いわゆる「人生のレール」は、思い込みかもしれない
こんにちは。origo10ariga100です!
今回は、正社員で働いている際に適応障害を発症し、休職した経験から「人生のレール」について感じたことをまとめてみました。
こちらの記事は以下の方におススメです^^
個人的な考えですが、よかったら一意見としてお読みいただけると大変嬉しいです!
さて、本題ですが、読んでくださっている方は、いわゆる「人生のレール」を意識したことがありますでしょうか?
わたしはずばり、「YES」です。
小さい時から親の学歴を知ってか、なんとなく良い成績を取り続けること、それなりに偏差値の高い高校に行き、目的のある大学へ進学、就職としてきました。
もちろんその中には、もっとワクワクするような意思も伴っていましたが、根底には「レール」を意識した進路選びをしていたように思います。
一人ひとり、描いていたものは違うかと思いますが、同じように「レール」に乗っかって進むことを目指して生きてきた人は少なくないと思います。
それは、決して個人のせいでなく、社会に根付く古くも残存している価値観が根底にはあるように思います。
現に、浪人や無職など、書類上で空白(厳密には全くもって空白でない)があると、不利になる場面が少なくなったとはいえ、実際には存在しています。
だからこそ、
目標の学校に行けなかった
目標の就職先で採用されなかった
となると、落ち込むといった状況が生じているのではないかなと思います。
ですが、最近休職という、働くのが難しい期間を経験して、思ったことがあります。
それは、自分の頭の中にある「人生のレール」は思い込みではないかということ。別の言い方をすれば、空想、勘違いといったニュアンスです。
「レール」とは、そもそも存在しなかったのか?
「レール」は、頑固な直線で、柔軟な曲がり道や分岐点が存在しなかったのか?
その答えは分かりませんが、今は地面を走る「レール」でなく、空のように自由に行き来できるのが人生なのかなと思っています。
また仮に「レール」だとしたら、目の前は無数にキラキラした分岐点があって、どこにいっても、所要時間や大変さは違えど素敵な目的地にたどり着けるのではないかと思っています。
以前わたしが経験した休職期間中は、例えれば、蜘蛛の巣に入ったように、進もうと焦って動くほど、絡まって身動きが取れない状態でした。
しかし一度立ち止まって、一本一本糸を外していくようにすると、少しずつ進むことができ、もう戻れないかもと思った外の世界にも出ていくことができました。
そしてその世界は、なんでもできる。
失敗したと思っても、それは必要な過程で、一歩また進んでみればまた新しい道ができると、強く思います^^
Youtubeをはじめとした副業、今はまだない形の会社と、世の中は刻一刻と変わっていきますね。
人生の中でのネガティブな出来事も、ポジティブな出来事も、全てチャンスと捉えて、さらに色んな生き方が生まれ、それを認め合う社会になったらいいなと思います(^^♪
本日もお読みいただきありがとうございました!
とっても嬉しいです✨✨
もしよろしければ、他の記事も読んでいただけると飛んで喜びます!(書面では見えないのでご想像にお任せします笑)
それでは、また!
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