。気に入っていただけたら、スキやフォローをしていただけると一層の励みになります。どうぞよろしくお願いします。


この記事が参加している募集

自己紹介

最後までお読みいただき、ありがとうございます!よろしければサポートしていただけると嬉しいです。もっともっとおもしろい記事が書けるようにがんばります。