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農家とデザイナー、二足の草鞋による挑戦

宮崎県清武町で農業を営む「ここく」。デザイナー出身で、現在は農家とデザイナーの二つの顔をもつ加藤さんに、農業を始めて見つけたことや、自身のデザインのテーマについてお話をうかがいました。

加藤潤一かとうじゅんいちさん|ここく
1976年、静岡県生まれ。大学卒業後、関東でデザイナーとして活動。2011年に妻の郷里である宮崎県清武町に家族で移住し、綾町での農業研修ののち、2012年に就農する。大豆と大麦、塩を生産し、加工品も自ら製造・販売を行う。

2つの立場から“おいしい・楽しい・うれしい”を届ける

ー以前は広告業界で活躍していたとお聞きしました。就農のきっかけは?

偶然、スローフードの本を手にしたことです。仕事が忙しかったこともあり、それまでお寿司のガリが何でできてるかも知らないほど、食には関心がありませんでした。でもその本を読み、食べ物ができるまで多くの素晴らしい物語があると知って、衝撃を受けたのです。

ーその後、どんな行動をとられたのですか。

自前で野菜のホームページを制作するなどして、僕のように知らない人向けに、消費者と生産者をつなぐことを考えました。でも結局、自分で作物を作ってみないとわからない、というところに行き着き、農業をしようと思ったのです。

ー農作物を育てるかたわら、自社製品のパッケージデザインやほかの農家さんの制作物を手がけていらっしゃいます。農業を始める前と今では、デザインのスタイルに変化はありましたか。

むちゃくちゃありました。デザインだけをしていたときは依頼された企業担当者のことは考えても、正直、売る人のことまで考えていなかったと思います。買うお客さんがターゲットだと頭ではわかっているつもりでも、今思えばあまり見えていませんでした。

ー具体的に農家となって見えてきたものと、それをどう生かされているかを教えてください。

経営の視点こそ大事だというのが、農家になって見えてきたことです。依頼主には原価を聞き、その後の売り方まで聞いて、パッケージデザインのアイデアを練ります。極端にいうと「フィナンシェを作りたいからパッケージをお願いします」という依頼があるとすれば、「なぜ今フィナンシェなんですか?」というところから入るでしょうね。フィナンシェはすでに市場に出回っている感がありますから。

ーマーケティングの視点も重要視されているんですね。ほかに具体例はありますか。

パッケージについては詰めやすいかどうかという点も大切です。包装に素晴らしく凝っていても、1時間に10個しか箱詰めできないのなら、労務費に大きく響きます。いかに簡単に包めるかが大事です。また破損など輸送中の課題にも気を配ります。誤解されがちですがデザインはオシャレであればいいわけではありません。

ーパッケージというと、最近では自ら生産したものを加工品として販売まで行う農家さんが増えてきました。

そうですね。僕の気づきを多くのデザイナーに知ってほしいと思うし、農家や事業者も知らずに損をしていることがあると思うので広めていきたいです。

ー加藤さんのデザインのテーマは?

全体的に楽しくあるべきだと思います。農薬を使わない、添加物を使わないという面だけでなく、おいしいという喜びや買う楽しさがないといけません。製品をプロデュースするときには、ネーミングも含めて“おいしい・楽しい・うれしい”となるようにしたい。デザインに関しては一時の流行ではなく、定番化を狙って飽きのこないデザインを心がけています。

大豆や麦の在来種へのこだわり

ー次は農業の話ですが、作物などの生産物について伺えますか。なぜその品種を選んだのでしょう。

無農薬、無肥料の自然栽培で大豆と大麦を生産しているほか、宮崎県の油津沖の海水を汲み上げて塩を生産しています。それらを使って麦味噌や大麦粉や穀物、麦茶、菓子などを製造しています。大豆を選んだのはデザイナーの視点からで、加工のバリエーションに幅があると感じたからです。

ー穀物の種も在来種にこだわっているそうですね。それはなぜですか。

昔から誰かが植え、また次の誰かが植えることで受け継がれてきたのが在来種です。地域の気候や風土に合わせて適応し、残ってきたものともいえます。僕も在来種を大事に育てて、次の世代につなげたいです。

ー大豆は宮崎県北部の高千穂町の方から、裸麦は椎葉村のおばあちゃんから種を譲っていただいたと聞いています。加藤さんはこのようなモノができあがるまでの背景を重視されていますね。

本で食の豊かさを知り、自分に足りないのはこれだとわかったとき、消費者と生産者の間をつなぐ存在になりたいと思い、さまざまなことを試しました。その過程で自分なりに行き着いたのは、価格や見た目などで品物を選ぶのではなく、ストーリーを重視して選べば世の中は良くなるのではということでした。僕はストーリーを届けたいと思ったのです。そのためには自分で農業をやるしかないと決心しました。

ー加藤さんがつかんだストーリーは、自ら企画・デザインをされているコンセプトブックに綴られています。

現在6冊目です。ストーリーは口ではなかなか伝えられないし、時間もかかるため、この冊子にしたためています。在来種を手に入れた話などをまとめて、一度に2,000部ぐらい印刷し、どんどん配っています。

ーSNSでの発信も活発ですが、印刷物も作られているのはなぜですか?

人の記憶に残るからです。手にしたときの質感、ページを開いて広がる世界観は紙でなければなりません。

次世代に農業というバトンを渡せるように

ー生産はほぼ一人で担っていらっしゃいます。もともと家業が農業ではなく、研修先も町外と、いわば孤立無援の立場でご苦労も多かったと思います。それでも諦めなかったのはなぜですか。

僕のような新規の農業者が地域に受け入れてもらうのは確かに大変です。そもそも機械を置く場所さえ、確保できない。でも諦めなかったのは、楽しいからでしょうか。自分が納得できるものを作って、お客さんに喜んでもらう。そのシンプルなことが楽しいんです。味噌作り教室でお客さんにおいしかったといわれるとうれしいですし、食べなかった子どもさんが食べてくれたという話を聞くのもうれしい。商品を心待ちにしてくれている人の存在もうれしいです。

ー今後の展望をお聞かせください。

一番大事にしたいのは、僕がいなくなっても持続していく農業です。農業を未来へ続けていかないとやる意味がないと思っています。今、ここくが成立しているのは、作る人がいて、食べる人がいるという関係があるから。この関係をずっと保ち続けて、僕がいなくなっても続くかたちを、経営の視点を取り入れながらこれからも模索していきます。

ー本日はありがとうございました。